孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

スリランカ  内戦終結から3年 復興をアピールする政府 中国・インドの援助競争

2012-03-30 22:03:56 | 南アジア(インド)

(2011年7月 スリランカ北東部トリンコマリーの難民キャンプで。 少女の父は漁師ですが、キャンプが内陸にあるため失業 読み書きができない母は、学校に通う娘に自分がしてやれる唯一のこととして、少女の制服をシミ一つないブルーに染め上げます。 “flickr”より By Oatsandsugar  http://www.flickr.com/photos/oatsandsugar/6015820357/ )

約30万人の避難民もほとんどが帰還・・・・との政府発表
スリランカでは2009年5月、多数派シンハラ人に対する少数派タミル人の反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」との数十年に及んだ分離独立をめぐる激しい内戦が、7万人とも言われる夥しい犠牲者や多くの人道上の問題を伴いながらも、政府側勝利の形で終結しました。

当然、避難民の帰郷、内戦から復興、最終的には「国民和解」が重要な課題となる訳ですが、内戦終結後の情報はあまり多くは報じられていません。
そうしたなかで、政府側より、元ゲリラ兵約1万1600人の社会復帰が完了した旨の発表がなされています。

****元ゲリラの社会復帰完了=1万1千人超、内戦終結から3年―スリランカ****
来日中のスリランカのゴタバヤ国防・都市開発次官は29日、都内で時事通信と会見し、2009年5月の内戦終結に前後し反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」から投降した元ゲリラ兵約1万1600人の社会復帰が完了したことを明らかにした。

同国政府はLTTEの幹部や中核戦闘員以外の兵士については訴追しない。次官によれば、元兵士は職業訓練の後、運転手や大工、農業などに職を得た。内戦末期に生じた約30万人の避難民もほとんどが帰還し、キャンプには7000人を残すのみだという。【3月29日 時事】
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上記発表が実態を正しくあらわしたものであれば喜ばしいニュースですが、内戦によって深められた多数派シンハラ人と少数派タミル人の間の溝がそう簡単に埋められるとは思えません。

真相解明が求められる内戦中の人権侵害問題 中国は反対
内戦末期、追い詰められ東部に後退したLTTEは、数十万の民間人を“人間の盾”にして立てこもりました。
これに対して政府軍は、国連の停戦要請を無視する形で、民間人がいると知りながら広範囲にわたる爆撃を行い、病院や人道的な活動を行う施設を破壊しました。この間、人道的な援助を拒否し、国内難民などの人権を侵害する等の重大な人道上の問題や戦争犯罪があったとされています。

この点に関して、国連人権理事会は真相究明を求める決議を行っています。
この地域に大きな影響力を持つインドは決議に賛成、中国・ロシアは反対しています。

****真相究明求める決議採択=スリランカ内戦で国連人権理****
国連人権理事会は22日、スリランカ内戦中の人権侵害問題に関し、人道に対する罪など国際法違反の疑いがある事例の真相究明と責任者の処罰を同国に求める決議案を賛成24、反対15、棄権8の賛成多数で採択した。

決議案は米国などが提出。スリランカ政府による実態調査が不十分だとして、「信頼性があり(政府から)独立した対応」を求めた。同国は「(決議案は)見当違いで不当」と批判したが、欧米諸国、インドなどが支持した。バングラデシュや中国、ロシアは反対した。【3月23日 時事】 
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【「中国とインドを競わせるようにして、さらに資金や援助を引き出そうとしているようにも見える」】
スリランカに対しては、内戦中、更に内戦後も中国の進出が著しいものがあります。
中国はスリランカの他、ミャンマーやパキスタンなどの港湾建設などに関与し、自国のエネルギー権益を守るため、南シナ海から中東に至るシーレーンに沿って各国と戦略的な関係を構築し、各地で海軍基地を確保する「真珠の首飾り」戦略をとっています。この「真珠の首飾り」は中国と「インド包囲網」としての性格もあります。

一方、インドは伝統的にこの地域を自国の勢力圏と考えていますが、80年台後半にインドがスリランカの民族問題解決のために平和維持軍を派遣し、撤退した経緯、更に、91年には平和維持軍派遣を決めたラディーブ・ガンディー首相(当時)がLTTEの女性自爆テロによって暗殺されたことなどから、スリランカ内戦に対してはあまり深く関与しない、消極的対応をとってきました。
しかし、近年の中国のスリランカ進出を受けて、インドもスリランカへの対応を強めています。

