(ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦での残虐行為を裁く旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)で29日、戦争犯罪で有罪判決を受けた被告が自らの無実を訴えた後、持っていた毒を飲んで自殺を図った。男は救急搬送されたが、死亡が確認された。【11月30日 ロイター】)
【終身刑のムラディッチ被告「全てでっち上げ」 遺族「神よ、感謝します!」】
1990年代のユーゴスラビア内戦の民族虐殺、迫害の責任者を裁く旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)の閉廷式典が今日21日に行われるそうです。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷では11月22日、各勢力による凄惨な「民族浄化」が行われたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦にあって、ジェノサイド((集団殺害)と断罪された「スレブレニツァ事件」を主導したとされるセルビア人武装勢力司令官ラトコ・ムラディッチ被告に終身刑が言い渡されました。
****ムラディッチ被告に終身刑=ボスニア虐殺のセルビア人司令官―戦犯法廷****
1992〜95年のボスニア・ヘルツェゴビナ内戦時のジェノサイド(集団虐殺)などの罪に問われた当時のセルビア人武装勢力司令官、ラトコ・ムラディッチ被告の判決公判が22日、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で開かれ、被告に最高刑となる終身刑が言い渡された。法廷で「全てでっち上げ」と大声を上げた被告は、退廷させられた。
判決は、95年に「民族浄化」の一環として7000人以上のイスラム教徒らが虐殺されたスレブレニツァ事件を被告が「主導した」と認定。死者1万人以上のボスニアの首都「サラエボ包囲」についても、被告が指揮したと判断した。被告は起訴された11の罪状のうち10件で有罪となった。
判決文は「状況は残虐だった。命や人の尊厳にはほとんど敬意が払われなかった」と断罪した。
公判で検察は「終身刑以外を科すのは無責任だ」と最高刑の終身刑を求刑。被告は起訴内容を否認してきた。
内戦終結後、逃亡を続けた被告は2011年、セルビア国内の潜伏先で拘束された。戦犯法廷は16年3月、ムラディッチ被告と並ぶ大物戦犯でセルビア人勢力の元政治指導者ラドバン・カラジッチ被告にも禁錮40年の判決を言い渡している。【11月22日 時事】
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この判決に、被害者側のイスラム教徒遺族は歓喜しています。
****ムラディッチ被告終身刑、虐殺遺族に安堵 「息子の死に償い」****
「神よ、感謝します!」ネドジバ・サリホビッチさんは、国連の法廷がボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)の戦犯ラトコ・ムラディッチ被告(74)に終身刑を言い渡した瞬間、喜びで飛び上がった。
サリホビッチさんは他の大勢のボスニア人イスラム教徒と共に、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)がセルビア人武装勢力の元司令官ムラディッチ被告に、ジェノサイド(大量虐殺)と戦争犯罪の罪で判決を下すのを長い間待ち望んでいた。
1995年にボスニア東部の町スレブレニツァで起きた虐殺事件で夫と父親、息子を失ったサリホビッチさんは「あれから20年、ムラディッチは私の息子を殺したために、ハーグで死を迎えるのです」と語った。息子の遺体は、いくつかの集団墓地に一部があることだけしか分かっていないという。
サリホビッチさんはほかの人たちと一緒に、スレブレニツァ近郊ポトチャリ村に設置された大型スクリーン3つに映し出された審理の生放送を見守っていた。村には、近くの森林と丘陵で殺害されたボスニア人の男性8000人を追悼する施設がある。
