孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

カンボジア  国境紛争の地、世界遺産プレアヴィヒア寺院

2017-12-07 23:37:02 | 東南アジア

(山頂からの眺め 野焼きの煙のせい(ガイド氏説明)でガスっています)


カンボジア・シェムリアップを旅行中です。

三日目の6日(水)は、シェムリアップ郊外の廃墟となった遺跡ベンメリア、高さ35mの7段ピラミッド形式のコーケー遺跡、更にタイ国境に位置する世界遺産プレアヴィヒア寺院を1日でまわるタフなコースでした。

10世紀~11世紀にかけて断崖の上に築かれた世界遺産プレアヴィヒア寺院は、カンボジア側のアクセスが最近よくなったこともあって、断崖からの眺めが人気となっています。

観光的にはそういった話になりますが、国際ニュースでは、カンボジアとタイの国境紛争の地として話題になります。

2011年には、両国軍隊がプレアヴィヒア寺院付近で交戦し、しばらくにらみ合いを続ける事態にも。

ただ、国際司法の判断はカンボジア側に有利であることや、タイがいったんはカンボジアによる同寺院の世界遺産登録申請を支持したことなどもあって、同寺院はカンボジア側が支配しています。

その結果、カンボジアからよりはアクセスが簡単だったタイ側からのアクセスは現在できない状況にあります。

****カンボジアとタイの国境問題*****
プレアヴィヒア寺院の帰属はカンボジア・タイ両国の長年の懸案であったが、1962年6月15日にハーグの国際司法裁判所によりカンボジア領であると認められた。

2008年の衝突
2008年の世界遺産登録に関しては当初タイ側の支持もあったが(タイのノッパドン外務大臣がカンボジアのプレアヴィヒア寺院の世界遺産登録を支持)、その後支持したことがタイ王国の国内法違反とされ、当外務大臣は7月中に辞任した。

2008年7月中旬、タイ人3名がプレアヴィヒア寺院に不法侵入したとしてカンボジア側に拘束された(その後解放)。この拘束に合わせ、タイ側が軍隊を派遣。それに対抗するようにカンボジア側も軍隊を派遣し、睨み合いが続いている。

(中略)2008年10月13日、カンボジアのフン・セン首相は、タイのソムポン外相との会談で、領内に侵入したタイ軍の14日までの撤退を求め、応じない場合は「戦争が起きる」と警告した。(中略)

2011年の衝突
2011年2月4日以降、同寺院をめぐってカンボジア王国軍とタイ王国軍が交戦状態となり、避難民が数千人発生し、双方に民間人を含め数十人の死傷者が出た。(中略)

2013年11月には寺院周辺の4.6km2の帰属未確定であった土地についても、国際司法裁判所はカンボジアに帰属するとの判断を下している。【ウィキペディア】
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現在は同寺院からはカンボジア軍も撤収し、警察が監視を行っています。
派遣された警官の家族も小屋をつくって一緒に暮らしています。

カンボジア側のアクセスが改善された(寺院に至る道路は、山頂部以外は舗装されています。ただし、急坂であることもあって通常は4WDに乗り換えてあがります。)

道路がよくなったのは、世界遺産観光のためというよりは、軍を派遣しやすくするためではないでしょうか。



この参道の下あたりがカンボジア・タイの境になっています。以前は、タイ側からこの参道を上る形で寺院を刊行していましたが、現在はタイ側から来れません。


遺跡に立つカンボジア国旗(左) 中央はユネスコ、右は世界遺産の旗


あちこちに陣地が築かれています。


わかりづらいですが、木陰にはカンボジア側の監視所が。


遠くの山上にはタイ側の監視所も見えます。カンボジア側よりりっぱな施設です。


コメント
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