孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ラングーン事件の終焉、時代の流れ

2008-05-21 13:19:35 | 世相

(北朝鮮・平城の柳京ホテル 今年4月に工事が再開されたと伝えられています。【5月19日 読売】
105階建て、高さ約330メートルの巨大建造物です。
1987年に北朝鮮最大の建築物として着工されましたが、経済状態の悪化による資金難、技術的問題があって92年以降建設途中で放置されていました。 
食糧事情の悪化、餓死者の発生、アメリカの食糧支援が報じられている北朝鮮ですが、今ホテル建設の余力があるのでしょうか?
“flickr”より By Pricey http://www.flickr.com/photos/pricey/478953519/ )

*****ラングーン事件の実行犯が死去 北朝鮮の工作員******
ビルマ(現ミャンマー)訪問中の全斗煥(チョン・ドファン)韓国大統領(当時)の暗殺を北朝鮮が謀った83年10月のラングーン事件で、実行犯の一人だった北朝鮮のカン・ミンチョル工作員が18日、ミャンマーの病院で死去した。軍政筋が19日、朝日新聞に明らかにした。53歳。死因は肝臓がんだった。ビルマ当局(当時)に逮捕され、死刑判決を受けたが、犯行を自白したことで終身刑に減刑されていた。ほかの実行犯の2人はすでに死亡している。【5月21日 朝日】
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ラングーン事件、もう25年前になります。
【ウィキペディア】から事件の概要を引用すると以下のとおりです。

【ラングーン事件概要】
1988年のソウルオリンピック開催を目指していた韓国は、北朝鮮と親密だった非同盟中立諸国に閣僚を派遣し、韓国でのオリンピック開催や、その際の参加を熱心に説得に回っていた。金日成主席は外交的孤立の危険に非常に苛立ち、全斗煥韓国大統領の暗殺計画を実行した。
計画の立案は金日成の長男である金正日であるといわれている。

1983年10月、チン・モ少佐(85年絞首刑)とカン・ミンチョル上尉(今回死亡)およびキム・チホ上尉(逮捕時射殺)の3人がビルマの首都・ラングーン(現・ヤンゴン)へ入り、大統領一行が訪れるアウン・サン廟の屋根裏に遠隔操作式のクレイモア地雷を仕掛けた。

10月9日、大統領一行は、アウン・サン廟へ献花に訪れた。その時、遠隔操作によって廟の天井で爆発が起こり、韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側はアウン・チョウ・ミン情報文化相、タン・マウン情報文化省次官など閣僚・政府関係者4名が爆死し、負傷者は47名に及んだ。全斗煥自身は、乗っていた車の到着が2分遅れたため、危うく難を逃れた。

ビルマ警察の調査と追跡により、工作員3名は追い詰められ、銃撃戦の末に逮捕された。逮捕された2人は警察に対して案外簡単に作戦の全貌を自供し、11月4日にビルマ政府は犯行を北朝鮮によるものと断定して、3人の北朝鮮軍人を実行犯として告発、有罪となった。これによって、建国の父であるアウン・サンの墓所をテロに利用されたビルマは北朝鮮との国交を断絶するのみならず、国家承認の取り消しという極めて厳しい措置を行った。
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外国で、敵対国首脳を一網打尽に爆殺しようというこの事件の“荒っぽさ”は衝撃的で、ながく記憶に残っています。

【朝鮮半島情勢の変化】
今回亡くなったカン元被告は獄中で、「北朝鮮に戻れば“裏切り者”扱いされ、韓国に行けば全斗煥元大統領を暗殺しようとした罪で起訴されるのではないか」と心配していたこと、また、韓国政府関係者との数回の面談では、自らが犯したテロ行為を反省し、韓国に行きたいと話していたことも伝わっています。
しかし、韓国側は「北朝鮮は爆弾テロ事件を韓国の自作自演だと主張している。その事件の主導者を韓国に連行すれば、北朝鮮が“自分らが犯行を命じた人物を再び連れ戻そうとしている”と主張することもあり得る」として難色を示していたとか。【07年4月25日 朝鮮日報】

ラングーン事件を含め、当時の北朝鮮・韓国の関係は一触即発の厳しい対立関係にありました。
その頃のイメージが強く、昨今の、特に盧武鉉前政権時代の南北協調は、良し悪しは別として、なんだか狐につままれたような奇妙な感じがしています。

【ミャンマーと北朝鮮】
ところで、当時ビルマは非同盟中立国として国際社会でも一定の信頼を得ていましたが、現在の軍事政権は昨年の民主化要求弾圧、最近のサイクロン被害に対する国際援助拒否など、国際社会無視の強権体質を鮮明にしています。
その体質はかつてラングーン事件で国家承認取消しにまで至った北朝鮮のそれと共通するものを感じます。

ミャンマーでは被災者救援活動の遅れ、国際援助物資の軍部による横流しも報じられています。
北朝鮮における飢餓による国民の困窮、援助物資の闇市への流失、一部特権者の恵まれた生活などが報じられる北朝鮮の姿とそっくり重なるものがあります。
(もっとも、ミャンマーは弾圧・災害時以外は普通に外国人が観光もでき、市民生活もそれなりに営まれているように、北朝鮮の異常さとはレベルが異なるとも言えます。)

国際社会に背を向ける両国は、その似た体質・境遇からか、近年急速に関係を改善しており、昨年4月には外交関係回復で正式合意しています。
この“アジアのお荷物”をバックアップしているのが中国。
中国に両国との関係を見直すように求めるしか、とりあえずの方策はないようにも思えます。

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南アフリカ、イタリア  外国人排斥の高まり 憎しみ・差別の構図

2008-05-20 14:59:51 | 世相

(イタリア 北部同盟の選挙ポスター イタリア語で内容がわかりませんが、アメリカインディアンは“移民”のせいで今の惨状にある・・・とか言っているのでしょうか? “flickr”より by lorenzinhos
http://www.flickr.com/photos/lorenzinhos/2404432909/ )

【南アフリカでのジンバブエ人襲撃】
昨日扱った南アフリカにおける外国人、特にジンバブエ人襲撃が止まないようです。

****南アの外国人襲撃、死者22人 逮捕者は250人以上******
南アフリカ・ヨハネスブルクでは19日、前週から続いている外国人襲撃でこれまでに少なくとも22人が死亡し、数千人の外国人が避難のためコミュニティセンターや警察署に押し寄せている。
南アフリカ経済の中心地であるヨハネスブルクでは、町の至る所で武装した地元住民などが、ジンバブエ人やほかのアフリカ諸国からの移民に暴行を加え殺害している。この外国人に対する暴動は、前週初めにアレキサンドラで発生し、この時は2人が殺害された。警察当局は19日、死者は22人に上っており、250人以上を逮捕したことを明らかにした。
ヨハネスブルク近郊のイーストランドにあるスラム地区では19日早朝、暴動が再び発生し、住宅などが放火され地元住民らが避難を余儀なくされたという。【5月20日 AFP】
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【アパルトヘイトと外国人襲撃】
記事では“前週から”とありますが、外国人襲撃事件自体はもっと以前から発生していたようで、4月28日には以下の記事も目にしました。

