(今年5月頃のスリランカ難民キャンプ “flickr”より By tamil 4
http://www.flickr.com/photos/38203728@N05/3571124545/)
【難航も予想される国内避難民の再定住】
スリランカでは、今年5月、少数民族タミル人武装組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」支配地域を政府軍が壊滅させる形で、25年にも及ぶ内戦が終結しました。
当然、この間多くのタミル人避難民が発生しています。
スリランカ政府は、内戦終結後も、タミル人避難民の中にLTTEの残党や親族が紛れ込んでいる可能性があるとみて、避難民13万6000人を収容した政府の難民キャンプについて、その周囲に有刺鉄線を張り巡らせるなど、厳重な監視下で収容を続けてきました。
内戦終結から半年あまり、多くの避難民が依然、移動の自由を制限されていることには国際社会の批判が強く、11月19日には、国連人道問題調整事務所(OCHA)のジョン・ホームズ所長(国連事務次長)が、避難民の移動の自由を政府に改めて要請
こうした批判を受けて、スリランカ政府は11月21日、12月1日から避難民の移動制限を解除することを発表しました。【11月21日 読売より】
避難民問題でラジャパクサ大統領の顧問を務める実弟のバシル・ラジャパクサ国会議員は、「避難民は今後、内戦中に敷設された地雷除去の済んだ地域に再定住できる」と述べていますが、戦場となった北部のタミル人居住地は荒廃、地雷が残る地域もあります。
国内避難民の再定住は、25年以上に及んだ内戦処理の最重要課題で、スリランカ政府は来年1月末までに全員の帰還を完了させる方針ですが、難航も予想されています。
【難民鎖国日本で初のスリランカ難民認定】
避難民の一部は海外にも向かいます。日本にも来ていますが、海外から“難民鎖国”とも呼ばれる日本での難民認定は非常に難しいのが実態です。
その日本で、スリランカ出身としては初めて難民認定された男性がいることが報じられています。
****スリランカ難民:日本政府、初認定 国情不安で申請急増****
茨城県に住む50代のスリランカ人男性が今年8月下旬、同国出身者で初めて日本政府に難民認定されたことが分かった。内戦激化で同国出身者の申請は昨年までの3年で急増しているが、過去一人も認定されず、国際的には「閉鎖的な難民行政の象徴」とされてきた。国際貢献の拡大につながるか注目される。(中略)
男性はタミル人で、LTTEへの協力を拒否して脅され、06年7月に日本へ逃れた。
同国出身者の申請は、06~08年に各27、43、90件と急増。昨年はミャンマー、トルコに次いで多かった。入国管理局(入管)は06年以降、難民の出身国についてプライバシー保護と外交関係を理由に、ミャンマー以外は公表していない。昨年は申請1599人に対し、ミャンマーの54人を含む57人を認定した。
だが認定率の低さと近年のミャンマーへの偏りについて、グテーレス国連難民高等弁務官は先月の来日時に日本政府に改善を申し入れた。近年はスリランカ難民への対応が国際問題となり、国際人権団体がタミル人への人権侵害を告発している。【12月21日 毎日】
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今回難民認定された男性は、「タミル人は、脅迫されても被害を警察に申告できない状況だ。内戦終結後も民族対立が終わる見通しはない」と語り、受け入れに尽力した支援者や日本政府への感謝の気持ちを表しています。
****スリランカ難民:日本政府初認定 家族を呼び寄せるのが夢 支援者、日本政府に感謝*****
男性は元公務員で、コロンボ近郊に多数派シンハラ人の妻と、今は10代の長女、長男と4人で暮らしていた。シンハラ人中心の政府軍と、タミル人中心の反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の民族紛争が激化した06年4月ごろから、食料や隠れ家などをLTTEに要求されるようになった。断ると「家族ともども殺す」と脅された。「タミル人はLTTE協力者だ」という偏見が強まっており、警察に被害を申告できなかった。
同年7月、1人で短期滞在ビザを取得し、日本に入国した。ブローカーが用意した千葉県の農家に住み込み、働いた。日本での難民申請方法を調べ、入国管理局に出頭しようとした矢先の07年6月、不法滞在を理由に警察に逮捕され、入管施設に収容された。不眠や頭痛、高血圧に苦しみながら、翌月に難民申請した。
認定で在留特別許可(定住)を得て、健康を取り戻した。今も母国ではタミル人がLTTEの残党に金を要求される事態が続いており、「二度と戻れない」と残念がる。「家族を呼び寄せるのが楽しみ。平和な社会で子供たちに教育を受けさせたい」と夢みている。【12月21日 毎日】
