レバノン北部のパレスチナ難民キャンプに立てこもるイスラム原理主義のスンニ派武装勢力「ファタハ・イスラム」(パレスチナ人はあまり多くないとも言われます。)とレバノン政府軍の戦闘は5月20日に開始、7月12日からは政府軍の総攻撃が始まり、戦いは最終段階にきているようです。
そんななか、レバノンの各派の代表14人がパリで、今日15日から2日間の協議を開始したそうです。
親シリア派のイスラム教シーア派武装組織「ヒズボラ」の代表も参加しているそうです。
ほぼ制圧されそうな「ファタハ・イスラム」は参加していないのでしょう。多分。
アルカイダの思想に共鳴していると言われるスンニ派「ファタハ・イスラム」のレバノン政府軍の制圧に関しては、珍しくヒズボラを含め各派がみな同意しているそうです。
レバノン政府代表は入っているのでしょうか?
レバノンの実情・経緯からすると入っていないのかも。
中東問題というと、民族・宗教・更に宗派が入り乱れ、それを各国がそれぞれの思惑で支援し・・・と非常に分かりづらい面があります。
そこでレバノンについて情報を検索・整理してみました。
イスラエルの北に隣接し、シリアに囲まれる形のこの国は歴史的にはオスマン帝国に支配下にありましたが、第一次大戦以後フランスの委任統治に入ります。
(このため、いまでもフランスの影響が強く、フランス語もかなり通用するそうです。今回フランスが会議を主導するのもそういう経緯です。)
当時、フランスは統治しやすいキリスト教徒を多数ふくむような形でシリアとの国境線を引きました。
このことで、この地域の民族宗派は非常に複雑な様相を呈し、その後の対立・紛争につながっていきます。
キリスト教徒は現在30%程度、残り70%がイスラム教徒とみられています。
「キリスト教」系はマロン派が多数派ですが、東方正教会、プロテスタント、東方典礼のカトリック、ローマンカトリックなどもあり、更にアルメニア人もいて独自の宗教を擁しています。
「イスラム教」系にはスンニ派、シーア派、アラウィー派、ドルーズ教などがあるそうです。
これら宗派が“住み分ける”かたちでそれぞれのコミュニティーを形成して、独自の民兵組織を持ってモザイク状に対立、レバノンの国家としての一体性が十分に形成されていないのが実情のようです。
この宗派バランスの上に立って第二次大戦後独立しますが、政治的実権を握るマロン派に対する増加するイスラム教徒・パレスチナ難民の不満がつのり、75年には内戦が勃発。
以後、シリア軍の侵攻、イスラエル軍の侵攻、多国籍軍の介入等々、国内の戦闘状況は泥沼化し国土は荒廃。
このあたりの詳細は割愛して先を急ぐと、90年アメリカの後ろ盾を得た(!)シリアが介入して内戦を終結させ、15年間ほどは落ち着きをとりもどしました。
05年の元首相暗殺爆破テロ以降シリアは国際社会から非難を浴び、9.11以降反テロの姿勢を強めるアメリカの支持も失い撤退します。
もともと「内憂対策はレバノン政府軍、外患(イスラエル)対策はヒズボラが行なう」といわれるぐらい政府軍の影は薄く、対イスラエル問題ではシーア派武装組織「ヒズボラ」が全面に出ていましたが、06年のヒズボラによるイスラエル兵拉致事件でイスラエル軍が再度侵攻。
これにヒズボラは徹底抗戦。
従来イスラエルとイスラム勢力の戦争・紛争では、イスラエルが圧倒的な軍事力の差を見せるのが常でしたが、ヒズボラは“そこそこ”の戦いを行い停戦。
ヒズボラは停戦成立後、勝利宣言を行い、直ちにイスラエルの空爆によって家を失ったレバノン国民に対し1人あたり1万ドルという大金を支援したそうです。
こういう資金がどこから流入するのでしょうか。イランでしょうか?シリアでしょうか?
パレスチナ難民ミャンプに入り込んだ「ファタハ・イスラム」に対するレバノン政府軍の攻撃はアメリカの支援も受けていると言われ、普段影の薄い政府軍の存在を示す機会とも考えられているようです。
戦闘が始まってから難民キャンプのパレスチナ人の多くは避難したようですが、難民キャンプに砲弾を撃ち込めたのは当地でパレスチナ人の権利・地位がないがしろにされていることの現われであるという意見もあるようです。
シリア支配時代もヒズボラなどの勢力は温存されるなか、パレスチナ人の武装勢力は武装解除され、パレスチナ人は無権利状態においやられたとの意見も。
“アラブの大義”などと言いつつも、現実にはまたいろんな事情があるようです。
写真は昨年12月、首都ベイルートで行われたヒズボラの示威行動に参加した女性
(“flickr”より By dxspace)