*****南ア大統領、外国人憎悪による犯罪撲滅を呼び掛け******
外国人襲撃事件が相次いでいる南アフリカで、ムベキ大統領は27日、外国人に対する憎悪犯罪(ヘイトクライム)を止めなければならないと国民に呼び掛けた。
ケープタウンで、全人種選挙から14年目を記念する「自由の日(Freedom Day)」の祝典に出席した大統領は、「われわれ南アフリカ人は、たまたま外国人だというだけの理由による何の罪もない人々への不必要な襲撃に加担すべきではない」と演説。
「南アフリカ人は(人種隔離政策・アパルトヘイトの経験から)人種差別、性差別、そのほかの偏見が与えうるダメージを充分に理解しているはずだ」と付け加えた。【4月28日 AFP】
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【社会問題の根幹 教育】
上記記事も指摘していますが、「犯罪と失業率の増加」を外国人のせいにする傾向がこうした背景にあると思われます。
しかし、多くの場合「犯罪と失業率の増加」といった表面的な現象は、社会制度自体の歪に由来しています。
南アフリカにおける問題のひとつは「教育」です。

アパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されて14年たった現在も、白人と黒人間の経済格差が大きく、白人の平均収入は黒人の4.5倍、カラード(混血)の4倍であるとの調査報告が出されています。
その調査書が指摘している経済力の最大の決定要因が「教育」
「黒人は、アパルトヘイトが撤廃された翌日には白人専用ビーチに入ることができたが、教育はそういうわけにはいかない」という訳です。

政府は、14年間の教育格差を埋めようと、黒人が多く通う学校への助成金を増やしたり、アファーマティブ・アクション(黒人の入学を優遇する措置)をとるなどの措置を講じていますが、なかなか事態の改善には至っていないようです。【5月14日 AFP】

【ジンバブエが苦しむ二重の差別】
襲撃対象となっている外国人のなかでも、もっとも被害が大きいのが隣国ジンバブエの人々。
ジンバブエから南アフリカに逃れてこざるを得なかったのは、ジンバブエにおけるムガベ政権の経済的失策、政治的弾圧がありますが、ムガベ政権は自己の失策を人種問題にすりかえるべく、黒人至上主義を打ち出し、白人の農園・企業の不当な接収を行ってきました。
このことが、ジンバブエ経済を更に破綻に追いやっています。

ジンバブエ自国においては“黒人至上主義”よる国家破綻の犠牲となり、逃れた南アフリカでは“外国人が犯罪と失業率の増加をもたらしている”と憎悪の対象となり、二重にいわれなき差別の犠牲になっていると言えます。
南アにみられる外国人憎悪、移民排斥は別に南アだけの問題ではなく、多く(殆ど)の国々が抱える問題です

【イタリア 移民排斥の動き】
最近ではイタリアで政権獲得したベルルスコーニ政権が注目されています。
政権獲得の原動力となったのは、連立を組む極右政党「北部同盟」が得票を倍増させたことです。
「北部同盟」はイタリア北部の6州を南部から切り離し、独立を主張する政党です。
国税を無駄遣いしているとローマ以南を非難する地域主義で、移民も敵視しています。

イタリアへの移民は、80年代までモロッコ、ガーナなどアフリカ、中南米、南アジアからが主でしたが、冷戦後はルーマニアやアルバニア人が増え、最近は中国人が急増しています。
移民が大企業や役所に就職できる機会はまずなく、農業や不安定な商売に就く人が多くなります。
このことが移民と犯罪との接点にもなります。

90年に約100万人だったイタリアにおける移民は07年末、滞在許可者だけで294万。
人口の約5%に当たり、8・8%のドイツや5・7%のフランスに比べればまだ少ない数字です。
ただ、イタリアの場合、6割強にあたる187万人が北部、特に、産業と富が集まるミラノ(人口131万人)やトリノ(同90万人)に集まっているという事情があり、「北部同盟」の移民敵視政策につながります。

【移民のせいで治安が悪化したのか?】
「移民が増加したせいで治安が悪化した」と「北部同盟」は主張しますが、イタリアの殺人事件の被告人数は92年の1441人をピークに減り続け、06年には3分の1以下の442件でした。
ただ、外国人被告は92年から02年に1・8倍に増加しており、全体の殺人件数が減った分、外国人比率が6%から32%に増えています。

就業機会の問題などで移民・外国人が犯罪に関わりやすいのは事実ですが、国全体の治安が彼等のせいで悪化している事実はありません。
しかし、選挙では「治安悪化、外国人犯罪が3割」という主張が一人歩きしたそうです。【5月5日 毎日】

イタリア内務省は15日、同国の警察当局が犯罪および不法移民の一斉摘発を実施し、ルーマニア人多数を含む外国人268人を逮捕したと発表しました。
イタリアでは少数民族ロマ人を含むルーマニア人に対する風当たりが強くなっています。
しかし、ルーマニア人内部では「犯罪などが多いのはロマ人のせいだ」という多数派ルーマニア人による少数派ロマ人に対する攻撃があります。

【憎しみ・差別の構図】
アパルトヘイトに苦しんだ南アフリカ黒人が隣国ジンバブエ人を襲撃する
ジンバブエでは白人敵視政策で対立が煽られる
イタリア人はルーマニア人のせいで犯罪が増加したと主張する
ルーマニア人はロマ人のせいだと差別する
こんな話はどこの国でもあります。
日本も例外ではないでしょう。

移民・外国人を抱える社会が、均質的な社会に比べ多くの問題を抱えるのは事実です。
その克服は難しいものがあります。
そうした事情を踏まえて、移民・外国人への各自の対応がわかれる訳ですが、個人的には「社会が悪いのは移民・外国人のせいだ!」と叫ぶ自分の顔を鏡に映したときに“醜い”と感じるかどうかの“美学”の問題でもあるように思えます。




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ジンバブエ  決選投票は6月27日、国内外で続く弾圧・苦難

2008-05-19 14:50:48 | 国際情勢

(ジンバブエの野党MDC活動家 深夜自宅を民兵に襲撃され、頭を棍棒で殴られ、足を斧で切りつけられました。正視に耐えない写真がたくさん投稿されていますが、一番“穏当なもの”という基準でこの写真にしました。 “flickr”より By Sokwanele - Zimbabwe http://www.flickr.com/photos/sokwanele/2475583371/ )

ジンバブエ選挙委員会は5月16日、野党・民主変革運動(MDC)のツァンギライ議長(56)と与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)のムガベ現大統領(84)との間で争われる大統領選挙の決戦投票を6月27日に行なうと発表しました。

【続く選挙後の混乱】
大統領選挙は3月29日に行われましたが、結果が公表されないまま、野党は勝利を主張、与党は再集計を要求と混乱が続いていました。
選挙管理委員会は今月2日にようやく、ツァンギライ議長が47・9%、ムガベ大統領が43・2%の得票率で、両者が過半数に届かず「決選投票が必要」との決定を公表しました。