こうした中国、インドの対スリランカ政策については、JETROのサイトに、荒井 悦代 氏の平成23年度政策提言研究「中国・インドの台頭と東アジアの変容」第13回研究会(2012年3月23日開催)における報告内容を要約したレポートがあります。以下は、そのレポートからの抜粋です。

****スリランカの内戦をめぐる中国とインド*****
1.中国の軍事援助の拡大とインド
インドの戦略研究家のチェラニーは、「スリランカ政府は、長引く内戦を終結させたくても、戦後の復興にかかる資金的な問題があったので、終結に踏み切れなかった。しかし、中国の軍事援助、復興のための資金援助、国際社会での支持が得られたことからスリランカ政府は一気にLTTEの殲滅に踏み切った。」と論じている("Sri Lankan Bloody Crescendo," DNA newspaper, March 9, 2009)。

もともとスリランカと中国の外交関係は、良好であった。コロンボの中心部に位置するバンダラナイケ国際会議場は中国の援助によるものである。中国系企業の活動は、家電や通信関連などで2000年代始めから始まっていた。(中略)国としての中国のプレゼンスが大いに高まったのは、2004年12月のインド洋大津波後の緊急援助からである。中国はいち早くスリランカ沿岸の町に援助を展開し、国名入りのテントがずらりと並んだ。

チェラニーが主張するように、スリランカに対する中国の関与はある時期から急速に増え始めるが、それ以前からスリランカは中国やイスラエルから武器を調達していた。内戦終了のきっかけとなったのは、2007年に始まる中国からの大規模な資金や兵器の流入である。2007年4月に陸軍と海軍の強化のために4億2600万ドルでレーダー探知機や武器弾薬などが提供されている。

(中略)さらに2008年にはアメリカが、人権状況の悪化に鑑みて、スリランカへの軍事援助を停止したのにあわせるタイミングで、中国はスリランカに対する軍事支援を強化した。

スリランカへの中国の関与が高まるなかで、インドは従来の対スリランカ政策である消極的外交姿勢を改めざるを得なくなった。1980年台後半にインドは、スリランカの民族問題解決のために平和維持軍をスリランカに派遣した。しかし、少数のLTTEゲリラが相手だったにもかかわらず、1200人あまりの犠牲を出し、撤退せざるを得なかった。この撤退はインドにとって屈辱的だった。
さらに1991年には、平和維持軍派遣を決めたラディーブ・ガンディー首相(当時)がLTTEの女性自爆テロによって暗殺されたことから、インドはスリランカの民族問題に距離を置き、関与は最小限にとどめるようになった。

積極的な関与は行わないにもかかわらず、中国・パキスタンからの武器購入の増大・軍事訓練の実施に対して、インドのナラヤン国家安全保障アドバイザーは不快感を示した。南アジアの大国を自認するインドにとって、第三国の関与が高まることは不快だったのだ。スリランカは、インド中央政府がタミル・ナードゥ州(タミル人が多く居住し、スリランカのタミル人問題への関心が高い)への配慮を理由にスリランカに対して武器を売らないからだと主張した。
内戦中にインドの軍事援助が全くなかったわけではない。中国やパキスタンがスリランカに軍事援助しているのに対抗するようにインドはスリランカ海軍に援助を行っている。

つまりスリランカは、南アジアでの大国を自認するインドを通り越して、中国とパキスタンに軍事援助を求めることで、インドを刺激し、インドからも援助を引き出している。こうして得た武器や技術を利用し、陸軍、海軍、空軍、警察組織、自警団なども巻き込んだ総力戦でLTTEを殲滅することに成功した。(中略)LTTEは、政府軍の装備の増強と戦法の変化に圧倒され、ずるずると後退していった。

2.人権、資金援助
内戦の末期において、東に向けて後退したLTTEはムライティブ沿岸に数十万の民間人を人間の盾にして立てこもった。これに対してスリランカ軍の作戦は、民間人がいると知りながら広範囲にわたる爆撃をした、病院や人道的な活動を行う施設を爆撃した、人道的な援助を拒否した、国内難民などの人権を侵害した、等の重大な人道上の問題や戦争犯罪があったとされている。
この点に関しても中国は、国連における地位を利用してスリランカを支援している。国連人権委員会などでの対スリランカ動議を、中国はロシアとともに拒否している。

中国は資金援助においても突出している。IMFなどが経済指標の改善を求めるのに対して、中国はそのような条件を付さないこともスリランカにとって好都合である(ただし、利子率は3~5%以上も高い)。これらの資金援助は、戦後の復興に大いに役立っている。そして、大統領のもう一人の弟のバジル・ラージャパクセが経済開発大臣として開発事業を担当している。