アルフォンス・オリエ裁判長が判決文を読み上げると、犠牲者の遺族から拍手喝采が沸き起こった。中には涙を流して喜ぶ人や、安堵して互いに抱擁したり接吻をしたりする人もいた。
ムラディッチ被告は虐殺を命じたという起訴内容を否認。被告の息子は22日、被告は上訴する意向だと述べている。
遺族の中には、終身刑ですら被告が犯した残虐行為を償うには十分でないと考えている人もいる。スレブレニツァの虐殺で親類42人を失ったアイサ・ウミロビッチさんは判決前に「もし彼が1000回生きて1000回終身刑に科されたとしても、正義が果たされたとは言えない」と話した。【11月23日 AFP】
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【戦争犯罪者としてではなく、殉教者としてクロアチア人の記憶に残ることを演出したプラリヤック被告】
ただ、“戦争”という状況にあって、立場が違うと異なる見方もあります。
前出記事にもあるように、ムラディッチ被告は「全てでっち上げ」と判決を認めていませんし、セルビアにあっては彼を民族的英雄とみなす人々も少なくありません。
このような、裁かれる側の異議申し立てが、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の最後の公判において、もっとも劇的な形で行われたのは周知のところです。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の最後となるこの日、内戦中にクロアチア人単一民族国家建設を目指してムスリム人に対して行われた人道に対する罪(虐殺、レイプ、迫害、強制退去など)、戦争犯罪で起訴されたボスニア系クロアチア人元政治家や元軍人6名に対する控訴審判決公判が行われていました。
****<旧ユーゴ戦犯法廷>被告が服毒自殺 衝撃的幕切れに****
オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で29日、イスラム教徒のボスニア人への弾圧など人道に対する罪に問われたクロアチア人の被告が、有罪判決を言い渡されている最中に液体を飲み、その後死亡した。服毒自殺とみられる。24年間続いたICTYでの公判はこの日が最後で、衝撃的な幕切れとなった。
死亡したのは、ボスニア内戦(1992〜95年)でクロアチア人武装勢力指導者だったスロボダン・プラリヤック被告(72)。2013年の1審で禁錮20年の判決を受け、控訴していた。
裁判長が1審の量刑を支持する判決を読み上げた際、プラリヤック被告は「私は戦争犯罪人ではない。有罪に反対する」と述べ、持っていた小瓶を口に当てて液体を飲み、「今、毒を飲んだ」と述べた。プラリヤック被告は病院に運ばれたが、間もなく死亡した。
この日の法廷では別のクロアチア人の指導者ら5人にも禁錮10〜25年の判決が言い渡された。クロアチアのプレンコビッチ首相は「プラリヤック被告の行動は、(ICTYの)クロアチア人に対する不当な扱いを示している」と述べた。
ICTYは93年に設置され、これまでに161人を起訴し、19人が無罪、37人が起訴取り消しなどになっている。ICTYは今年末で終了し、残る控訴審は「国際刑事法廷のための国連メカニズム」に引き継がれ、組織は大幅に縮小される。
【ことば】ボスニア内戦
ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年、旧ユーゴスラビア連邦から独立を宣言したのをきっかけに、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人(イスラム教徒)による三つどもえの内戦に突入。20万人以上の犠牲を出した末、95年に和平合意。現在も3民族間には感情的なしこりが残り、再度の衝突を避けるため、国家元首を8カ月ごとに3民族で回す輪番制を取っている。【11月30日 毎日】
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この事件に関しては、“「オランダ在住×セルビア脱線」系こーたろーの社会派ブログ”に詳しく記されていますが、その中から、いくつか抜粋すると以下のとおり。
