(アメリカ下院外交委員会で「大量虐殺」非難決議がなされ、アルメニアとの交渉も暗礁に乗り上げていた10年3月、トルコのエルドアン首相は「これまで大目に見てきたトルコ国内に10万人いるアルメニア人移民を帰国させるかどうか検討せねばならない」と恫喝しました。なお、トルコでは虐殺を議論することは法律で禁じられているようです。“flickr”より By Ashnag http://www.flickr.com/photos/studioashnag/4445459344/ )
【「虐殺」か「戦乱の中で起きた不幸」か?】
日本も近隣国との間にいくつかの歴史問題を抱えていますが、それぞれの民族感情が背景にあるだけに、解決はなかなかスムーズにはいきません。
イスラム穏健派のエルドアン首相のもと、今や中東の地域大国として存在感を発揮し、「アラブの春」においてもイスラム民主主義の手本と評価されるトルコに対し、隣国アルメニアは、第1次大戦中、約150万人のアルメニア人がオスマン帝国による強制移住の過程で帝国軍に虐殺されたり、病気で死亡したりしたとして、「虐殺」があったとしています。
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第1次大戦中の1915-1917年、オスマン帝国領内の少数派・辺境住民でキリスト教徒が多いアルメニア人は、敵国ロシアと内通し、独立を画策する勢力として強制移住させられ、アルメニア側は150万人が組織的に虐殺されたと主張しています。フランス国会やアメリカ下院外交委員会も、これを「虐殺(ジェノサイド)」と認定しています。
一方のトルコは「虐殺」を拒否し、実際には、アルメニアがアナトリア東部で独立のため武装しロシアの侵略軍を支持した際に、市民間の衝突で30万-50万人のアルメニア人と少なくとも同数のトルコ人が死亡したと主張しており、双方に犠牲者が出た「戦乱の中で起きた不幸」だったとしています。
【09年9月6日ブログ「トルコとアルメニア 「虐殺」問題を乗り越えて、国交樹立へ」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20090906)より再録】
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【仏内アルメニア系有権者に迎合?】
上記ブログでも触れたように、フランスやアメリカでもこの「虐殺問題」は論議されていますが、フランス下院は、22日、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を否定することを禁じる法案を可決しました。
これはアルメニア側の主張に沿うものですが、フランス国内に数百万人いると言われるアルメニア系有権者を対象にしたサルコジ大統領の再選戦略だとも指摘されています。
当然ながら、トルコは即座に反発しています。
****アルメニア人虐殺の否定を禁じる法案を可決、仏下院 ****
フランス国民議会(下院)は22日、第1次大戦中の1915年に起きたオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を否定することを禁じる法案を可決した。違反者には4万5000ユーロ(約460万円)の罰金と禁固1年の罰則も規定されている。
アルメニア側は150万人が死亡したとしている。一方、トルコ側は死者の数は約50万人で、死因は虐殺ではなく第1次大戦中の戦闘と飢餓によるものだと主張し、侵略してきたロシアの側に付いたとしてアルメニア人を批判している。
■外交・経済への悪影響を懸念
法案が可決されればフランスとの外交・経済関係に大きな影響があると警告していたトルコ政府は激しく反発している。
レジェプ・タイップ・エルドアン首相は駐仏トルコ大使の召還を命じ、フランスが航空機のトルコ領空通過やトルコ国内の軍事基地使用を要請してきた場合はケース・バイ・ケースで判断し、フランス軍の艦艇がトルコ国内の港湾を使用したいという要請があっても全て拒絶すると述べた。
エルドアン首相はさらに、1月にパリで予定されている経済関係の会議をボイコットすると述べた。両国の企業関係者は、年間取引額が120億ユーロ(約1兆2200億円)に上る両国間の貿易への影響を懸念している。
エルドアン首相はまた、フランス国内にいる数百万人のアルメニア系有権者に迎合したとニコラ・サルコジ仏大統領を批判するとともに、制裁措置を強化する姿勢を示した。【12月23日 AFP】
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法案の成立には、今後の上院での可決も必要になります。
【頓挫した国交樹立協定締結交渉】
前出【09年9月6日ブログ】でも取り上げたように、トルコとアルメニアの関係には、この虐殺問題だけでなく、アルメニアの隣国アゼルバイジャン領内に居住するキリスト教系アルメニア人の独立をアルメニアが支援・軍事介入し、これにアゼルバイジャンと同じイスラム国トルコが反発してアゼルバイジャンを支援するという「ナゴルノ・カラバフ紛争」も絡んでいます。
トルコとアルメニアは09年、こうした歴史問題・領土問題を乗り越えて、国益を考慮して関係正常化に動き出しました。ただ、当時から先行きの難しさを示してもいました。
****国交樹立合意に調印 トルコ アルメニア 民族対立解決へ一歩****
トルコ、アルメニア両国は10日夜(日本時間11日未明)、スイスのチューリヒで国交樹立をうたった合意文書に調印した。第一次世界大戦中にオスマン帝国下で起きたとされるアルメニア人虐殺問題などをめぐり対立してきた両国は、1世紀近い民族対立の解消に向けて歴史的な一歩を踏み出した形だ。
しかし、両国外相が調印式で読み上げるはずだった声明は事前調整で紛糾し、調印式の開始が大幅に遅れ、双方の確執の根深さも浮き彫りにした。