これに対し、既に勝利宣言している野党側は反発、「不正が行われた」と決選投票への参加を拒否する構えを見せていました。
与党・政権側は“再集計”による“時間稼ぎ”で体制の立て直しを図ったと見られており、決選投票を受け入れることを表明。
この間、MDC事務所に警察を強制立ち入りさせ、野党支持者300人以上を拘束、書類を押収するなど野党への弾圧を強めていました。
また、野党支持派に対するムガベ大統領支持派の民兵らによる暴力行為が多発しているとも報じられていました。
一方、アメリカのフレーザー務次官補(アフリカ担当)が「大統領選で勝利したのはツァンギライ議長だ」との見解をしめすなど、欧米各国はムガベ政権への批判を強めていました。

しかし、選管は野党が決戦投票を拒否すればムガベ大統領の再選を確定させる構えのため、ツァンギライ議長は今月10日、滞在先の南アフリカで会見し、大統領選の決選投票に参加する方針を初めて明らかにしました。
議長は「国際的な監視団とメディアによる選挙監視」を条件としています。
また、野党MDCは大統領選後、野党支持者30人以上が死亡し数千人が拷問を受けたり負傷させられたりしているとしていますが、政府はこれを否定しています。

ツァンギライ氏は大統領選後すぐに出国、帰国すれば国家反逆罪を問われる恐れもあるそうですが、支持者が襲撃を受けているにもかかわらず国外に滞在していることについて批判も高まっているとも報じられていました。
今回の6月27日の日程発表を受けて、17日には帰国して選挙活動を再開するとのことでしたので、予定通りならもう帰国していることになります。

【教師への弾圧】
こうした経緯をたどるなかで、ふたつ痛ましい記事を目にしました。
ひとつは、選挙管理委員を務めた教師たちに対する与党側の弾圧です。

****選挙管理委員をつとめた「教師たち」が与党の標的に*****
ジンバブエでは多くの教師が選挙管理委員をつとめたが、第1回投票で破れた与党側から「票を操作した」との疑いを持たれ、教師が襲撃される事件があとを絶たない。
匿名希望のある女性教師は、自分が与党の「指名手配リスト」に載せられたことを話してくれた。
議員がある日突然学校を訪れ、校長に彼女の所在を尋ねた。校長は「そんな者はいない」と追い返してくれたが、彼女はおびえて学校に戻ることもできず、故郷のハラレでひっそりと暮らしている。
ジンバブエでは4月29日に新学期が始まったが、彼女のように学校に戻れずに逃亡する教師は多く、教育現場は混乱をきたしている。ある教師組合は「教師の4分の3が学校に戻ってきていない」と指摘する。 

野党は、「候補者は自分の意思で選ぶ」といった投票の自由をうたってきた教師たちを「わが党のメッセンジャー」と位置づけてきた。
そうした教師の多くが今回の選挙で選挙管理委員をつとめ、「票を操作した」嫌疑で逮捕されたり罰金を科せられたり襲撃にあったりする例が頻発している。
匿名希望の別の教師は、「前週、武装した男たちから襲撃されて」東部のマニカランド州から逃げてきたと語った。自分と間違えられて襲撃された甥(おい)は、重体だという
チグウェデレ教育相は、そうした暴力行為があることは認めたが、政府の努力により事態は沈静化していると強調した。「被害はひどく誇張されている。暴力沙汰は与野党双方が起こしている」とも付け加えた。【5月17日 AFP】
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“投票の自由”は日本では当たり前のことのように感じら、特段意識されることはありませんが、一部の国では未だに“命懸け”にもなります。
先日、新憲法に関する国民投票を行い92%超という賛成票が投じられたとされるミャンマーでは、新憲法への「反対者狩り」も始まったそうです。
軍政は10日の国民投票時に「反対票を投じても罰せられない」としていたが、投票時に登録させた名前と住所をたどり、逮捕しているとか。 【5月19日 朝日】
こうした弾圧が噂になるだけで、人々は脅え、二度と権力側の機嫌を損ねるような投票はしなくなるでしょう。
それが、権力側の狙いでもあるのでしょうが・・・。

【南アフリカでのジンバブエ難民の苦難】
ジンバブエは本来、今回のような政治空白が許される状態にはありません。
何回か取り上げたように、年間10万%超のハイパーインフレーションが進行しており、国民経済は破綻しています。
そうした経済破綻に加えて、上記【朝日】記事のようなムガベ政権の反対派弾圧によって、隣国南アフリカに多くの難民が逃れています
ムガベ大統領は02年の大統領選でも不正を行ったといわれており、今回同様の反対派に対する粛清を行い、国連の報告によると05年7月までに“不法居住者の掃討”とされた警察の活動により70万人が家を失ったとされます。

しかし、南アフリカで彼等を待っているのは、警察による弾圧と国民からの差別です。
南アフリカの教会に寝泊まりするジンバブエ難民の1人は「ジンバブエ人は隣国人としてではなく動物のように扱われる」、「仕事を探しているといっても、相手にされない。苦しむのは当然だという態度をする」と語っています。
【5月11日 IPS】

そんな南アフリカから痛ましいもうひとつの記事が。

****ヨハネスブルクで外国人襲撃、12人死亡 特にジンバブエ人が標的*****
南アフリカのヨハネスブルクで、16日からいくつかの貧困地区で外国人を狙ったとみられる襲撃があり、計12人が死亡した。警察当局が18日、明らかにした。当局は、激化する暴動の収拾にあたっている。
警察当局はこれに先立ち、計6人死亡、50人が入院中で、商店の強奪や車への放火も発生したと発表していた。
前週初めにアレキサンドラと呼ばれる町で暴動が起きたのをきっかけに、ヨハネスブルクのいくつかの貧困地域で、なたのような刃物や銃を持った暴徒が、外国人、特にジンバブエ人を標的として襲撃を行っている。
近年、南アフリカには隣接するジンバブエから大量の移民が流入している。
経済崩壊や政治危機から逃れるためで、その数は300万人ともいわれているが、南アフリカでの犯罪や失業率の増加、食料価格高騰の原因として非難されている。【5月19日 AFP】
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ひとは困難な状況にあると、その困難をもたらした“原因となる人々”を探しがちです。
「あいつらのせいで、いま自分のこの困難がある。」「あいつらがいなくなれば事態はよくなる。」という訳です。
その矛先は、往々にして自分たちより弱い立場の人間に向かいます、今回の難民たちのように。

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アンゴラ  驚異的成長、しかし続く貧困

2008-05-18 13:23:15 | 世相

(アンゴラの首都ルアンダ郊外のprimary health care centre 石油の恩恵がこのような形広く国民に還元されるのであればいいのですが “flickr”より By Richard Franco http://www.flickr.com/photos/richard_franco/81718502/ )