武器の大量調達が始まった2007年の3月に調印された南のハンバントタ港の開発はその象徴である。ハンバントタは、現大統領の出身地に近いこと、スリランカ南部がこれまで開発から取り残されてきたことなどから、スリランカとしては優先度が高い。(中略)インドにとってもスリランカにとってもハンバントタ港の経済的な必要性は薄い。それでもハンバントタ港を建設するのは、南部開発の象徴であり、かつ中国の援助があるからである。

また、北西部のノロッチョライの石炭火力発電所の建設も中国によるものである。水力発電に依存してきたスリランカにとって、天候に左右されない電力供給が可能になるものと期待されている。このほか、中国による劇場や道路の建設が進んでいる。

なぜ、中国がスリランカに対して軍事援助、資金援助を行い、そして国際社会から批難されるスリランカを支援しようとするのか。スリランカには、アフリカ諸国のように、中国を引きつけるような希少な天然資源が豊富にあるわけではない。

しかし、スリランカはインド洋上の海洋交通・物流上の要衝にある。シーレーン確保のために中国が太平洋や南シナ海で支払っているコストや労力に比べれば、はるかに格安かつ容易に、中東へのルートを確保できる。本来ならインドが警戒したはずだが、スリランカに対して積極的な政策をとってこなかったために、内戦によって経済的に窮していたスリランカに中国は容易に入り込むことができた。

内戦終結から2年以上が経過した現在、インドもスリランカにおける関与を深めつつある。復興にむけての援助において、北部を中心に5万戸の住宅建設や鉄道建設および文化施設の復興・建設で入り込んでいる。インドの事業やプロジェクトが少なく需要はそれほどないと思われる南部のマータラにも国内第三番目の領事館を開設するなど、インドは中国を強く意識していると言わざるを得ない。

スリランカは確かにインドや中国からの援助によって、長引く内戦に幕を引くことができた。その後の復興に必要な支援も引き続き得ている。
国際社会は、戦争末期に発生した人道上の問題や戦争犯罪についてスリランカに説明責任や和解のための具体的方策の提示を求めているが、これについても中国はスリランカを援護している。
そのため、内戦後のスリランカは、資金難や国際社会からのプレッシャーに直面することなくインフラ復興に集中することが可能となっている。スリランカは、中国とインドを競わせるようにしてさらに資金や援助を引き出そうとしているようにも見える。【荒井 悦代 氏 JETRO  http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Seisaku/120323_01.html
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かつての最大援助国である日本も
資金援助という面で言うなら、日本もスリランカとは深いつながりがあります。
1985 年以降、日本はスリランカへの最大の援助国でした。1999 年から2001 年では、スリランカの海外援助受取額の約57%は日本からのもので、二国間援助でみると日本の占める割合は約74%にものぼっています。

最近の数字は把握していませんが、2010年のスリランカ財務省資料によれば、主要援助国は中国(25.4%)、インド(14.8%)、日本(13.5%)の順となっています。【日本外務省ホームページより】

下記記事は昨年11月に報じられたものです。2010年正月の観光旅行でコロンボからゴールを長時間ドライブで移動したことがありますが、高速道路建設の話は知りませんでした。帰路、ひどい渋滞に巻き込まれた記憶はあります。
また、その移動時に、上記レポートにもあるハンバントタ港開発で建設された道路も通ったのですが、港の様子はよくわかりませんでした。

****日本の支援で初の高速道路開通、スリランカ****
スリランカ最大の都市コロンボと南部の港町ゴールを結ぶ同国初の高速道路が27日、開通した。
ゴールで行われた開通式で、マヒンダ・ラジャパクサ大統領は、自ら運転する車で新しい高速道路を走ってみせ、国内に「高速道路革命」を起こすと約束。「交通の利便がよくなれば、分離独立の気運も消滅するだろう」と述べた。

スリランカでは2009年5月、分離独立派の反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラLTTE)との数十年に及んだ内戦が終結したばかり。

4車線、総距離96キロの高速道路の総工費は、予算を3倍超過する7億ドル(約540億円)。日本の国際協力機構(JICA)が3億1700万ドル(約250億円)、アジア開発銀行(ADB)が1億7800万ドル(約140億円)を支援した。
ただ、建設工事は歩行者を巻き込んだ連結橋の崩壊事故や土地買収の遅れ、資金不足などに見舞われ、予定よりも3年遅れての完成となった。【11年11月28日  AFP】
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