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(ブエノスアイレスの“のみの市” 左上の肖像がエビータ さすがに美人です。 “flickr”より By RandBy22 )
地球の裏側、アルゼンチンの話。
普段あまり馴染みのない国で、キルチネル大統領の名前も初めて知りました。
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28日に実施されるアルゼンチン大統領選で、中道左派の現大統領、ネストル・キルチネル氏(57)の妻、クリスティナ・フェルナンデス上院議員(54)の勝利が確実な情勢になっている。世界的に珍しい選挙による夫から妻への政権継承。キルチネル夫妻の戦略と狙いにはさまざまな憶測が飛んでいる。【10月23日 毎日】
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アルゼンチンでは大統領の再選は認められており、まだ若いキルチネル大統領が何故妻に職を譲るのか?
アルゼンチン政界でも謎だそうで、指摘されているのは「長期政権戦略説」だそうです。
妻が1期務めた後は、夫が再登板し、その後、再び妻が大統領にという筋書きで、4期16年の「キルチネル夫妻政権」を狙っているというものです。
妻クリスティナは政治経験も豊富で、“夫は臨時政権で、妻のほうが本格政権になるかも”との見方もあるようです。
このように言えばすぐに思い出すのはアメリカのヒラリー・クリントンですが、ご本人達は別の人物をイメージしているようです。
それが、アルゼンチンでは“伝説”となっている“エビータ”ことエバ・ペロンです。
エビータは有名なミュージカルにもなっており、日本では劇団四季が公演しています。
(10年ほど前に私も観ました。芝居としての印象は、いまひとつの感がありました。)
マドンナが演じた映画もありますが、こちらは観ていません。
******エビータ伝説*****
自らの美貌と性を武器にさまざまな職業遍歴と男性遍歴を繰り返し、そこで出会った男たちを踏み台として出世。ラジオドラマの声優や映画女優として活躍。
軍事政権の大物フアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会う。
ペロンの愛人として、自身のラジオ放送番組によってペロンの民衆向け政治宣伝を担い、貧富の差が大きかったアルゼンチンで、貧しく教育を受けていない労働者階級から“エビータ”の愛称で大きな支持を得た。
クーデター、受刑、釈放などの曲折を経て(エビータはペロンと正式に結婚し、二人目の妻となる。)、1946年ペロンはアルゼンチン大統領に就任。
ファースト・レディとなったエビータは国政に積極的に参加。
慈善団体を設立し、労働者用の住宅、孤児院、養老院などの施設整備に務め、また、労働者による募金でミシン、毛布、食料などを配布。
また、支持母体正義党の婦人部門を組織するなど、ペロン政権の安定に大きな貢献をした。
47年には婦人参政権を実現。
反面、選挙で選ばれたわけでもない彼女の公私混同とも言える活動や、その「ばら撒き」とも言える無軌道な政策に疑問を持つ向きも多かった上、財団を利用した蓄財や汚職の疑いも受けている。
貧しい民衆からは絶大な支持があったものの、特に白人富裕層からはひどく嫌われ、その経歴から「淫売」、「成り上がり」と非難を受けた。
52年、子宮がんにより33歳の若さで死去。
なお、“サンタ・エビータ(聖エビータ)”と呼ばれることもある。
現在もブエノスアイレスに彼女の遺品を集めた博物館がある。
【ウィキペディアより抜粋】
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大統領を目指すクリスティナは、上院議員選でエビータの写真を選挙キャンペーンに使うなど、これまで何度もエビータ人気にあやかろうとしてきたそうです。
また最近でも、夫がクリスティナを褒めるとき、たびたびエビータをたとえに出すほどだとか。
もっとも、貧しさから這い上がったエビータと違って、クリスティナはお金に不自由しない裕福な家庭の生まれで、「エビータの再来を夢見る国民の期待に応えるには、クリスティナは生まれ変わらなければならないのかもしれない。」との辛辣な評価もあるようです。
もう一度ペロン、エビータに話をもどすと、エビータの死の3年後、55年ペロンは軍部クーデターで追放されフランコ将軍のスペインに亡命します。
そこでナイトクラブ歌手のイサベル・ペロン(3番目の妻)と再婚します。
(当時ペロンが66歳ぐらい、イサベルが30歳ぐらいでしょうか。)
政治的にはアルゼンチンに支持者が残っており、亡命から18年ほどたった73年、当時の大統領辞任に伴い帰国。
選挙に勝利して2回目の大統領に就任、妻イサベルは副大統領に。
しかし、ペロンは1年後の75年に病死、イサベルが世界初の女性大統領に昇格します。
イサベルは強権的な体制を敷き、反政府派を弾圧。
更に多数の人権活動家を投獄、殺害するなどし、結局76年3月に起きた軍事クーデターで解任されます。
当時はペロンの支持基盤が分裂状態にあったこと、世界的にオイルショックの時代で超インフレに巻き込まれるなどの不利な背景もありました。
逮捕され、横領罪で5年間収監。
釈放後はスペインで静かに余生をすごしていましたが、2007年になって、民主化を達成したアルゼンチン政府は、反政府派の人権活動家の殺害を指示した罪状でイサベルを国際手配。
07年1月、マドリードで逮捕されました。
腰の骨折で入院していたイサベルは、高齢(現在76歳ぐらい)のため15日おきに出頭することを条件に保釈されましたが、今後はアルゼンチンへの引き渡しの可否をめぐる審理が行われる見通しとか。【ウィキペディアより抜粋】
ナイトクラブ歌手から副大統領、更に世界初の女性大統領というのは“凄い”としか言いようがありません。
それだけに、晩年の国際手配・逮捕は、自分の犯した罪の償いではありますが、哀れを感じるところがあります。
全くの想像ですが、「エビータだったら・・・」という伝説と化したエビータの影との戦いの日々だったのではないでしょうか。
エビータ以上に波乱万丈の人生です。
それにしても、アルゼンチン国民が優しいのは若くて美しい女性だけのようです。