昨日からアフリカ、特にアンゴラ関連の記事を目にします。
最初は日本政府の取組み。

【日本政府 アフリカ向けOAD拡大検討】
****アフリカ向け倍増 開発会議で表明へ ODA削減対象から除外*****
政府は歳出改革の一環で削減の対象となっているODA予算のうち、アフリカ向け分は除外する方向で検討に入った。
今月28日から横浜市内で開かれる第4回アフリカ開発会議(TICADIV)で、日本のアフリカ重視姿勢をアピールする狙いがある。
経済協力開発機構(OECD)によると、ODA総額で日本は12年まで10年連続で世界1位だったが、米国や英国などに抜かれて18年には5位に転落。福田首相は「深刻な状況だ。そろそろ反転攻勢の足場を築かないといけない」と増額の必要性を認識していた。
アフリカ問題は7月の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)の主要議題の一つとなるだけに、日本としてはTICADIVを成功させ、対アフリカ支援をリードする立場を確立したいところだ。
その一方で、政府は日本が提案している温室効果ガスの排出削減量を産業・部門別に積み上げる「セクター別アプローチ」に理解を求めるほか、日本の国連安保理常任理事国入りに対するアフリカ諸国の支持を取り付けたい考えだ。【5月18日 産経】
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ODA拡大は財政再建との絡みがありますが、可能な範囲で前向きに取り組んでもらいたいテーマです。
日本国内に道路を作り続けるより優先度は高いように思います。
ただ、単に資金を提供すればいい、相手国政府が評価し、日本がその見返りを確保できればそれでいい・・・というものではなく、その資金がどのように使われ、援助国国民の生活が本当に改善するのか・・・という視点は忘れてならないものです。

【アフリカの都市化、格差拡大】
アフリカ開発銀行(ADB)の年次総会では、アフリカの急激な都市化、貧富の差拡大に懸念の声があがっています。

****急激な都市化すすむアフリカ、貧富の格差も増大****
アフリカ開発銀行(ADB)は今週、アフリカ都市部の2008年の人口は前年比で12-13%増加し、2035年までに都市部の人口が地方の人口を上回るとの報告書を発表した。
報告書は、都市と地方の格差は縮まりつつあるが、貧富の格差は広がりつつあることを懸念している。
都市部の人口の約60%にあたる2億5000万人以上が貧困ライン以下で、都市の貧困層は2020年までに1億人増加すると見られている。
ドナルド・カベルカ総裁は、都市部の人口が増えても就労機会が創出されていないことが最大の問題だという。
「アフリカの都市化は、産業化の結果ではなく、地方の惨めな生活から逃れたいがための現象なのです」

アフリカの多くの都市では、過去10年間に爆発的な人口の増加をみている。
例えばアンゴラの首都ルアンダの人口は、1975年の独立時の75万人から現在では600万人以上にまで増えた。
アンゴラはアフリカ一の経済成長率を誇るが、ルアンダの人口の80%以上は水も電気もないスラムに暮らしている。水道の整備も進んでおらず、前年末には臭化物によるとみられる中毒で5人が死亡、数百人が病院に運ばれるという事態が発生している。【5月18日 AFP】
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【アンゴラは犯罪者たちに率いられている?】
アンゴラの状況については、こんな記事も。

*****アンゴラ:ロック歌手の発言に波紋広がる****
アイルランド出身のロック歌手で活動家のボブ・ゲルドフ氏は6日、ポルトガルの首都リスボンで開催された持続可能な開発に関する会議で「アンゴラは犯罪者たちに率いられている」と発言した。
ゲルドフ氏によると、アンゴラ指導者は首都ルアンダでロンドンの高級住宅地よりも豪華な住宅地に住んでいるという。同氏は「最貧国の1つであるアンゴラには不必要だ」と訴えた。
ゲルドフ氏の発言を受け、アンゴラ政府は「彼はアンゴラの現実をわかっていない。彼はアンゴラ人を侮辱している」と猛反発。アンゴラの政府系新聞もゲルドフ氏を『野蛮で酒飲み』などと酷評した。
アフリカ有数の原油産油国であるアンゴラは現在、中国や米国などに原油を輸出しており、アフリカのみならず世界でも最も経済発展の著しい国である。しかしその一方で、アンゴラは世界の最貧国の1つであり、大多数の国民が貧困に喘いでいる。【5月17日 IPS】
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【内戦後も続く暴力】
アンゴラについては3月28日に取り上げたことがあります。(「地雷被害者」の美人コンテスト 内戦の傷跡 後を絶たない暴力 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080328 
1961~74年は植民地支配していたポルトガル軍に対する独立戦争、1975~2002年は内戦(東西冷戦下の代理戦争、冷戦終了後は石油・ダイヤモンドなどを資金源とする資源戦争)が延々と続き、41年にわたる戦闘で100万人が死亡し、400万人が家を失い、50万人が難民となったとも言われています。
また、120万人の孤児の多くは今でもホームレスのままだとも。
3月28日には、内戦終了後も、アンゴラのダイヤモンド鉱山で働くため隣国のコンゴ民主共和国から流入する移民に対する暴力が止まない状況にも触れました。

【驚異的成長、しかし国民は・・・】
しかし、経済的には内戦終了後アンゴラは目覚しい成長を遂げています。

****新興産油国アンゴラが活況 成長率25%、懸念は腐敗****
約30年にも及んだ内戦後の復興が進むアフリカ南部アンゴラがオイルマネーで活況を呈している。原油価格の高騰も手伝って2けた成長が続き、今年の経済成長率も25%に迫る勢いだ。日本企業も注目し始めたが、政府の腐敗・汚職が蔓延(まんえん)し、石油の富が国民の貧困解消に役立っていないと批判も出ている。
首都ルアンダは今、石油企業で働く外国人であふれている。
市街地のビルには国営石油企業や欧米の石油メジャーの社名が目立つ。建設ラッシュで、クレーンが林立しており、地元住民は「資材の供給が追いつかず、よく工事が中断している」と話す。
外国人や中流階級向けの住宅も不足し、寝室が2、3部屋ある一般的な間取りでも月1万ドル(約110万円)の家賃はざらだ。国際人材コンサルティング会社の最近の調査では、ルアンダは東京やニューヨークなどを押しのけ、世界で最も物価の高い都市と認定された。
原油生産はここ10年で倍増し、日量約140万バレル。既にインドネシアを上回っており、4年後には同260万バレルに届く予定。今年1月には石油輸出国機構(OPEC)にも加盟した。歳入の8割を原油関連が占め、国内総生産(GDP)は過去6年間で5倍近くにも急増した。
アンゴラでは現在、中国の存在感が大きい。中国政府は自国への石油輸出で弁済することを条件に、数十億ドル規模の巨額融資をアンゴラに行っている。
10月には日本経団連が調査団を派遣し、商社や銀行から約50人が参加した。「アフリカへの視察団としては最大級」(関係者) 【07年12月14日 産経】
*******************************

成長率25%というのはとんでもない数字です。
すべて石油のもたらした恩恵のようです。
しかし石油の富で経済が好調な一方、政府の腐敗・汚職はひどく、内戦終結後も幼児死亡率は世界最悪水準、国民の大半は貧しいままです。

