
(パラグアイ新大統領に就任したルゴ氏 元司教ですから人間的には素晴らしい方のようです。 あとは政治家としての資質・力量ですが。“flickr”より By Fernando Lugo APC
http://www.flickr.com/photos/fernandolugoapc/2769526660/)
【「解放の神学」とポンチョの穴】
南米パラグアイでは、4月20日に大統領選挙が実施されました。
元カトリック教会司教ルゴ氏の中道左派政権が誕生するか、60年以上におよぶ右派コロラド党政権が継続してパラグアイ初の女性大統領が誕生するかが注目されましたが、中道左派のルゴ氏が右派コロラド党政権に終止符を打つ歴史的勝利を収めました。
そのルゴ新大統領の就任式が8月15日、首都アスンシオンで行われました。
“AP通信によると、同氏は大統領報酬月額約6000ドル(約66万円)を「私には必要ない」として、貧しい人々のために寄付することを表明した。任期は5年。
ルゴ氏は聖職者時代、カトリック教会の左派思想とされる「解放の神学」に傾倒。就任式には、ノーネクタイで素足にサンダルばきという聖職者時代と同様のスタイルで臨んだ。演説では「社会的に正しく、飢えのないパラグアイを目指そう」と呼びかけた。”【8月16日 毎日】
ウィキペディアによると「解放の神学」とは、「キリスト教社会主義の一形態とされ、民衆の中で実践することが福音そのものであるというような立場を取り、多くの実践がなされている。・・・・・解放の神学は特に社会正義、貧困、人権などにおいてキリスト教神学(概ねカトリック)と政治的運動の関係性を探る傾向を持つ。・・・・・・」とのことです。
民衆の心を捉える宗教家は、多かれ少なかれ、貧困などの困難に満ちた現実世界の変革者としての側面も持っているのではないかと思っていますので、上記のような立場はそうした宗教の原点に近いものがあるようにも見えます。
ただ、バチカンは拒否しているようですが。
新政権は保守から左派まで多様な政治勢力が結集した連立政権で、そのかじ取りが新大統領の当面の課題になると見られていますが、早速閣僚人事をめぐって、保守系・真正急進自由党と左派勢力の間の不協和音も報じられています。
ルゴ氏は中南米の伝統的な貫頭衣「ポンチョ」にたとえ、「私は左派でも右派でもない。ポンチョの穴と同じように真ん中だ」と話しているそうです。【8月17日 毎日】
【左派政権で埋め尽くされるアメリカの裏庭】
それにしても、中南米における左派政権の勢いは未だ衰えないようです。
南米だけでも、1998年に発足したベネズエラのチャベス政権以来、2003年にはブラジルのルラ政権とアルゼンチンのキルチネル政権、05年にはウルグアイのバスケス政権、さらに06年にはボリビアのモラレス政権、チリのバチェレ政権、ペルーのガルシア政権、エクアドルのコレア政権、07年にはアルゼンチンでキルチネルの妻のフェルナンデス政権と次々に大統領選挙で左派政権が誕生しています。
“コロンビアの親米ウリベ政権以外は全部”と言ったほうが早いような状況です。
中米でも老舗のキューバのほか、ニカラグアや今年1月に54年ぶりに左派政権が誕生したグアテマラなどありますが、正直なところ、カリブ海の国々には初めて聞く名前の国も多く、政治体制なども全く知りません。
左派政権と一口に言っても、従来からの社会主義思想にのっとったキューバ(最近変革も伝えられますが)、穏健な社会民主主義路線のブラジル・アルゼンチン・チリ・ウルグアイ、反米を強く打ち出すポピュリズム的なベネズエラなど、そのタイプは様々です。
中南米の左派政権拡張については多くの識者の分析等がありますが、左傾化のきっかけは90年代に米国が主導する国際通貨基金(IMF)が各国に押しつけた新自由主義政策にあるとする意見が多いようです。
新自由主義政策のもとで民営化や規制緩和・外資導入を過度に進めた結果、地場産業が崩壊し、失業が増大して格差が拡大した・・・この事態への反動が左派政権増加の土台にあると言うものです。
パラグアイで見ると、1/3から半分の国民が貧困に喘いでいると見積もられています。
また、“上位10%の人間が国富の43%を牛耳るが、下位10%の人間はわずかに0.5%にすぎない”、“10%の人口が国土の66%を所有し、その一方地方の人口の30%は土地を持っていない”という不平等があります。【ウィキペディア】
新自由主義改革により解決し得なかった貧困や失業などに対処するためには、社会政策を重視する「社会民主主義」が都合がよかったとも言えます。
このような動きを肯定的にとらえる立場からは、“アメリカの裏庭”という言葉が含意するアメリカ支配からの独立、「スペインの植民地支配からの解放につぐ第二の独立革命」といった表現もあるようですが、ベネズエラ・チャベス大統領は「植民地からの解放と南米の連帯」をかかげた“ボリバルの夢の実現を”と呼びかけています。
アメリカへの反発は、冷戦時代にアメリカがこの地域にたびたび介入し、多くの国に軍事政権が生まれ、思想の弾圧や虐殺などが繰り返されてきたという過去の歴史によるところも大きいように思われます。
【Dr.フランシスと日系移民】
さて、パラグアイですが、名前こそは知っていましたが殆ど馴染みがない国で、ざっとウィキペディア等で国情を見てみました。
独立は以外に早く1811年ですから、日本がまだ太平の眠りをむさぼっている頃です。
私が持ち合わせている19世紀から20世紀の世界の歴史は、日本周辺国と欧米列強に限定されており、当時ラテンアメリカがどのような状況にあったかなんて情報はスッポリ抜け落ちていることを改めて感じました。
パラグアイの近代史では、19世紀に長期独裁政治を行った“Dr.フランシス”などは興味深い人物です。
もとより現代的な人権とか民主化とは無縁の、反対する者は容赦なく処断する恐怖政治ではありますが、全国の公有地化を実現し、グアラニー族(先住民)とクリオージョ(南米生まれの白人)の集団結婚を政策的に推進して混血メスティーソを生み出し(クリオージョの反乱を防ぐためとか)、鎖国・保護貿易政策で列強による支配を防ぎ、国内産業の発展を導く・・・など、当時としては非常にユニークな政策を断行したようです。
神学を修めたまじめな性格の人物のようですが、この手の人物は現実に妥協することがないので怖いところもあります。
パラグアイと日本とのつながりとしては、日系移民7000人の存在があります。
「パラグアイにおける日本人移住の歴史」(http://federacion.hp.infoseek.co.jp/inmigracion/inmigracion.html)に詳しく紹介されていますが、他の南米移民同様、苦難の歴史があったようです。
しかし、その厳しい条件の中、日系移民が数々の困難に立ち向かい、原生林を切り拓いた実績は、パラグアイにおいて“勤勉な日本人”という印象を与え、その後の日本人移住者に対する大きな信用を形成しているそうです。特に、大豆や小麦生産・輸出で日系移民は大きな貢献をなしています。
南米はやはり距離的に遠いので旅行には時間もお金もかかるため、また、一部の国は治安がよくないとの噂も聞くため、なかなか行く機会がありません。
リタイアして時間がとれるようになったらいつかは・・・。