孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ロヒンギャ難民  出口のない難民キャンプ生活 困難を克服したアメリカでの成功事例も

2023-04-08 22:14:13 | 難民・移民

(米国・シカゴのコミュニティセンターで礼拝をするロヒンギャの子どもたち 【4月8日 龍神孝介氏(フォトジャーナリスト)WEDGE】)

【出口のない難民キャンプでの生活】
周知のようにミャンマー西部のラカイン州に暮らすイスラム系少数民族のロヒンギャは長年、仏教徒が多数派のミャンマーで迫害を受けていましたが、2017年8月にロヒンギャの反体制派が警察署を襲撃したのをきっかけに、ミャンマー軍は弾圧を開始。70万人超のロヒンギャが隣国バングラデシュに逃げて難民となる事態になりました。

改めて、ロヒンギャ難民問題の概要と現状を。

****70万人超がミャンマーからバングラへ ロヒンギャ難民問題とは?****
(中略)
Q. ロヒンギャってどんな人たち?

中坪(国際NGO 難民を助ける会(AAR Japan)の中坪央暁さん) : ミャンマーは仏教国だけど、バングラデシュとの国境にあるラカイン州北部にはムスリムがいて、彼らを「ロヒンギャ」と呼んでいるよ。世界中に推計200万人以上いるんだ。言語はベンガル語の方言だといわれている。

編集部 : バングラ人とは宗教も一緒で、住んでいる場所も言語も近しいんですね。ほぼ同じルーツをもつと言っても過言ではなさそう。

中坪 : そうだね。もともとミャンマーにムスリムは一定数いたとされるけど、加えて英国の植民地時代や独立の混乱期にもバングラ〜ミャンマー間で国境を越えて人びとが移動し、ムスリム集団が重層的に形成された。1950~60年代はロヒンギャの存在はミャンマー社会に容認され、閣僚になる人もいたのさ。

編集部 : でも、今は迫害され難民としてバングラなどに避難しているんですよね。一体何があったんですか?

中坪 : 1960年代に独裁政権を敷いたネ・ウィンが、「ビルマ式社会主義」を掲げて他民族を排斥。ロヒンギャを含む少数民族を迫害し始めたんだ。これ以降もミャンマーの政治は揺れ動き、そのつどロヒンギャは抑圧され他国に避難せざるを得なくなった。そして2017年、耐えかねたロヒンギャの武装集団が警察署を襲撃。その報復として焼き討ちや虐殺など残虐な武力弾圧が行われ、一気に70万人以上が隣国バングラに逃れたんだよ。

Q. バングラデシュはどう対応しているの?

中坪 : バングラデシュは、最初こそ難民の受け入れに寛容な立場だった。イスラム同胞で文化的距離も近いし、何より「苦しんでいる人を助けたい」という気持ちからだね。ただ、問題が予想以上に長期化して人数も膨れ上がり、難民キャンプ周辺は治安も悪化している。正直、かなり頭を悩ませているはずだよ。でも、人道的な理由&国際社会からの圧力があるから、追い出すわけにもいかないというのが実情かな。

編集部 : もういっそ定住してもらって、一緒に国を発展させていけばいいのに。

中坪 : バングラは経済成長こそしているものの、とくに地方は失業率がかなり高い。ただでさえ少ない仕事口が奪われることになるから、それは難しいかもね。それに、バングラ政府の基本方針は「一日も早くミャンマーに送還すること」なんだ。なし崩しの定住を避けるために就労は基本的に認められないんだよ。

編集部 : 仕事ができない難民は、国連やNGOの支援だけで生活するしかないんですね。

中坪 : そうだね。でも、最近はウクライナ軍事侵攻など別の国際問題が起き、ロヒンギャへの関心が低くなっている。すると支援総額が減り、バングラデシュの難民対応は立ち行かなくなる。バングラデシュは受け入れ国としてかなり負担を強いられているから、国際社会全体で支えていく必要があるんだよ。

Q. 難民キャンプでの生活は?

中坪 : ブルーシートでできた仮設の小屋に、多くの難民がすごい密度で暮らしているんだ。バングラ南部のコックスバザールには10カ所ほどキャンプがあり、最大のキャンプには60万人超の難民が暮らしているよ。

編集部 : そのなかに、医療や初等教育を行う支援機関の施設もあるんですね。商店などもあるんですか?