上記【産経】の記事によると、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチなどは、02年までの6年間で政府歳出のうち少なくとも42億ドル(約4700億円)が使途不明と批判しています。
大統領選が今年にも実施される見込みのため、外交筋は「選挙対策で自由に使うため、不透明な資金を残しているとの見方もある」と解説しているとか。
ADB関連記事にもあるように、ルアンダの人口の80%以上は水も電気もないスラムに暮らしています。
一方で、ゲルドフ氏が批判するように、アンゴラ指導者は首都ルアンダでロンドンの高級住宅地よりも豪華な住宅地に住んでいる・・・。

開発が国民福祉に結びつかない多くの事例のひとつです。
単なるタイムラグでしょうか?もう少しこの状態が続けば全体経済が底上げされ、やがて国民各自の生活も改善する・・・そういうものでしょうか?
国家の指導層の意識改革、政治・社会システムの根本的な改革が不可欠に思われますが、今のアフリカ各国にそれが期待できないことが多いのが悲しい現実です。


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ミャンマー  国民投票強行、進まない救援活動、物資横流しも・・・

2008-05-17 20:06:24 | 世相

(ミャンマーでの救援活動 左端の人物は僧衣ですので政府の活動ではないように見えます。 “flickr”より By TZA
http://www.flickr.com/photos/tza/2498229473/)

【犠牲者数13万人超】
ミャンマー軍事政権は16日、サイクロン「ナルギス」による死者を7万7738人、行方不明者を5万5917人と発表しました。
死者・行方不明者の合計は13万3655人と、15日の発表に比べ一挙に2倍近くに増加しています。

軍政は各国の支援要員の入国を拒むため、これまで死者・不明者の実数を少なく発表してきた疑い【時事】なども報じられていますが、単純に中国の四川大地震の陰に隠れてしまわないように数を増やしただけのことだったりして。

これほどの広範囲の大災害になると被害者の数を把握するのは実際問題として非常に困難な作業です。
中国の場合、末端行政区域の郷・鎮だけでなく、地区単位の「村民委員会」「小組」まで、各家族の構成や人数を把握しているそうで、これをベースに現場の建物倒壊などの状況、生存確認者の数などから死者、生き埋め者などの
数を算定しています。
ミャンマーの場合、そもそも被害のあった地区の状況すら当局は充分に把握していないのでは・・・とも思え、被害者数についても相当にアバウトな数字ではないでしょうか。

【ミャンマー批判へのためらい】
ミャンマーについて、あれこれ言うことに躊躇うものもあります。
ひとつは、国際社会が何を言ったところで軍政は聞く耳を持っていないように思われ、言っても仕方ない・・・という徒労感。
もうひとつは、中国やアメリカ、あるいは日本と関係が深い国と違って、“何を言ってもかまわない。ミャンマーがどうなろうが所詮日本とは大した関係ない小さな途上国で、民主主義を全く理解していない国なのだから”といった“気安さ”というか“上から目線”でものをつい言いがちな自戒の思いもあります。

軍政は、欧米民主主義と馴染みやすいスーチーさんとの対比という構図のなかで、“悪者”“反民主主義”のレッテルを貼られ、絶えず容赦ない非難を国際社会から浴びてきました。
“どうせ世界はミャンマーの置かれている状況など考えもせず、ステレオタイプな反民主主義の汚名を着せようとしているだけだ”という思いが軍政側にあって、それで余計に反発し、内に引きこもってしまうのかも。

ミャンマー国営紙は「アメリカは“カトリーナ”被害のとき、住民が黒人であったため真剣に対応せず、餓死者も出た。略奪が横行し、暴力の鎮圧に武力を動員した。それにひきかえ、ミャンマーでは政府、軍、国民が協力し合って復興作業にあたっている」とアメリカからの救援活動批判に反発しています。

【賛成が92.4%】
そうは言っても、災害後の救援活動卯の状況、先日強行された新憲法に関する国民投票を見ていると、言わずにはおれないところもあります。

新憲法国民投票については、大災害の救援活動中に強行したことに加え、「警察が家に電話してきて、もし賛成票を投じなければ、3年間、監獄に送ると言われた。」【5月16日 IPS】、「投票所に行ったら“あなたの投票は(賛成票で)もう済んでいます”と言われた。」、「監視員が後ろにいて『賛成』にマルをつけているかチェックしていた。」「公務員は最初から『賛成票』を持たされていた。ビルマはひと家族が10人。戸主が全員の分を入れるので、公務員1人が10票になる。」「1990年の選挙のときは、結果は地域ごとに発表された。今回それをしないのは、手を加えるつもりだからだろう。」【5月16日 IPS】・・・等々のことも言われています。

もとより、これらが真実かどうか確認はできませんが、何より“投票率99%、賛成が92.4%”という“あり得ない”数字が、なんらかの力が作用したこと、今回の投票が日本的な意味おける国民投票、民意ではなかったことを語っているように思えます。

【被災地を封印】
サイクロン被害の救援活動については、外国・国際機関からの人的支援を拒んできましたが、タイ・インドといった近隣の比較的良好な関係を持つ国々からの支援は認めたものの、その他については以前頑なな姿勢を崩していません。

軍政は被災地の封印を図っているとも伝えられます。【5月15日 毎日】
ヤンゴンから被災地に向かう道路に検問所を設け、通過車両を1台ずつチェック。外国人が乗っていると、強制的に引き返させています。
被災地に入る援助関係者には事前に「特別許可」を取得するよう求めていますが、国連関係者によると、許可はわずかしか発行されません。
一般市民が食糧など救援物資を直接持ち込むことも禁止し、政権の翼賛団体に寄付するよう求めています。
 
そんななか、国連事務総長から軍政トップの国家平和発展評議会議長に全面的な支援受け入れを求めた3通目の書簡を託された緊急援助調整官室の事務次長が、18日にミャンマーを訪問する予定です。

【援助物資横流しも】
現地からは、軍政の救援活動の不十分さ、あるいは物資横流しなどの情報が多数報じられています。

「(被災地で)軍による救援活動を一度も見なかった」「援助なんて何も来ていない」「あれだけ軍隊がいるのに、何をやっているのか」「軍事政権は被災地での被害状況調査も一切行っていない」【5月17日 毎日】

「役人が救援物資の国際援助食糧を質の悪いものにすり替え、被災者に渡しているのを目撃した」
「軍人が小袋の米を1万チャット(約1000円)で売っていた」
ヤンゴン空港に届いた被災地用の発電機が新首都ネピドーに転送されたとの目撃情報もある。【5月16日 読売】

タイが送った援助用食料が同市内の市場で売られているほか、援助物資として届いた防水シートや蚊帳、即席めんなどが市場の内外に立つ露天で販売されている。【5月14日 時事】

