(大津波後、インドネシア・アチェで被災した子供のおもちゃを渡すアメリカ海軍兵士
こういう支援は心温まるものです。
“flick”より By simminch
http://www.flickr.com/photos/chucksimmins/2947957298/)
インド洋大津波から5年を迎えた26日は、各地で追悼式典が行われました。
****インド洋大津波5年、冥福祈る インドネシアなど各地で式典*****
大津波でインド洋沿岸諸国の計22万人以上が死亡・行方不明となった04年のスマトラ沖地震から26日で5年を迎え、インドネシア・アチェ州やタイ、スリランカなど各地の被災地では犠牲者の冥福を祈る追悼式典が開かれた。約17万人が犠牲になった最大被災地アチェ州では、州都バンダアチェの海岸近くでの追悼式典に副大統領らが参加。復興への誓いを新たにした。
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【「援助依存症」】
総体的には、インドネシア・アチェなど被災地では、日本を含めた各国・国際機関・NGOなどの支援で復興が進んでいます。こうした大規模災害においては、国際支援は絶対に必要不可欠なものですし、それによって復興が進展するのは喜ばしいことです。
ただ、細部を見ていくと、いろいろな問題点も浮かんできます。
ひとつは、巨額の支援金に住民が頼りきってしまう「援助依存症」とも言うべき現象です。
援助を期待することで、自主的・自立的な生活再建が阻害されてしまうこともあるようです。
こうした「援助依存症」は災害援助だけに限らず、例えば紛争地における難民支援などでも、国際支援が行き届いた難民キャンプの生活に満足してしまい、なかなか難民キャンプからの帰還が進まないといったこともよくあります。
3年ほど前、スリランカ旅行中、ニゴンボの海岸で自称ガイドの男性から津波被害への寄付をせがまれたこともあります。
現実生活の厳しさを考えると、人間心理から十分に理解できるところですが、支援・援助はいつまでも続くものではないので、依存に陥らないような観点からの支援が必要になります。
【半分近くが「使途不明金」】
支援する側からすると、巨額の支援金が本当に住民のために使われているのだろうか?・・・という疑念もあります。
****インド洋大津波から5年、汚職に消える義援金と進まぬ復興*****
2004年に発生したインド洋大津波から、26日で丸5年を迎える。
被災国の1つであるスリランカは、国際社会から数十億ドルの復興支援を受けたが、その半分近くが「使途不明金」となっているという。
ヤシの木に覆われたラトガマ村に住む漁師の妻で、2児の母親でもあるプラデーパさん(26)は、いまだに家を再建する資金を受け取っていない。「義援金はわたしたちには一銭も回ってこない。政府は約束を破った」
津波が襲ってきた時、プラデーパさんは家がつぶされる直前に、寝間着姿でいくつかの宝石類だけをつかんで逃げた。仕方なくプラデーパさんはこれらの宝石を売り、援助金で家を建てることのできた津波生存者からレンガ造りの家を35万ルピー(約70万円)で購入した。
こうした話は、スリランカではありふれている。
■多額の使途不明金、口つぐむ役人ら
3万1000人が死亡し100万人が家を失った津波の復興資金として、スリランカ政府は、日本や世界銀行、国連機関などによる支援22億ドル(約2000億円)に加え、慈善団体や個人などからも多額の寄付金を受けた。
しかし、世界各国の汚職実態を監視する非政府組織(NGO)「トランスペアレンシー・インターナショナル」は、このうち10億ドル以上が「使途不明」になっていると指摘する。
復興初年度に行われた初回の政府監査では、援助額のうち実際に使用されたのは13%以下という結果が公表されたが、それ以後、公式な会計検査は一切行われていないという。「政府が他の目的に使用したとみられるが、役人は報復を恐れて口を閉ざしている」(担当者)
■復興に地域格差、紛争の傷深く
スリランカ国家住宅開発庁によると、前回07年に行われた国勢調査では、仮設住宅に暮らす人は8865人、住宅再建件数は当初の予想を2万軒上回る11万9092軒だった。
だが、多数派のシンハラ人が多く居住する南部では住宅が供給過多なのに対し、反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)と政府軍との紛争が絶えなかった北部と東部では、ビニールで覆っただけの仮小屋に暮らす少数派タミル人の姿がよく見られる。
37年間続いた激しい武装闘争は今年5月に終結したものの、紛争は復興の遅れをもたらした。(後略)【12月25日 AFP】
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災害地・紛争地への国際支援が、一部権力者の懐に消えていくというのは論外ですが、残念なことに、そうした論外なことが広く散見されるのも現実です。
【復興で共存へ】
スリランカにおける復興の支援格差は、意図的に北部・東部のタミル人居住地域が遅らされたというよりは、LTTEとの紛争で、そこまで配慮できなかったと好意的に解釈しておきましょう。
内戦も5月に終了し、政府の難民キャンプからの移動制限も12月に解除されましたので、これからは本格的な復興・共存への取り組みがスリランカ政府には求められます。
大津波災害、紛争被害からの復興を強力に推し進めることは、長年の紛争で生じたシンハラ・タミル両民族の心の垣根を取り除く、共存に向けた第一歩となるはずです。
恐らくそれは、LTTEとの武力闘争以上に、困難な闘いでしょう。
現政権・次期政権に、この戦いを行う意思と能力があればいいのですが。
インド洋大津波で最大被害を出したインドネシア・アチェでは、それまで長年続いていた反政府勢力と政府の抗争が、津波からの復興を目指して、和平合意に転じたという事例もあります。
【技術支援のメインテナンス】
物による支援を行う場合、その技術が現地でメインテナンスできるものでないと、結局、故障したらそのまま打ち捨てられることにもなります。
そうした無駄になった援助事例もよく耳にするところです。
****タイの津波観測用ブイ、電池切れで稼働せず*****
23万人以上の死者・行方不明者を出したインド洋大津波の後、タイ南部のアンダマン海沖に設置された津波観測用のブイが、電池切れのまま放置され、今年9月のインドネシア・スマトラ島沖地震でも感知できなかったことが分かった。
ブイは、26日の津波5年を前に急きょ交換されたが、ずさんな防災管理体制が露呈した。
ブイは2006年12月、米国の協力を得たタイ政府が、プーケットの西約1000キロの海上に設置した。津波を感知すると、衛星通信経由で米ハワイの太平洋津波警報センターに信号が送られ、連絡を受けたタイの国家災害警報センター(NDWC)が、海岸沿いに100基以上ある警報サイレンを鳴らす仕組みだ。
だが、政府筋によると、NDWCは、電池に寿命があること自体を把握しておらず、今年7月を最後にブイは全く稼働しなかったという。NDWCの担当者、サラン・タパサット氏は、「維持管理が必要だった」と認めた。
観測ブイは、早期の津波探知と住民避難のカギとなる装備と見なされていただけに、おざなりな管理体制は5年前の大津波の記憶が早くも風化しつつある状況を浮き彫りにした。【12月26日 読売】
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“電池に寿命があること自体を把握しておらず”というのは、いかにもお粗末です。