(マリ北部の反政府勢力と政府軍の戦闘で、東隣のニジェールに避難したマリ難民 約10~20万人が難民となり、国連によれば、ニジェールでは2万5千人のマリ難民が生活しているそうです。 戦闘による混乱だけでなく、昨年の水不足による不作の影響もあります。 “flickr”より By AcnurLasAméricas http://www.flickr.com/photos/acnurlasamericas/6987326317/ )
【マリ 「西アフリカ随一の民主的な国家」】
西アフリカのマリ共和国でクーデターが発生したようです。
****西アフリカ・マリで軍部クーデター 憲法を停止****
西アフリカ・マリの首都バマコで軍部隊がクーデターを起こした。AFP通信などによると、部隊は22日、国家権力を握り、憲法を停止したと国営テレビで表明した。国民に無期限の外出禁止令を出す一方、新たな大統領が民主的に選ばれ、国の調和が戻れば権力を移譲するとしている。
反乱軍はクーデターの理由として、北部での遊牧民トゥアレグ族の反政府勢力との戦闘が泥沼化していることを挙げ、政権を「無能」と断じた。前日に大統領府を武力で制圧し、外相や内相など複数の閣僚を拘束。トゥーレ大統領は銃撃戦が始まってから脱出したとみられる。【3月22日 朝日】
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これだけの記事であれば、「また、アフリカのどこかでクーデターか・・・・」で終わってしまいます。
そもそも、「マリ共和国って、どこだったっけ?」というのが、私を含めた大方の反応でしょう。
マリはかつてフランス植民地だっただけに、AFP(フランス通信社)の記事は、若干詳しいものになっています。
クーデターは、北部での遊牧民トゥアレグ族反政府勢力との戦闘を行っている軍内部における、武器の不足への不満がきっかけとなっており、その背景には、リビアのカダフィ政権崩壊時の戦闘が関係しているとのことで、少し興味も湧きます。
****マリでクーデター、反乱軍が大統領府制圧 憲法停止表明****
西アフリカ・マリの首都バマコで21日、反政府武装勢力への政府の対応に不満を持つ軍の反乱兵士たちが国営放送局を占拠し、さらに大統領府を攻撃した。22日早朝、反乱兵らは「無能な政府」から権力を奪取したと表明し、憲法の停止をテレビで発表した。
反乱兵らは自分たちを「民主主義制定のための全国委員会」と名乗っており、22日午前4時45分(日本時間午後1時45分)ごろ、テレビで「国を守るための武器の不足」および政府がテロと戦う上で「無能」だとの理由で行動を起こしたと説明。国防軍を代表して、軍事政権が「国内の統一と領土の保全が再建でき次第ただちに、民主的に選ばれた大統領に権力を回復することを厳粛に約束する」と主張した。
■背景に反政府勢力との戦い
兵士たちの反乱は21日、首都から約15キロ離れたカチの軍事キャンプで始まった。反乱兵らは、トゥアレグ人反政府勢力「アザワド解放民族運動(MNLA)」と交戦している兵士たちで、最近、政府の対応に不満を募らせていたことから、新たに就任したサディオ・ガサマ国防相が同日、カチのキャンプを訪れた。
しかし、AFPの取材に応じた軍下士官によると、弾薬の補充を求めた兵士らに対し同国防相が納得する対応をしなかったため、空砲を撃つなどの抗議が始まったという。その後、兵士たちは空砲を撃ちながら首都へ向かって進み始め、午後4時30分(日本時間21日午前1時30分)ごろ国営放送局を占拠。放送はその後数時間、何も映らない状態だったが、午前0時をまわる間際に音楽ビデオが流れ、まもなく「兵士たちによる宣言」を放送するとの予告があった。
大統領府では夜に入っても銃声が続いていたが、反乱兵の1人は22日、AFP記者に対し匿名を条件に、大統領府を制圧し、スメイル・ブベイエ・マイガ外相ら閣僚数人の身柄を拘束したと語った。
アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領は脱出に成功した模様。これに先立って21日午後、大統領は大統領府内に身を隠していると側近が述べていた。
■西アフリカ一の民主国家、現実は…