海外から届いた援助物資に「○○将軍から□□地区への寄付」と書いた紙が貼られていた。【5月16日 IPS】

【中国に比べて際立つ閉鎖性】
中国の四川大地震に対する救援活動、中国国内のメディアのオープンな報道ぶりが、国際的にも概ね好意的に受け止められているだけに、ミャンマー軍政の対応の鈍さ、閉鎖性が際立ちます。
中国ではネットを通じた若者のボランティア参加も拡大しているそうです。
また、聖火リレー継続への批判とか、手抜き工事が被害を拡大したのではないかという批判などが表に出てくるなど、社会全体の情報・意見に関する“風通しのよさ”は昔の中国からは考えられない隔世の感があります。

(“オープン”とは言え、「軍の救援活動をできるだけ大々的に報じるように」といったマスコミへの指導は行われています。まあ、政権がある程度マスコミ操作をしたいとするのはどの国も一緒です。また、軍・治安当局の展開状況は、被災地に多い少数民族の動向をある程度意識してのものでしょう。)

2005年にスリランカ・インドネシアを襲った大津波のときは、国際社会の援助が大きな役割を果たしました。
伝染病や飢餓など二次災害による死者はほとんど出ず、スリランカの避難民キャンプでは「津波前よりも食事が良くなった」という話は珍しくなかったとか。
甚大な被害を受けたインドネシアのアチェは軍事政権下で弾圧にさらされていましたが、津波を期に独立運動組織と軍事政権の間で和平が成立しました。【5月16日 IPS】

【人災の懸念】
ミャンマーでは救援が進まないなか、コレラの感染もWHOから報告されています。
これからモンスーンの季節に入り集中豪雨が予想されています。
これにより、救援活動はさらに難航し、コレラなど感染症発生といった二次災害が懸念されます。
そうなるともはや自然災害ではなく、軍事政権による人災としか言い様がありません。

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日本のミニマムアクセス米の緊急援助への利用

2008-05-16 14:36:16 | 世相

(コメにもいろんな形・色があります。 “flickr”より By jouste
http://www.flickr.com/photos/dpblackwood/2393944267/)

昨日、世界的な食料価格高騰に対する日本の支援策に関して“ミニマムアクセス米”活用の記事を見ました。

****日本に眠るミニマムアクセス米、放出でコメ高騰対策に 米NGO****
【5月15日 AFP】日本が世界貿易機関(WTO)の合意に基づいて米国から輸入しているコメ150万トンについて、ワシントンDCに拠点を置く非政府組織(NGO)Center for Global Development(CGD)は14日、「コメの価格高騰に歯止めをかけるため」に第三国への売却、または国連世界食糧計画(WFP)への譲渡を米国が許可するべきだとの見解を示した。
1993年のウルグアイ・ラウンド農業合意で定められた農産物の最低輸入制度(ミニマムアクセス)に基づき、日本は米国から中粒米を、タイとベトナムから長粒米を輸入しているが、国内の農業保護政策のため用途を飼料用に限定しており、在庫が積みあがっている。
CGDは、在庫150万トンのコメの大半は状態がよいと指摘。国際市場に放出できれば、日本政府も保管に膨大な経費をかけずに済み、コメ価格高騰を止めるためには最も簡単な方法だとして、米国に「黙認」を呼びかけている。
*************************************

日本のコメに関する輸入制度や“ミニマムアクセス米”に関しては、何も知りませんでしたので少し確認してみました。

【世界のコメ生産と貿易】
世界の主なコメ生産国は、中国、インド、インドネシア、バングラデシュなどのアジア諸国で、中国とインドの2ヵ国だけでも約5割を占めています。
しかし、これらの国々は国内供給が中心で、コメ輸出でみると、アメリカ、タイ、オーストラリア、ベトナムなどが主な輸出国です。

日本もその典型ですが、主要生産・消費国が自給を前提とし、あまったら輸出するという体制ですので、生産量に比べ輸出量が極端に小さい(資料・年次により異なり、輸出量は生産量の3~5%とか、0.3%とかいった数字が見られます)のがコメの生産・貿易の特徴です
また、アメリカ・オーストラリアというあまり国内消費しない先進国が、輸出作物として生産し、輸出市場で大きなウェイトを占めているのも特徴です。

このため、コメの国際相場は、その時々の事情で大きく上下します。
日本が259万トンもの緊急輸入をした94年には、一トン500ドルを超え、世界的に豊作だった87、8年には一トン200ドルを割り込むこともありました。

93年の冷夏による「平成の米騒動」時にはタイから緊急輸入されましたが、日本のジャポニカ米ではなく細長いインディカ米で馴染みがなく、調理法も周知されなかったため、日本国内では大変不評でした。
一部に混入物があったと騒がれたこともあって、国内供給が回復すると大量に廃棄されたり、飼料にまわされたりして、輸出したタイ側の感情を逆撫でする摩擦も起こしました。
(私は当時、安価なタイ米ブレンドを使っていましたが。)

【米の内外価格差】
やや古い数字ですが、日本国内における2000年当時の米の消費者価格(1kgあたり)は、アメリカ(116円)の3.1倍、タイ(43円)の8.5倍、中国(28円)の13倍でした。
アジア各国とは人件費、肥料使用の有無、年間収穫回数などで、アメリカ・オーストラリアとは生産規模で、圧倒的な差があるのが現状です。

【ミニマムアクセス米】
ミニマムアクセスとは、WTOにおいて求められる貿易自由化・輸入制限廃止・関税化(輸入数量制限のような非関税措置を撤廃し、通常の関税により輸入量の調整をはかること)に伴い、関税化対象品目のうち、従来ほとんど輸入がなかった品目について設定された最低限必要な輸入量をいいます。
日本はコメについて、93年のウルグアイラウンドでは「関税化の例外措置」として関税化を拒みました(その結果毎年ミニマムアクセスは増加されます。)が、99年から関税化に応じています。
現在、日本のコメに関するミニマムアクセスは76.7万玄米トンです。

日本の米輸入の仕組みは以下のようになっています。
①ミニマムアクセス米以外の米の輸入については、高率の税を課すことにより、実質的に輸入数量の管理を行う
②ミニマムアクセス米は、全量国家貿易の下、基本的に食糧庁が買い取り、価格等の面で国産米では十分対応できない用途(主として加工用途)に向けて販売する。
③ 売れ残ったミニマムアクセス米は、援助用途に充てる。
それでもニーズがなくて最終的に売れ残ったミニマムアクセス米は、国産米の在庫とは別の在庫として管理する。

【近年の情勢変化】
****「お荷物」のミニマムアクセス米の在庫急減 穀物高騰で飼料用に*****
【4月17日 朝日】93年のウルグアイ・ラウンド合意で一定量の輸入が義務づけられ、政府の「お荷物」となっているミニマムアクセス(MA)米の在庫が、07年度に急減した。
農水省によると、トウモロコシなどの世界的高騰で、MA米を飼料に使う農家が急増しているという。
07年度末時点での在庫は120万トン強。
ピークには国内のコメ消費量の4分の1にあたる203万トンの在庫を抱えていた。
それに比べ約4割減少した。
政府は06年度から飼料用として販売を始め、同年度は40万トン、07年度は60万トン強を売った。08年度は70万トンを見込んでいる。
MA米については、倉庫料だけで184億円(06年度)もかかっており、収支は大幅な赤字だ。在庫が減ると国民負担は減少する。
MA米輸入は95年度から始まった。現在は年間77万トン。1トンあたり6万~7万円で、国産米(同20万円強)の3分の1程度だ。国産米の価格下落に配慮して、年間20万~30万トンをみそ、菓子メーカーに販売したり、10万~20万トンを援助用に回したりしてきた。
***********************************

