孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー 軟禁が続くスーチー

2007-07-01 14:51:46 | 国際情勢


写真は今年正月に2回目のミャンマー旅行をした際のもので、古都マンダレー最大のお寺マハムニ・パヤー境内。
功徳を積むための放鳥用の小鳥が籠に入れられています。
アジア各国で見る風景ですが、ミャンマーではフクロウがよく使われているみたいでした。

先月26日、米国務省高官がミャンマー軍事政権の高官と北京で会談し、自宅軟禁下にあるミャンマーの民主運動家アウンサン・スーチーの解放を求めたそうです。
会談は中国の仲介で行われ、両国の高官会談は異例のことだそうですが、ミャンマー側は解放の要求に応じる姿勢を見せなかったそうです。
もともとこの会談はミャンマー政府の要請で開かれたもので、米国側がその条件としてスーチーとの面会を求めたため、ミャンマー側の希望によってヤンゴンではなく北京での開催となったとのこと。

「ビルマ建国の父」とされるアウンサン将軍の娘で、長く外国生活(日本を含む)をしていたスーチーは88年母親の看病のため帰国。
1962年から軍政が続くミャンマーでは、88年に民主化運動が高揚、スーチーもこの運動の先頭にたちましたが、軍政側は激しく弾圧。
数千人の死傷者が出たとも言われています。
89年にはスーチーは自宅軟禁となりますが、90年の総選挙でスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が議席の8割を占める圧勝。
政権側はこの選挙結果を認めず、以来2回の軟禁中断(行動の制限付きですが)をはさみ拘束が続いています。

ミャンマー軍事政権の人権侵害としては、政治活動者の逮捕・拷問、公務員に対する思想調査、弁護人抜き裁判、国民の強制労働、強制移住などがあげられています。
この人権侵害は国際的に厳しく批判され、97年からアメリカは新規投資の禁止という経済制裁を実施しています。
関係の深かった日本の新規投資も減少しています。
97年のアジア通貨危機の経済混乱、経済制裁によってミャンマー経済は疲弊していますが、このような国際的孤立のなかで政治的・軍事的には中国と接近。
(経済的にも中国製品が大量に流入しているようです。)
最近では、ラングーン事件(83年ミャンマー訪問中の韓国要人を爆殺した北朝鮮のテロ)以来冷え切っていた北朝鮮とも関係を改善しつつあるようです。(今年4月には国交回復で合意)
アジア世界で孤立を深める両国が助け合おう・・・ということのようです。

北朝鮮がミサイル・原爆を外交カードとして使うように、ミャンマー軍事政権もスーチー解放を“活用”して高まる外国の批判をかわすことがあるようです。
今回のアメリカとの会談は表向き上記のようなことしか伝わっていませんが、経済的に苦しいミャンマーとしてはこのカードをちらつかせながら、いろいろ交渉したのではないかと思われます。

アジア仏教国ではお寺の境内などで、籠に入れられた多くの小鳥がよく見られます。
何がしかのお金を払って小鳥を解き放ってあげることで功徳をつむという訳です。
もっとも、この小鳥はすぐまた捕まえられて、まだ籠に入れられるとも言われます。
なにやらスーチー軟禁・解放にも似た話のようにも思えます。

スーチーが実際どのような実務能力を発揮できるかはわかりませんが、アウンサンの娘、才色兼備ということもあってカリスマ性は抜群です。
彼女を野に放てば90年選挙のように、恐らく軍事政権は長く持たないでしょう。
従って軍事政権側が彼女を完全にフリーにすることは当分ないのでは・・・。

展望が開けないなかで、スーチーのいない野党NLDにおいても、このまま政治の枠外におかれると結局軍政の思いどおりの新憲法・国家体制ができてしまうあせりから、軍政の進める新憲法準備に加わっていこうする勢力も出てきて分裂の危機を迎えているそうです。

日本の対応、ミャンマー旅行で感じたことなどは長くなるので、明日以降に。

コメント
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