中坪 : 難民はキャンプで保護される代わりに、ビジネスは表向き禁止されている。しかし実際には、どこからか商品を仕入れてきて、大きな市場もあるし、携帯電話やスマホもみんな持っているよ。

編集部 : 5年の時をへて、難民キャンプは問題が山積みと聞きます......。

中坪 : そうなんだ。たとえば、若者たちへの教育。ロヒンギャ難民は55%以上が18歳未満なんだけど、まともな教育も受けられず、就労もできず、ただぼんやりとキャンプ内で一生を過ごすことになりかねない若者たちが多くいる。

彼らのなかには薬物売買など犯罪行為に走る者もいて、キャンプ周辺の治安悪化にもつながっているんだ。そういえば、先日ユニクロを運営するファーストリテイリングが、難民キャンプ内でジョブトレーニングを始めると発表したよ。しばらくは帰還も定住も難しいロヒンギャ問題にあって、かすかな希望のようなニュースだったな。
【4月6日 transit】
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バングラデシュの100万人規模のロヒンギャ難民キャンプは世界最大規模と言われています。

ミャンマー軍事政権は依然としてロヒンギャへの弾圧をやめていないと言われ、安全の保証がないミャンマーへの帰還に応じる難民は多くありません。

一方、難民を抱えるバングラデシュでは地元民との軋轢もあって、次第に「厄介者」扱いの姿勢を強めています。ロヒンギャ難民を別の人里離れた隔離された場所に移送しようともしていますが、その計画が現在どの程度進行しているのかは知りません。

国際社会の関心も薄れていく・・・。

そうした状況で、“出口のない”難民キャンプでの生活は、ロヒンギャ難民の心を蝕んでいます。

****“世界最大の人道危機”ロヒンギャ難民問題 100万人生活の難民キャンプ、新たな問題に直面****
世界最大の人道危機とされるロヒンギャ難民問題。100万人が生活するロヒンギャの難民キャンプでは、避難が長引く中、新たな問題に直面しています。

■スマホを売り買い、教育や収入を手にする機会も
南アジア・バングラデシュ。ミャンマーとの国境近くに広がるのは「ロヒンギャ」と呼ばれる人々が暮らす難民キャンプです。
女性「ミャンマーでは、私たちには人間としての権利がありませんでした」(中略)

大規模な難民キャンプの誕生から6年。私たちが目撃したのは…。
店員「1日に3〜4個売れます」 キャンプ内でスマートフォンが売り買いされている光景でした。

さらに…。 青年「このイヤホンは、お兄さんが僕のために買ってきてくれたんです。ここでは学校に通えるし、スポーツをすることもできます」

ミャンマーでは得ることのできなかった教育や収入を手にする機会が得られ、笑顔を見せる人々もいます。

■自由を求め脱出する人が急増、暴力を受けて脱出した子どもも
しかし、いまある問題が浮上。

記者「難民キャンプから車で1時間ほどの漁港です。キャンプを出た女性たちも働いています」
ここ数年、身体的・金銭的な自由を求めて、キャンプを脱出する人が急増しているのです。

ある女性は、1か月半前にキャンプを脱出。娘の結婚資金を得るため仕事を求めて脱出を決断したといいます。
女性「キャンプの中には娘も親戚もいます。でも、お金を稼がなければいけないので、ここに来ました」

水産物を加工する作業で得られるのは、月におよそ2万5000円。難民キャンプでの生活と比べれば破格の待遇といえます。
女性「難民キャンプは、たくさんの人が閉じ込められている牢屋(ろうや)みたいです。ここは自由で良い場所です」

さらに、やむをえない事情でキャンプから逃れてきた子どもも。
男の子「キャンプには戻りたくない。あそこは好きじゃないです。お兄さんから暴力を受けていたので、ここに逃げてきました」

7人兄弟から暴力を受けていたと打ち明けた男の子。4か月前、難民キャンプから、ひとりで脱出し、ストリートチルドレンの集団に合流したといいます。ゴミ山で一日中、プラスチックを集めても、1日に300円ほどにしかなりません。