昨今の世界的な穀物価格上昇はコメも例外でなく、途上国の低所得層に大きな影響を与えています。
特にインド・ベトナム・ブラジルの輸出制限によって混乱に拍車がかっています。
日本を始め先進国は国際支援の緊急対応を迫られているおりですので、ミニマムアクセス米についても、国内加工や飼料に回すより、途上国援助に振り向けるべきものでしょう。
保管経費が浮く日本にもメリットのある話です。
(援助国の嗜好に合うかどうか・・・という問題はありますが)

わからないのは、冒頭引用記事に“米国が許可するべき”とか、“米国に「黙認」を呼びかけている”とかいう文言が出てきますが、日本が自国のミニマムアクセス米在庫を使用するのに、アメリカの許可が必要なのでしょうか?
別に“皮肉”“批判”ではなく、制度の仕組みとしてよくわかりません。
仮にそういう仕組みであるにせよ、アメリカ自身が各国に緊急支援を呼びかけている訳ですから、異存はないように思えますが・・・。


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パレスチナ住民の大量越境に備えるエジプト政府

2008-05-15 13:17:33 | 国際情勢

(1月の壁爆破のときの様子 “flickr”より By samdaq (AT) hotmail
http://www.flickr.com/photos/10948116@N08/2249963737/)

昨年6月以来のパレスチナ・ガザ地区の封鎖は相変わらず続いています。
実効支配するハマスのイスラエル攻撃、それに対抗するイスラエルの輸出入禁止措置によって、ガザの住民約150万人は食糧、医薬品、燃料の欠乏に直面。
ガザが必要とする食糧の2/3を提供している国連難民救済事業機関も、燃料不足で4月末から食糧配給の停止を余儀なくされています。
最近の記事から拾うと・・・

*****エジプト、ガザ検問所を要治療者のため開放******
【5月11日 AFP】エジプト政府は10日、イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザ地区のラファ検問所を開き、高度な治療が必要なパレスチナ人550人を医療施設に搬送した。
ハマス幹部は治療が必要な住人やガザ地区またはエジプトから居住地に戻れなくなった人々のために検問所が10日から3日間開放されることを認めた。
ハマスによる制圧以降、イスラエルは限られた人道支援を除きガザ地区の通行を規制している。

*****ガザ地区で再び停電、燃料不足で発電所が稼働停止****
【5月12日 AFP】ガザ地区で11日、イスラエルからの燃料供給が4日続けて途絶えたため地区内唯一の発電所が稼働を停止し、再び停電となった。
人口が密集し窮乏するガザ地区の電力供給は、30%が地区内唯一の発電所から、ほかの大部分がイスラエルから直接行われており、わずかにエジプトからも供給されている。
イスラエル政府は、パレスチナの武装勢力が4月9日、燃料備蓄施設を攻撃し、イスラエル市民2人を殺害したことから、ガザ地区への燃料供給を削減した。

*****イスラエル:ロケット弾が着弾、11人負傷*****
【5月15日 毎日】イスラエル南部アシュケロンで14日、隣接するパレスチナ自治区ガザ地区から発射されたと見られるロケット弾がショッピングセンターに着弾、爆発し、ロイター通信によると少女や女性を含む少なくとも11人が負傷した。
*********************************

そんななかで“なるほどね・・・”と思ったのが、こちら。

****パレスチナ住民の大量越境に備えるエジプト政府****
【5月14日 IPS】ハマスのリーダー、ハリール・アル・アヤ氏は最近、「包囲が解除されなければ、貧窮するガザ市民は、食糧、日用品を求めてシナイ半島に大量脱出するかもしれない」と語った。
同発言を脅威と受け取ったエジプト政府は、報道および国境地帯住民の証言によると、ここ数週間、国境警備の大幅増強を行っているという。
エジプト国境から40kmのところにあるアル・アリシュに住むジャーナリスト、ハテム・アル・ブルク氏は、「4月初めから国境警備の強化が始まり、配備された治安部隊の数は750人から2,750人に増加した。また、エジプト政府は、国境沿いのバリケード建設を急いでいる」と語る。
同氏によれば、20業者が、国境全域にわたる高さ4m、厚さ2mの壁の建設に当たっているという。
******************************

今年1月23日に、壁が爆破され、食料品などを求めて50万人ともいわれるパレスチナ人がエジプトに押し寄せたことは、記憶に新しいところです。
“なるほど”と思ったのは、エジプト当局が懸念する理由で、「ガザ市民の大量越境があれば、イスラエルは再びガザを占拠して国境を封鎖するだろう。そうなれば、パレスチナ人はエジプト国内に止まざるを得ず、パレスチナ問題のシナイ半島拡大の可能性も出てくる。エジプト政府は、それを恐れているのだ」とのこと。

パレスチナ難民支持は“アラブの大義”の冒頭にくるものではありますが、実際問題としては、アラブ各国にとって難民はお荷物であり厄介者です。
なんとかこの厄介の自国内シナイ半島への拡散を防ぎたいというのが、エジプト当局の本音のようです。

ブッシュ大統領は14日、中東歴訪の最初の訪問国イスラエル入りしていますが、オルメルト・イスラエル首相は自身の収賄疑惑に絡み、警察当局がエルサレム市庁舎の捜索を行うような状態。
オルメルト首相が汚職疑惑で捜査を受けるのは、2006年の首相就任以来5度目(!)となるそうで、「検察当局が私を起訴する場合には辞任する」と述べてはいますが、収賄疑惑が相次ぐオルメルト首相に対する国民の不信感は高まっているそうです。

一方のアッバス議長は泣かず飛ばず状態が続いています。
交渉の両当事者の国内基盤が脆弱な状態では、国内反対者を封じ込める必要のあるなんらかの譲歩を伴う交渉は進みようがありません。

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南米  古代アンデス文明からボリビア情勢まで

2008-05-14 11:44:07 | 世相

(ペルーのカラル遺跡 “flickr”より By beardiebloke
http://www.flickr.com/photos/michaelbauer/817069083/)

GWの旅行から帰国して新聞を整理していると、古代アンデス文明に関する記事を目にしました。

*****5000年前に「祭祀都市」 南米に「四大文明」級遺跡*******
約5000年前の紀元前3000年ごろからペルー中部海岸地域で発展した「古代アンデス文明」の解明が進んでいる。代表例の1つが米州大陸最古の祭祀(さいし)都市カラル遺跡だ。乾燥した渓谷の小川沿いで宗教儀式を行うピラミッド型の神殿を中心に、都市が栄えたという。
スペインに滅ぼされたインカ帝国がこの地域を支配する時期より4000年以上も前で、古代エジプトに初めて王朝が開かれたのとほぼ同じ時期。ペルー考古学の専門家らはエジプト、中国、インダス、メソポタミアで地球上最も古い“四大文明”が栄えたとする史観は「見直されるべきだ」と口をそろえている。【5月6日 南日本】
*************************************