マリは西アフリカ随一の民主的な国家と言われ、成長も続いているが、1960年の独立以来トゥアレグ人の反政府闘争が続いている。トゥアレグ人は周辺諸国に暮らすサハラの遊牧民で、マリでは北部に集中している。MNLAの名称にあるアザワドはトゥアレグ人たちによるこの地域の呼称だ。
トゥアレグ人たちは前年、リビアの最高指導者だった故ムアマル・カダフィ大佐に対する蜂起が起きた際には大勢が反カダフィ勢力に加わった。このトゥアレグ人たちが戦闘経験を積み、カダフィ政権転覆後に大量の武器を持ってマリへ戻り、MNLAの下で組織化されて1月中旬から独立を求める新たな反乱を開始。このためマリでは最大20万人が避難民となっている。また公式発表はないが、政府軍の多くの兵士が死亡したり、トゥアレグ人に捕虜として拘束されているとみられ、政府の対応への怒りが膨らんでいた。
これまで2期を務めたトゥーレ大統領は4月、2期目の任期を終え退任する予定。トゥーレ大統領も軍出身で、1991年にクーデターを率いてムーサ・トラオレ大統領(当時)を追放した。2002年の大統領選で当選し、現職に就いていた。【3月22日 AFP】
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新国防相の現地での対応が、火に油を注いだ形になったようです。
なお、上記記事では“トゥアレグ人たちは・・・・大勢が反カダフィ勢力に加わった”とありますが、“反政府勢力には、昨年のリビア内戦で、カダフィ政権側で戦った戦闘員が合流。リビアから高性能の武器を持ち帰ったとされる”【3月22日 共同】という報道もあります。
カダフィ側、反カダフィ側・・・どちらかははっきりしませんが、要はリビアの戦闘で経験を積み、武器装備も向上した反政府勢力に対し、武器が不足している軍内部兵士の政権への不満が爆発した・・・という話のようです。
なお、マリが“西アフリカ随一の民主的な国家”【上記AFP】と言われているというのは、初めて知りましたが、日本外務省ホームページによれば、
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.内政:2002年の大統領選挙で選出されたトゥーレ大統領は国民的な人気に支えられ安定した内政運営を行ってきた結果、2007年4月の大統領選挙で70%強の得票により再選を果たした。同年7月に実施された国民議会選挙においても、トゥーレ大統領を支持する連立政党が大勝し、同年10月にシディベ内閣が発足した。2012年に実施予定の大統領選挙を控え、2011年4月に内閣改造が行われ、シセ首相(女性)が就任した。
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とのことで、トゥーレ大統領の政権基盤は安定していたようにも見えますが・・・。
ついでに、AFP記事の“成長も続いている”という部分に関して、同じく日本外務省ホームページによれば、
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経済概況:農業・鉱業を中心とした産業構造のため、天候や一次産品の国際価格の影響を受け、経済基盤は脆弱。2004年は降雨不足と砂漠バッタ被害により経済成長は落ち込んだが、2005年以降、好天候による穀物・綿花生産増、新たな鉱山開発による金生産量の増加により、経済成長は回復基調。
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とのことで、一次産品頼みの経済構造から抜け出せていないようです。
【セネガル 「安定したアフリカ政治のモデル」】
ところで、マリの西隣がセネガルです。両国は1960年6月にマリ連邦としてフランスから独立しましたが、早くも同年8月には分離して、現在に至っています。
そのセネガルでは、2月26日に大統領選挙が行われ、現職ワッド大統領が憲法の「3選禁止」規定を無視する形で出馬、国内的にも大きな混乱があり、選挙の結果が注目されていました。
****「老醜」ワッド氏3選目指す=暴動寸前の抗議続く―セネガル大統領選、26日に投票****
アフリカでは珍しく1960年の独立以来一度もクーデターの経験がないセネガルは、かつて「安定したアフリカ政治のモデル」ともてはやされた。
