写真は縄跳びで遊ぶダルフール難民の少女達(2007.4.11)
(“flickr”より By Women's Commission for Refugee Women and Children)
アフリカ・スーダンのダルフール地方における、スーダン政府の支援を受けたアラブ系民兵によるアフリカ系住民に対する虐殺行為が問題となっているダルフール紛争(死者約20万人、避難民約250万人)については、6月13日のこのブログで国連・アフリカ連合のPKOをスーダン政府が受け入れるという情報についてとりあげたところです。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070613
昨日の新聞報道によると、来年7月の洞爺湖サミットに向けて、この件が議題となることが予想されるため主催国日本として、政府はPKOへの自衛隊派遣について検討を開始したそうです。
ダルフールから隣国チャドへは約20万人と言われる難民が発生しているそうですが、スーダンとチャドの間で明確な和平合意が得られれば、スーダン国内での停戦合意がなくてもこの地域での人道支援が可能となるでは・・・という見方のようです。
外務省内には賛否両論があり、防衛省は「危険性が高い」と慎重姿勢とのこと。
自衛隊の海外派遣については、これまで個人的にはあまり真剣に考えたことがなく、漠然と消極的に捉えてきました。
しかし、ダルフールや十数年前のルワンダなどでの悲惨な実態を聞くにつけ、最近は「誰かが止めないと。虐殺行為を防止するためにはどうしても“力”が必要。日本だけこの問題を避ける訳にはいかないのでは。」という考え方になっています。
これまでチャドの難民キャンプ周辺ではスーダン政府の支援を受けた武装ゲリラ勢力の攻撃が行われているようです。
チャドとスーダンの和平合意が出来ても、このような戦闘行為が残る可能性が大きいとも思われます。
(特にスーダン国内の停戦が明確でない場合)
それは、難民の生命の危険がそれだけ大きいということでもあります。
また、ルワンダでは難民キャンプが武装勢力の基地になるという事態も発生しました。
この地域にPKOで入る以上、単に人道支援ということでなく、明確に“難民の生命を守る”という立場で参加し、必要であれば武装勢力と交戦する覚悟があってしかるべきかと思います。
その結果自衛隊員に犠牲が出ることもあるでしょうし、日本の自衛隊が他国の人間を殺傷することもあるでしょうが、混乱をおさめるためにはそれもやむを得ないと考えます。
そのような強い意志がないと、難民の生命を守ることはできのでは。
形ばかりの国際支援しかない中で多くの人命が犠牲になったルワンダの誤りを繰り返してはならないと考えます。
自衛隊の海外派遣が検討されるケースにはいろいろなものがあり、「これを認めるなら、これはどうするのか?」ということになります。
それぞれの問題に明確な線引きを行うことは簡単ではありません。
しかし、やはりおのずとそれぞれの問題には異なる性格もあるかと思います。
内戦状態の片方に組して戦闘当事者の一員となるのか、停戦合意のもとにある難民の生命を守るのかでは、違いがあります。
アフガニスタンでもどこでも、請われればどこでも出て行けばいいとは言いません。
そこには冷静な判断が必要でしょう。
これまでの日本の平和主義は高く評価しますし、これからも堅持する必要があるのは言うまでもないことです。
もちろん、紛争に対しては武力以外の有効な方策が当然に普段から真摯に検討されるべきであり、また、いわゆる人道支援的活動も重要です。
今回のスーダンの件で言えば、このような最悪の事態を長引かせたのは中国のスーダン政府寄りの姿勢ではなかったかと思います。
今後は、スーダンに限らず多くの紛争について、有効な国際合意が形成できるように中国を含めた関係国の調整が必要かと思います。
しかし、現に存在する混乱状態にあっては“力”でしか人々の生命を守れないこともあります。
そのような“力”の行使について、他国がやってくれるのは評価するが自国は行わない・・・というのは難しいのでは。
現実に理不尽な暴力により生命の危機にさらされている人々に手を貸すことなく自国のみの安寧・平和に固執するのは、やはり同時代に生きる“人間として”許されないのでは・・・最近そんなふうに考えるようになりました。
同じ日の紙面に“セレブな犬小屋発売 クリスタル製 390万円”という記事がありました。
一方に難民キャンプで生命の危機にさらされながら生きる人たちがいて、一方に390万円の犬小屋を購入する社会がある。
390万円の犬小屋を買ってもかまいませんが、同時に難民キャンプの人達に目を向け、手を差し出すのでなければ・・・納得しがたいものがあります。