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クロアチア首相
「プラリャクが毒物自殺を図ったことは、クロアチア民族に対して倫理的に受け入れられない不正が行われた裁判だったことを証明している」
服毒自殺したプラリャクの故郷に住むクロアチア人
「カトリック教徒として、自殺が勇ましい行為であると人生で初めて感じた。子供たちと共に、殉教したプラリャクに対してロウソクに火を灯してきた。彼は罪を犯していないとは言わないが、罪を犯していない民族はいないよ」
クロアチア系メディアがプラリャク被告の自殺を検証
「プラリャクは慎重に自殺を映画監督として演出し、戦争犯罪者としてではなく、殉教者としてクロアチア人の記憶に残ることを願っていた」
クロアチア大統領コリンダ
「クロアチア民族は我ら民族とボスニア国家の生き残りをかけて、大セルビア主義の攻撃に対抗した。クロアチアは誰に対しても攻撃していない。ミロシェビッチと旧ユーゴ軍が我々とボスニアを攻撃したことこそ真実だ。」
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一方で、“欧州委員会のリベラル派政治家の中には、この判決に対して不服の意を露わにして、自殺した戦犯者を擁護するかのように民族主義的な声明を発表したクロアチア政府リーダーの反応を、公式に非難する必要性を考慮すべきだとの声も上がっている。”【同上】とも。
プラリャクの死に哀悼の意を捧げるため、12月11日にクロアチア首都ザグレブにて、クロアチア軍隊が哀悼式典を開催。
式典には、クロアチア政府から防衛大臣や退役軍人大臣2名や旧ユーゴ戦犯者として実刑判決を過去に受けた者、旧ユーゴ紛争時代の政治家、右翼思想を持つクロアチア人気歌手などの政界・軍関係、文化界からの著名人も参列したそうです。
しかし、クロアチア首相や大統領はこの式典には参列しませんでした。“背景としては、プラリャク自殺後に民族主義的な声明を発表した際に、世界各国メディアから非難されたことを考慮して自重した可能性が考えられる。”【同上】
【ジェノサイド罪の確立 紛争時の性犯罪を訴追 一方で、大国の意向が影響】
東京裁判を含め、戦争犯罪に対する裁判については、いわゆる“勝者の裁き”にすぎないとの批判もありますが、プラリャク被告がそのような線を印象づけることを狙って自らの命をかけて周到に演出した結果、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷もその問題をクローズアップする幕切れとなりました。
****「勝者の裁き」に限界も ユーゴ戦犯法廷が四半世紀の裁判に幕「国家元首の犯罪野放しにせず」の原則は確立****
1990年代のユーゴスラビア内戦の民族虐殺、迫害の責任者を裁く旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)の閉廷式典が21日に行われる。
設立以来、24年間で「国家元首の犯罪を野放しにしない」という国際原則を確立する一方、大国の思惑に左右される戦犯法廷の限界も示した。
「目の前にいた男がのどを切って殺された」
「私は当時25歳。12歳の少女と一緒にアパートに監禁され、15人のセルビア人兵士に毎日レイプされた。部屋には『白鳥の湖』の曲がかかっていた」
「深夜、一緒に寝ていたみんなの前で犯された。隣に10歳の息子がいた」
「町中が銃撃され、住民は集合を命じられた。行った途端、目の前にいた男がのどを切って殺された」
判決の証言から陰惨な民族紛争の実態が浮かびあがる。法廷が召喚した証人は約4650人。起訴状や判決文は250万ページに上る。
法廷は93年、国連安全保障理事会決議で設立された。第二次大戦後の東京、ニュルンベルク裁判以来、初めての戦犯法廷だ。91年に始まったユーゴ内戦中の集団レイプ、虐殺の責任者を処罰し、紛争を阻止する狙いがあった。
ジェノサイド罪の確立に成果
最大の成果はジェノサイド(集団殺害)罪の確立。95年、イスラム系住民が8割を占めるスレブレニツァでセルビア人勢力が約8千人を殺害した事件に適用した。