しかし、26日の大統領選投票日を前に正念場を迎えている。3選を目指し権力に固執するワッド大統領(85)の「老醜」に、首都ダカールでは暴動寸前の抗議が続く。
ワッド大統領が生まれたのは1926年。アフリカの首脳ではジンバブエのムガベ大統領(88)に次ぐ長老とされるが、出生記録は不確かで「本当は90歳を超えている」と疑う声が消えない。
ダカール大法学部長などを務めたワッド氏は74年に政党を結成。長い野党暮らしの間、投獄も味わった。大統領選で4回落選し、2000年に5度目の挑戦で宿願を果たした。就任翌年には大統領任期を7年から5年に短縮。3選も禁じて国際社会で名声を高めた。
しかし、今回の出馬で自ら設けたルールを破った。これについて大統領府は「01年の新ルールは07年の大統領選から適用された」とし、現在は「新制度下の1期目」だと主張する。
強引な出馬には批判が強い。憲法評議会が1月末、この3選出馬を合憲とする一方、大衆の支持を集めていた米グラミー賞受賞歌手ユッスー・ンドゥール氏(52)の出馬は認めない判断を下すと、ダカールを中心に抗議行動が激化し始めた。【2月26日 時事】
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多選を禁止した憲法制定時の政権をカウントに入れるかどうかでは、セネガルだけでなく、よくトラブルが起きています。(今後、同様の憲法制定する場合は、その点を明記すべきでしょう)
権力者本人もさることながら、周辺に既得権益層が成立し、その既得権益層がどうしても同一権力者の延命を図りたいことから起きる混乱ではないでしょうか。あるいは、政権交代後の不正追及を恐れて・・・というケースもあるでしょう。
選挙結果は、ワッド大統領を含めたいずれの候補も過半数を得られず、“決選投票は3月18日に予定され、ワッド大統領とサル元首相が決選に残る可能性が高い”【3月1日 毎日】とのことでした。
第1回投票の得票率は、ワッド大統領が34.8%で首位に立ち、次いでサル元首相が26.6%を獲得したとのことです。
【ムリッド教団「働くことは祈ること」】
しかし、その後の報道がありません。もう“3月18日”は過ぎてしまいましたが・・・・
改めて調べると、決選投票は3月25日になったようです。
****セネガル:大統領選挙関連の抗議活動・デモの発生に伴う注意喚起****
第一回投票後、情勢は平穏裡に推移しておりますが、3月25日の決選投票の結果如何によっては治安情勢が再び悪化する可能性も否定できません。つきましては、セネガルに渡航、滞在される方は、最新の情報収集に努めるなど、今後の動向に注意を払いつつ、次の点に留意して自らの安全を確保するようお願いいたします。【外務省 海外安全ホームページ】
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ワッド大統領は、セネガル国内で特異な力を持つムリッド教団の熱烈な信者です。
ムリッド教団はイスラム教スーフィズムの流れを汲んでいる組織で、「働くことは祈ること」という独特の教義を有しています。
07年7月31日ブログ“セネガル 拡大する宗教的相互扶助システム「働くことは祈ること」”(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070731)
上記ブログの最後に書いたように、ワッド大統領は「ムリッドにとって仕事は神に到達する方法です。西洋人は金を稼ぐために、家族を養うために働きますが、ムリッドが働くのはそれが神の啓示だからです。働けば働くほど天国への道に近づく。働くために働かねばならないのです。だから、ムリッドはエネルギーと動員力のある宗教なのです。」と語っています。
“人口1000万人のこの国で信者は300万人”というムリッド教団を背景にしたワッド大統領ですから、支持基盤は超強固のように思われただけに、第1回投票の“34.8%”というのは意外でもありました。
それだけ多選・長期政権への批判が強いということでしょう。教団勢力への批判もあるのかも。
いずれにしても、外務省の注意喚起が空振りに終わる形で、3月25日の決選投票が平穏に行われるといいのですが・・・・。
それにしても、“西アフリカ随一の民主的な国家”マリと言い、“安定したアフリカ政治のモデル”セネガルと言い、最近の混乱は残念なことです。