■「忘れてしまっていても、問題はなくならない」
現地で支援を続ける日本人職員は。
UNHCRコックスバザール事務所・赤阪陽子所長「新しいエマージェンシー(緊急事態)、ウクライナやアフガニスタンなどに、ドナー(支援者)の関心がいってしまう。忘れてしまっていても、彼らが直面している問題はなくならない」

難民キャンプでは近年、治安の悪化も問題に。ふるさとに戻るメドが立たず、長引く避難生活が難民の心に影を落としています。

それでも懸命に生きる人々の姿も。
女性「ここに来て、もう怖くなくなりました。これまで知らなかったことが分かるようになりました。いまは私ひとりで、どこにでも行けます」

100万人のロヒンギャ難民をどう救うか。国際社会には息の長い支援が求められています。【4月8日 日テレNEWS】
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先月には難民キャンプで大規模火災も発生しています。

****ロヒンギャ難民キャンプで大規模火災、1万2000人がシェルター失う バングラデシュ***
バングラデシュ南東部にある、少数民族ロヒンギャの難民キャンプで5日、大きな火災があり、約1万2000人がシェルターを失ったとみられている。

火災の原因は分かっていない。死者も報告されていない。

当局によると、出火は5日午後2時45分ごろで、瞬く間に竹と防水シートで作られたシェルターに燃え広がったという。

バングラデシュの難民コミッショナー、ミジャヌール・ラーマン氏はAFP通信に対し、「約2000軒のシェルターが焼け、強制的に住む場所を追われたミャンマー人、約1万2000人がシェルターを失った」と説明した。

火は3時間以内に消し止められたものの、シェルターに加え、少なくともモスク(イスラム教の礼拝堂)35カ所と難民向けの学習センター21カ所も焼失した。(後略)【3月6日 BBC】
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【ミャンマー国軍 帰還に向けたポーズは示しているものの、現状は帰還には不適】
最近、ミャンマー国軍もロヒンギャの帰還事業を進めようという「姿勢」は「一応」示しています。
3月23日付のミャンマー国営紙は、「約1500人のロヒンギャの帰還を受け入れる」とするミャンマー当局者の発言を報道しています。その後の「5000人」受入れの計画もあるとか。

また、3月にはミャンマー国軍側の訪問団がバングラデシュを訪問し、ロヒンギャの帰還事業についてバングラデシュ側と議論したとも報じられています。

おそらく、国際批判に曝されている軍事政権が、その批判をかわすために「一応」の「姿勢」を示しているものと推測されます。

しかし、ミャンマー情勢は2年前のクーデター後、内戦状態で悪化の一途をたどっています。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は「現在の状況は、ロヒンギャ難民の持続可能な帰還に適していない」とする声明を発表し、「いかなる難民も、母国に戻ることを強制されるべきではない」と批判しています。

現地のロヒンギャの間でも、安全の保証がないとして、帰還を不安視する声が上がっています。

一方で、ミャンマー国軍はロヒンギャ・イスラム教徒への差別的憎悪を煽ったことで悪名高いウィラトゥ師を表彰しています。
こちらの方が「本音」でしょう。こうした姿勢が変わらない限り、仮にロヒンギャ難民が帰還しても、安全に暮らすことはできません。

****ミャンマー国軍、「仏教徒のビンラディン」を表彰****
ミャンマー軍政は3日、宗教的憎悪をあおり「仏教徒の(ウサマ・)ビンラディン」とも称される高僧ウィラトゥ師に、称号を授与したと明らかにした。

国軍の情報部門によると、ウィラトゥ師に授与したのは「ミャンマー連邦のために優れた功績を残した」人物に贈られる「ティリピャンチ」。

4日の英国からの独立75年を前に行われた授与式典には、ミンアウンフライン国軍総司令官が出席した。式典ではウィラトゥ師のほか、数百人が称号や賞を授与された。

ウィラトゥ師は、特にイスラム系少数民族ロヒンギャに対する反イスラム的な国粋主義で知られている。 【1月4日 AFP】
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【アメリカ社会に適応して逞しく暮らすロヒンギャも】
上記のような“出口のない難民キャンプ生活”から逃れるべく、更にマレーシア・インドネシア・タイなどに命がけで逃亡する難民が絶えません。ただ、そこでも難民船が海に追い返されたり・・・歓迎されません。