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スリランカでは、ラジャパクサ大統領が任期を約2年残しているものの、戦勝ムードに乗って選挙を前倒しする意向が伝えられています。
対立候補としては、05年12月に陸軍参謀長に就任して以来、少数派タミル人の武装組織LTTEに対する強硬策を指揮したフォンセカ氏の名前があがっています。
フォンセカ氏は、内戦終結を自らの政治的成果として誇示するラジャパクサ大統領との関係が悪化し、名誉職的な新設ポストの政府軍参謀長に異動になり、その後辞任しています。
どちらが大統領になっても、タミル人にとっては厳しいものがありそうです。
そうした政治状況から、日本への難民申請がさらに増える可能性があることも指摘されています。
【1~9月は15人】
日本の難民認定については、これまでも“難民鎖国”と呼ばれる状況でしたが、今年は更に厳しくなっていることが報じられています。
****難民認定3分の1に激減 1―9月、申請は最多に****
日本で難民認定を申請する外国人の数が今年1月から9月まで、過去最多だった昨年同期を上回ったのに、認定された人数は約3分の1にとどまったことが20日、分かった。難民支援者は「海外から“難民鎖国”といわれてきた状態がさらに悪化しているのでは」と懸念する。
法務省の資料によると、1~9月の難民申請者は計1123人で、2008年同期の1100人を超えた。これに対し、法務省に難民と認められたのは1~9月は15人と、08年同期の46人を大きく下回った。一方、難民とは認定されなかったが、人道に配慮して在留を特別に許可されたのは1~9月は399人で、08年同期の293人から急増している。
関係者によると、10月以降は申請者数の伸びにブレーキがかかる一方、認定者数は増えているもようだ。
認定者数の減少について、法務省入国管理局は「難民に該当するかは個別に判断しているので、多くなる年も少なくなる年もある。認定・不認定の結果が出るまでに平均1年以上かかっており、申請者数が増えてもすぐに認定者数に反映されるわけではない」と話す。
人権団体のアムネスティ・インターナショナル日本は「認定者数があまりにも少ない。(認定者15人のうち)不認定処分に異議を申し立てて認められたのはわずか3人で、制度が機能していない」と批判している。
難民申請者は08年、07年の約2倍の1599人に激増。外務省による生活支援の予算が一時底を突き、申請者が収入源を失うなど混乱した。増加の主な原因は、申請者が多いミャンマー(旧ビルマ)などの治安情勢の悪化とみられる。【12月20日 中国新聞】
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文化を異にする難民受け入れが様々な難しい問題をもたらすことは間違いありませんが、さりとて、ほとんど門戸を閉ざしたような現在のあり様は、人道的にも、国際社会の中で生きる日本の国益の観点からも、改善が望まれます。
難民受け入れにあたっては、日本語教育が日本社会に溶け込めるかどうかのカギになります。
****日本語教育不十分で困窮 インドシナ難民調査****
日本が受け入れたインドシナ難民は、来日後の日本語教育が不十分だったため、今も厳しい生活を強いられているという実態が27日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所が研究者グループに委嘱した調査で明らかになった。
政府は2010年秋からタイの難民キャンプで暮らすミャンマー難民の受け入れを始めるが、研究者グループは「定着には十分な言語教育が不可欠」と訴えている。
日本は1978〜2005年にインドシナ難民計約1万1千人を受け入れた。調査は08年、ラオス、ベトナム、カンボジア出身の1世を中心に217人に面接した。
調査報告書によると、大多数は欧米への移住を希望していたのに日本行きが決まり、日本語を学ぶ意欲が弱かった。来日後の政府による支援も3〜4カ月の日本語教育などだけで、しゃべれるようにはならず、低賃金の仕事にしか就けなかった。現在も日本語が不自由なことから帰化をあきらめる人がいるという。【12月27日 秋田魁新聞】
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【スリランカに行ってきます】
今日から年末・年始の6日間、スリランカの南西海岸・ゴールを旅行します。
今日の深夜、日付が変わる頃コロンボ到着の予定です。
6日間とは言っても、現地に滞在できるのは4日ほど。ほとんど“弾丸トラベル”です。
それでも、海辺のヤシの木陰で風に吹かれれば、少しは気分も変わるかも・・・と思った次第です。
そんな訳で、しばらくブログ更新が難しいかもしれません。