孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ洪水  現地従業員が来日して代替生産の技術指導

2011-12-13 20:22:16 | 東南アジア

(代替生産のため来日し、工場で日本人従業員の作業を見つめるタイ人従業員(左)=神奈川県横須賀市のJVCケンウッド横須賀工場で2011年12月5日、竹地広憲撮影 【12月8日 毎日】)

11月19日 タイ首相、バンコク中心部の安全を宣言
タイの洪水については、先月19日にバンコク中心部の安全宣言が政府から出されましたが、その後、あまりニュースを目にしなくなりましたので、収束に向かってはいるのでしょう。

****タイ洪水、バンコク中心部から水引く 市民が道路清掃****
2011年11月22日 18:53 発信地:バンコク/タイ
50年ぶりの大規模な洪水に見舞われたタイで、首都バンコク(Bangkok)の中心部から水が引き始めた。

タイ首相は19日、バンコク中心部の安全を宣言。バンコク中心部では20日、ボランティアも参加して大通りの清掃作業が行われた。

バンコク郊外や北部工業団地などでも水は徐々に引いているものの、浸水は依然続いている。洪水による死者は19日までに全国で600人を超えた。【11月22日 AFP】
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置き去りにされた社会的弱者
もちろん、地域差もありますし、大きな被害を受けたミャンマー人労働者やイスラム教徒貧困層など社会的弱者の復興は、もともと劣悪な状況に置かれてきたという基本的な問題が根底にありますので、対応も難しいものがあります。

****タイ洪水:長期化でミャンマーからの労働者が苦境****
長期化するタイの洪水で、ミャンマー人労働者が苦境にあえいでいる。
バンコクやその周辺部で、多くの労働者が住居を失い、職場の浸水で失職した。だが、言葉が通じないため避難所になじめず、救援物資はタイ住民に優先的に割り当てられるケースもある。帰国しても安定収入は見込めず、多くのミャンマー人労働者が行き場を失っているようだ。(中略)

タイ滞在中のミャンマー人労働者は100万人以上いるといわれる。建設工事や食品加工など、タイ人が避けたがる肉体労働を低賃金で担い、タイの経済成長を支えてきた。日本の回転ずしに使われる安価なエビを加工するのも大半がミャンマー人とされる。

ただ、ミャンマー人労働者の半数以上は不法労働者だ。サーノンさんの友人の多くも不法労働者だ。タイ当局の摘発を恐れ、狭いアパートなどに身を隠しているという。不法労働者の一部には帰国を希望する人もいるが、タイ当局に国境で拘束される例も相次ぐ。【11月5日 毎日】
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****タイ洪水:バンコク浸水、拡大の一途 排水作戦が裏目、貧困地区水浸し****
 イスラム一家、救援物資も滞り
浸水地域が南方へ拡大し、収束の気配が見えないタイの洪水。タイ政府は、北部から流れ込む水からバンコク都心を守るため、首都の東西に水を誘導する「排水」作戦を始めた。
ところが、排水路上となったバンコクの北西、ノンタブリ県ソンロイ地区は、深さ2メートル近い水につかってしまった。仏教徒が多数派のタイで、人口の5%に当たるイスラム教徒が住民の9割を占めるこの地区で、四方を水に囲まれながら、救援物資を待ち続ける貧しいイスラム一家を取材した。(中略)

地区では、いつも近隣住民が笑顔であいさつを交わし、困った時は助け合った。しかし、洪水が平和な農村を一変させ、今近隣に残るのは数世帯だけになった。「長女は十分に動けないし、当面の移動や生活に必要なお金もない。私たち貧しい市民は一体どうすればいいのか」。カニカさんの訴えは切ない。

頼りはボートで運ばれる軍や市役所の救援物資だけだが、カニカさんの自宅は大通りから離れ、支援の手が届きにくい。政府は、洪水をバンコク東西に分散させ、首都防衛を図っているが、その影響で東西の浸水対策は後回しとなり、被災者救援は十分ではない。
胸まで水につかりながら物資の配給場所まで歩く日々。何とか飲料水や食料を受け取ると「絶望の中でもアラー(神)のおかげで助かった」と感謝する。

しかし、物資配給も途切れがちになってきた。一向に引かない茶色い汚水を見つめながら、カニカさんは「今あるものを分け合って暮らすしかない。一体いつまでこんな状況が続くのだろうか」と途方に暮れている。【11月10日 毎日】
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7日現在で33社の2023人が来日
一方、日本企業の現地工場が大きな被害を受け、その生産活動が停止していること、また、一部企業は日本での代替生産を始め、生産の止まった現地工場のタイ人従業員を日本へ呼び寄せていることも報じられています。