****ロヒンギャ185人漂着 インドネシア****
インドネシア・スマトラ島北端アチェ州の浜辺に8日、ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャ185人を乗せた船が漂着した。ロイター通信などが伝えた。漂流中の3隻が7日に目撃されていた。女性や子どもも多くいるという。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、アチェ州では昨年に同様の船が相次ぎ、11月に計229人、12月には計約240人が漂着。多くが飢えなどの体調不良を訴えた。【1月9日 共同】
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上記インドネシア・アチェはイスラム重視の土地柄のため、比較的ロヒンギャ受入れに寛容です。

少し変わった視点からのリポートも。
ミャンマーでのロヒンギャ差別・弾圧は以前からのものですから、2010年代からアメリカに渡ったロヒンギャも少なくありません。

そうしたアメリカに渡ったロヒンギャは、差別や困難を克服して逞しく生活している者も少ないないとのことです。

****「最も迫害される」ロヒンギャ難民が実は米国で大活躍****
(中略)
米国文化に馴染み、経済的に自立
2010年代初頭からこのような経緯で徐々に米国に移住するロヒンギャが増えていった。現在米国中部の都市シカゴとミルウォーキーには500家族近く、およそ2000人以上のロヒンギャが暮らしていると言われ、現在もその数は増え続けている。

もともとシカゴは移民に寛容で雇用や住居の手配、金銭面の援助など行政からのサポートも充実している。ムスリムのコミュニティも存在していたため、定住化が進んだ。

しかし米国でも最初は言葉や文化の違いなどさまざまな障害にぶつかる。多くのロヒンギャがこれまで満足な教育を受けていなかったため、英語の読み書きが出来ず生活の基盤を作るのに苦労したという。

イスラム教に対する偏見もあった。冒頭のジャハーン氏の次男ラフィ氏(17歳)は最初に小学校へ登校した日にクラスで自己紹介した。教師にマレーシアでは何が有名かと尋ねられたので、ツインタワーだと答えたら、「ツインタワー(ニューヨーク)はあなたたちがもう壊したでしょ」と言われた。その時から学校に行くのが苦痛になったという。

それでも多くのロヒンギャの人たちは今まで与えられなかったたくさんの恩恵を享受し、初めて人間らしく生きることができたという。商才に長けていると言われるロヒンギャは米国で必死に働き成功を収めた者が多い。

米国への移住当初は、鶏肉工場での作業や飲食店の給仕として働く者が多かったが、今では人手が必要とされるシカゴのオヘア国際空港での労働や配車サービス「ウーバー」の運転手、アマゾンでの配達で生計を立てる者が増えている。

中には1日で300ドル近く稼ぐ者もいる。他にも自宅の地下を倉庫に改造しアジア諸国から民族衣装を輸入し、ユーチューブで商品説明のライブ中継を行い米国に住むイスラム教徒へ通信販売する新たな事業を開拓する者もいた。(中略)

シカゴにもミルウォーキーにもロヒンギャがお金を出した建てたコミュニティセンターやモスクがある。それらの場所では子どもたちにパソコンや英語、コーラン(イスラム教の根本聖典)、礼拝の作法を教えている。米国に移住してきたばかりのロヒンギャへの生活サポートを行っている。

自分たちの文化を大切にし、新たな同胞を受け入れる体制を整えつつある。経済的に成功したということもあるが、民族としての絆の強さを感じさせる。(中略)

迫害を逃れてミャンマーを離れた多くのロヒンギャが望んでいるように、米国に暮らすロヒンギャの人たちも祖国にいつか帰りたい、子どもたちに故郷を見せたいと望んでいる。(後略)【4月8日 龍神孝介氏(フォトジャーナリスト)WEDGE】
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ロヒンギャに関する数少ない明るい、希望が持てる話題です。
なんだかんだ言いつつも、アメリカ社会の懐の深さを示す一面も。
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