合意文書には、トルコのダウトオール、アルメニアのナルバンジャン両外相が調印し、クリントン米国務長官、ラブロフ・ロシア外相、ソラナ欧州連合(EU)共通外交・安全保障上級代表らが見守った。
虐殺問題では、アルメニア側が、約150万人がオスマン帝国による強制移住の過程で帝国軍に虐殺されたり、病気で死亡したりしたと主張。これに対して、トルコ側は帝政ロシアの侵略を助けて反乱を起こしたアルメニア人を鎮圧する戦闘で双方に30万人程度の犠牲者が出たとして「虐殺」を否定し、双方の主張は対立したままだ。合意文書には、国際的な専門家委員会の設置が盛り込まれたものの、国交樹立の段階では虐殺問題の結論を先送りした形だ。
また、両国間には、アルメニアがトルコ系のアゼルバイジャン領内のキリスト教住民を支援したナゴルノカラバフ紛争も横たわる。
国交樹立の合意文書は、両国議会による批准を経て発効するが、トルコのエルドアン首相は11日、与党・公正発展党(AKP)の会合で、「アルメニア軍がアゼルバイジャン領から撤退しない限り、トルコはアルメニアとの国境開放について前向きな措置を取ることはできない」と言明。未解決のナゴルノカラバフ問題が国会審議に影響しかねないとの見方を示し、アルメニアとアゼルバイジャンに対し、早急に紛争解決に取り組むよう求めた。
調印式での紛糾は、トルコ外相の声明案にアルメニア側が反発したのが原因で、クリントン国務長官がぎりぎりの調停に入り、3時間以上遅れて調印式にこぎつけたが、両外相の声明読み上げは中止された。両国内には依然、反対論も根強く、国会審議に向けて曲折も予想される。【09年10月12日 産経】
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その後、案の定というか、この問題は暗礁に乗り上げています。
****トルコとアルメニアの和解に危機 国交樹立協定批准凍結****
アルメニアのサルキシャン大統領は先週、隣国トルコと昨年10月に結んだ国交樹立協定について、国会批准を凍結する大統領令に署名した。「トルコは無条件で和解プロセスを進展させる用意がない」と非難している。
オスマン帝国末期のアルメニア人大量殺害の歴史認識の違いを超え、米国の仲介で協定締結までこぎ着けて歴史的な和解を果たすはずだったが、第一歩からつまずく形になった。
トルコは批准の条件として、自国の友好国アゼルバイジャンから分離独立しようとの動きがあるナゴルノ・カラバフ自治州に、アルメニア軍が軍事介入した件で、撤退交渉の進展を要求。アルメニア側はトルコが批准手続きを遅らせていると非難していた。
アルメニアは、第1次世界大戦下の1915年に起きた150万人ともいわれるアルメニア人殺害を「ジェノサイド」と呼び、「戦乱の中で起きた不幸」と主張するトルコと対立。ソ連崩壊後はナゴルノ・カラバフを巡っても対立を深め、93年には両国の国境が閉鎖されていた。【10年4月27日 朝日】
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【アメリカでの「大量虐殺」論議】
このアルメニアの国会批准凍結に先立ち、アメリカの下院外交委員会がオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人迫害を「大量虐殺」と認定して非難する決議案を可決して、トルコ側の反発を買っていました。
****アルメニア人迫害:米外交委が「虐殺」と認定 トルコ反発****
米下院外交委員会は4日、オスマン・トルコ帝国によるアルメニア人迫害を「大量虐殺」と認定して非難する決議案を賛成23票、反対22票で可決した。トルコは、駐米大使に「協議のため」帰国するよう命令。抗議のための事実上の大使召還措置とみられる。(中略)
クリントン米国務長官は3日、同委員会のバーマン委員長に「決議案採決は、両国の和解努力の妨げになる」などと採決の見送りを要請していた。
北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるトルコは米軍にとって、中東やアフガニスタンでの軍事作戦の重要な足場。さらに、トルコは現在、国連安全保障理事会の非常任理事国で、核開発疑惑をめぐるイランへの新たな制裁決議案の採択に慎重姿勢を崩しておらず、制裁に向け各国の足並みをそろえたい米国の戦略に支障が出る可能性もある。
同様の非難決議案は07年にも委員会で可決。反発したトルコがイラク戦争への支援を見直す考えを示唆したため、当時のブッシュ政権が議会側に働きかけて本会議上程は回避された。【10年3月5日】
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このときも、トルコを刺激したくないオバマ大統領サイドの働きかけで、本会議では採決されませんでした。
なお、オバマ大統領は10年4月24日、第1次世界大戦中のオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人虐殺の追悼記念日に際して声明を発表。大統領は就任前の選挙戦では、トルコによるアルメニア人虐殺を“ジェノサイド”と言明していましたが、この声明では「20世紀最悪の残虐行為の一つ」と述べるにとどめています。
【フランス・サルコジ政権の真意は?】
フランスにしても、アメリカにしても、トルコ批判を政権・議会に迫るアルメニア人社会の影響力は大きなものがあるようです。ロビイスト活動が効果的なのでしょうか。
もちろん、“虐殺”を逃れた移民が欧米・ロシア社会に多数生活しているということもあります。
もっとも、「イスラム国家トルコ」対「キリスト教国家アルメニア」という構図が影響していることも考えられます。
フランス・サルコジ政権の場合、先述の「再選戦略」ということもありますが、イスラム国家という異質な存在ながらEU加盟を長年求めているトルコとあまり親しくしたくない・・・という基本的な心情もあるような感がします。トルコが怒って、EU加盟が更に難しくなるなら、それはそれで結構・・・といったところでしょうか。