ジェノサイドは民族や宗教集団を意図的に破壊する行為で「人類最悪の罪」とされる。ナチスのユダヤ人虐殺を踏まえ、第二次大戦後に条約で定められた概念を判例で具体化した。120人以上の証言から虐殺が組織的に行われたことを証明した。
2001年に始まったユーゴのミロシェビッチ元大統領の裁判は元国家元首を裁く初ケースになった。元大統領は公判中に死亡したが、セルビア人元指導者のカラジッチ被告、元軍司令官のムラジッチ被告はジェノサイドでそれぞれ禁錮40年、終身刑の判決が下った。
法廷はまた、紛争中の集団レイプを「人道に対する罪」と初認定。その指揮官だったセルビア人被告は禁錮28年の判決を受けた。
セルジュ・ブラメルツ首席検察官(ベルギー出身)は今月6日に国連安保理で演説し、「国際社会が結束すれば、最悪の人道犯罪の責任者を訴追できると示した」と成果を強調した。
法廷が訴追したのは161人。このうち90人以上がセルビア人だ。受刑者は、法廷と協定を結ぶ欧州14カ国で収監された。
法廷で「戦犯ではない」と叫び服毒も
四半世紀にわたり、裁かれ続けたセルビア人には「われわれだけが戦犯扱い」という不満が残る。セルビアの世論調査で「法廷は公平でない」と考える人は65%を占めた。
その根底には1999年、米国主導の北大西洋条約機構(NATO)が行ったミロシェビッチ政権への空爆がある。
空爆の巻き添えになり、国際人権団体の調べで民間人約500人が死亡し、劣化ウラン弾やクラスター爆弾も使われた。NATOは民間人保護を定めたジュネーブ条約に違反したとの訴状が出されたが、同法廷は「十分な証拠がない」と不起訴にした。
セルビア人被告弁護団の一人、トミスラフ・ビスニッチ氏は「検察はたった1カ月で結論を出し、ろくに捜査しなかった。大国の意向が影響した」と指摘する。
同氏は、「検察は米軍の動向を見て法廷戦略を変えた」とも述べた。2003年のイラク戦争中、民間人が巻き添えになった米軍の空爆が報じられると、法廷の検察官は被告の武器使用法が同条約違反だという追及を止めたと訴える。
法廷には公平な裁判で民族融和を促す狙いもあったが、実現とはほど遠い。昨年のカラジッチ被告の判決時、ベオグラードで数千人が「セルビア人だから処罰された」と訴えて抗議デモを行った。
今年11月に有罪が確定したクロアチア人被告は「私は戦犯ではない」と叫んで法廷で服毒。抗議の自殺とみられている。
人道犯罪は国際社会が裁く原則広がる
法廷は11月末、最後の公判を終えた。カラジッチ被告ら2人の控訴審は、国連の後継組織「国際刑事裁判メカニズム」が引き継ぐ。
防弾ガラスや金属探知機で囲まれたハーグの法廷はそのままだが、千人以上いた職員は半分以下になり、残務処理を行う。
旧ユーゴ法廷を契機に戦犯法廷は各地で発足した。ハーグには常設の国際刑事裁判所が設立され、カンボジアやアフリカ・シエラレオネに特別法廷ができた。重大な人道犯罪は国際社会が裁く原則が広がった。
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「公平性、東京裁判より前進」
《識者談話》米ワシントン・アンド・リー大学のマーク・ドランブル教授
旧ユーゴ法廷はセルビア人、クロアチア人ら各勢力を訴追した。NATOは訴追されなかったが、敗戦国だけを訴追した東京、ニュルンベルク裁判とは異なり、国際社会が納得できる程度の公平性を保った。
法廷がジェノサイド罪を明確化した意義は大きい。犠牲者の数ではなく、集団抹殺の意図が問題だと明示した。紛争時の性犯罪を訴追したのも初めてだ。
裁判は本来、国際法廷より、事件当事者に近い場所で行うのが望ましい。このため、カンボジア特別法廷は、国連任命の外国人とカンボジア人が共に判事団を組み、国内に設けられた。ただ、旧ユーゴ法廷のように効率的に裁判が進んでいないようだ。
常設の国際刑事裁判所も設立されたが、世界中の事件を訴追するのは責任が大きすぎ、知識も捜査力もついていかない。私は旧ユーゴ法廷のように対象を限定した方がよいと思う。
国際刑事裁はアフリカ諸国の人道犯罪を訴追する一方、アフガニスタン戦争での米軍の罪は訴追できずにいる。勝者が歴史を作る現実は変わらない。(談)【12月20日 産経】
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成果も、限界も・・・といったところです。