****タイ洪水:現地従業員が来日…代替生産支える2000人****
タイの大洪水で被災した日本企業の工場で働くタイ人従業員が、政府の特例措置で次々に来日している。2カ月近く工場の操業が停止する中、作業に慣れた現地従業員を受け入れて一刻も早く日本での代替生産を軌道に乗せるのが狙いだ。法務省によると、来日者は既に2000人を超えており、さらに増える見通しだ。

「サワディーカップ(こんにちは)」。映像機器を生産するJVCケンウッド横須賀工場(神奈川県横須賀市)では5日、タイ人従業員約30人が初出勤。日本人従業員らとあいさつした後、企業向け監視カメラを生産する作業に入った。
来日したのは品質検査や生産ラインの担当者ら。同工場では約15年前から生産のタイ移転を進めており、今回代替生産する製品も国内では既に作っていなかった。

このため同社は、作業に慣れたタイ人従業員を呼び、代替生産のために新たに契約した約160人の日本人派遣社員の指導的な役割を担ってもらうことにした。来年1月にはタイの工場と同様、約70品目を月に計5万台生産する方針で、落合信夫常務は「現地従業員の技能を反映させ、少しでも早く製品を顧客に届けたい」と語る。

同社は慣れない日本の冬対策に社内で防寒具の無償提供を募ったり、専属通訳を雇うなどしてタイ人従業員を全面的に支える。製造工程管理者のポングサック・プロムクンさん(40)は「気候の違いやコミュニケーションが不安だったが、防寒具や手引書がそろっているので安心した。世界で商品を待つ人のために頑張りたい」と意気込む。

住宅設備大手の住生活グループは、被災したタイのアルミサッシ工場から最大1000人程度を12月中に首都圏の十数カ所の工場へ受け入れる。代替生産を急ぐため、同じラインで働いていた従業員を即戦力として呼び寄せる。工場近くの提携マンションや寮を準備し、管理会社の専任担当者が生活の手助けをするという。

このほか、カメラ工場が被災したニコンも5日からタイ人従業員の受け入れを開始。12月中に宮城や栃木などの工場で計約300人を受け入れ、カメラ本体やレンズの代替生産を加速させる。昭和電工も栃木県の自動車関連部品工場に約120人を受け入れた。ロームも約180人を順次受け入れるほか、車載用電子部品工場が被災したオムロンも約20人の受け入れを検討している。

今回の受け入れは、企業にとっては「現地工場の操業停止で、優秀な人材が他社に流れてしまう」(あるメーカー)ことを防ぐ意味もあるという。今回の措置は、タイ洪水を受けた特例措置で、確実に帰国させることなどを条件に半年間の就労が認められる。法務省によると、7日現在で33社の2023人が来日。査証(ビザ)発給申請の事前相談は約70社、約4500人に達している。【12月8日 毎日】
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タイ人従業員が不慣れな日本人派遣労働者を指導
こうしたタイ人従業員を日本に呼ぶという記事は、これまでもしばしば目にしていたのですが、「まあ、仕事がなくなったタイ人従業員の救済にもなるしね・・・」ぐらいの感じでとらえ、タイトルだけで読み飛ばすという感じでした。

昨日のTVニュースでこの話題を取り上げていましたが、それで気付いたのは、呼ばれて来日しているタイ人従業員の多くが日本人派遣労働者の技術指導にあたっているということです。
“技術指導”というと、これまで日本からタイなど東南アジア諸国への一方通行でしたが、洪水による代替生産という事態で、熟練工であるタイ人従業員が不慣れな日本人派遣労働者を指導する、逆方向の技術指導が出現しているとのことでした。

もちろん、タイ人従業員の給与水準がとういう扱いになっているのか・・・とか、上記記事にもあるように「現地工場の操業停止で、優秀な人材が他社に流れてしまう」という“人材囲い込み”対策の側面もあります。
また、基本的に移民に門戸を閉ざしている日本の基本政策のかでは、あくまでも特殊例外措置です。

そうした話はありますが、タイ人従業員に不慣れな日本人派遣労働者が指導を受けるという形で、双方向・対等な関係が一時的・例外的にせよ生まれたこと、そうしたことを受け入れる柔軟性が日本社会にもあるということは、なんだか面白いというか、好ましい印象を受けた次第です。
言葉・習慣の壁を乗り越えて、両国交流の一助になれば・・・とも思っています。

TVニュースのなかで、あるタイ人従業員が「会社あっての、自分の生活ですから」なんて、一昔前の日本人のような話をコメントしていました。

コメント
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