南米の古代文明というと、インカ文明やアステカ文明を思い浮かべますが、これらは時期的には13,14世紀からスペインに滅ぼされる16世紀までと、比較的新しいものになります。
メキシコ・ユカタン半島のマヤ文明も、古典期で300年頃からと言われています。
5000年前というと、相当に遡ったものになります。

この記事を読んで思ったのは、ベーリング海峡を通って新大陸に人類が移住したのが1万4000年ぐらい前と言われていますが、移住して早々に進んだ文明が展開したことになり、文明の発達というものは必ずしも時間の経過に沿ったものではないのかな・・・ということです。
進むときには沸き立つように一気に開花し、滅ぶときもまた一気に・・・ということが文明の歴史には珍しくないようです。

南米の古代遺跡に関してはこんな記事も。

****チリのモンテベルデの住居跡、「南北アメリカで最古」と判明*****
チリ南部のモンテベルデの住居跡は1万4000年前のものであり、南北アメリカでは最も古い居住跡であることが確認されたとの論文が、9日の米科学誌「サイエンス」に発表された。
これにより、モンテベルデの住居跡には、これまでに知られている南北アメリカで最古の居住地よりも1000年以上も前に人が住んでいたことが立証されたとしている。
研究者らは、同住居跡の年代が明らかになったことで、「人類は1万6000年以上前に、当時、陸地だったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移動した」とする一般的な仮説も裏付けられるとしている。【5月13日 AFP】
*************************************

人類がベーリング海峡を渡ったのはいつなのか?
上記記事では“1万6000年以上前”となっていますが。
当時ベーリング陸橋によりユーラシア大陸とアメリカ大陸とが陸続きになっていたとはいえ、1万4000年前までは、北米に存在した氷河(カナダ北東部からと、ロッキー山脈からの二つの氷河)のため、ベーリング陸橋とアメリカ大陸との間の陸路は閉ざされていた・・・というような説明も見られますが、実際のところ(誰も見ていませんが)どうなのでしょうか?

いずれにしても、新大陸に侵入して以降の人類の展開は、非常に速いものがあります。
北米の遺跡と南米の遺跡の間には1千年ぐらいしか、時間的差がないという話も聞きますが、そのあたりもモンテベルデの住居跡の話如何ではどうなるのでしょうか?

ネットで検索すると、新大陸への人類の移住に関しては、当然ながら諸説あるようです。
そもそも“ベーリングTheory”(モンゴロイドが、アジア各地からベーリング海峡を通り、アメリカ大陸に渡ったりアメリカ原住民の祖先となったという説)そのものがもはや虚構であり支持されない・・・という考えもあるようです。

米サウスカロライナ州南部で定説を覆す約5万年前の北米最古の遺跡を発見したとサウスカロライナ大の発掘チームが明らかにしたという04年の記事もありました。【04年11月24日 読売】
また、南米アマゾンで北米遺跡より古い遺跡が発見されており、「民族大移動」のパラダイムが変わってきていると主張されている研究者もおられるようです。

門外漢には、どれがアカデミックなもので、どれが“眉唾”なのか全く判別できませんが、誰も見た訳ではない古代文明や人類の歴史には、“常識のうそ”的なものがあってもおかしくはないような気もします。
ナスカ地上絵を引き合いに出して地球外生命の存在を力説されていた某官房長官もおられたようですが。

南米つながりで、最近の情勢に少し触れると、ボリビアでの自治拡大(中央政府からの実質的離脱)を求める住民投票のニュースを目にしました。

ボリビアのモラレス大統領は、主に西部に居住し貧困に苦しむ先住民族に対して東部の産出する富を再分配する政策を進めています。
これに反発する東部の各州が、中央政府の管理から離脱を図って各地で住民投票を進めています。

5月4日に実施されたサンタクルス州の住民投票では「自立」派が85%を占めましたが、モラレス大統領は住民投票自体が違法であると主張し、さらに、反対票・無効票・棄権をあわせると有権者の49%に達することを指摘して、投票の正統性を否定しています。

この問題は12月24日にも取り上げていますが、そのときの記載を転記します。
「東部のサンタクルス、タリハ、ベニおよびパンドの富裕な4県は、国内総生産の3分の2、人口850万の3分の1を占めており、鉱山企業や大農園が集中しています。
東部4県は天然ガスなどの資源に富み、その利権を新たに地域づくりに生かすことを求めています。
また東部住民には先住民と白人の混血が多いのに対し、モラレス大統領の出身地である西部山間部は先住民が多数を占めています。
両者の対立は、天然ガス国有化を進めるモラレス大統領による経済活動の国家管理の懸念、資源利益の東部から西部への移転という経済面に加え、人種的対立の側面も含んでいます。」

一方、モラリス大統領は、先住民の権利拡大、国家による遊休私有地の収用を認めて大土地所有制を制限などを盛り込んだ憲法改正案の是非を問う国民投票を5月4日に実施する予定でした。
憲法改正は、先住民出身のモラレス大統領が掲げる重要公約の一つです。
こちらについては、5月4日の実施は延期されたようです。

いずれにしても左派政権ボリビアでは人種・経済対立からの“国家分裂”を孕んだ展開が続いているようです。

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ネパール、セルビア  予想に反した選挙結果

2008-05-13 14:26:46 | 国際情勢

(ネパールDhunche マオイストの軍司令部 
“flickr”より By tearsxintherain
http://www.flickr.com/photos/tearsxintherain/2405979072/)

日本の選挙では結果発表がどんどん早くなり、最近では、投票締切後すぐに出口調査による結果予測が各TV局から発表されます。
それはまだしも、開票0%で“当選確実”が次々に報告されます。
結果がわかっている選挙というのは、“何のための選挙だったのか・・・”とも思われ、空しいものを感じます。

先月10日に行われたネパールの総選挙は、結果確定に随分時間をかけていました。
投票から2週間以上たってようやく“確定”という言葉が見られるようになりましたが、4月28日段階でも「選挙管理委員会は全ての開票が終了したことを発表した。残る作業は推薦による26議席と比例代表の各党の候補者割り振りだけである。」と、“まだ、終わっていないの?”という具合でした。
最初、ヒマラヤ山間部に村々が点在する地形上の問題かと思いましたが、それ以上に比例配分システムが複雑なことや内閣指名枠の存在などによるもののようです。

あまりにゆっくりとしているので、“確定してからとりあげよう”と考えているうちに時期を失してしまいましたが、結果は周知のように、大方(私を含め)の予想に反して、全議席の4割近くを獲得する“共産党毛沢東主義派(マオイスト)”の地滑り的大勝利でした。
武装闘争では約1万3000人が死亡し、経済の停滞や国土の荒廃を招いたとされ、武装闘争停止後も力を背景にした恐喝まがいの行為も多いと言われており、人々の支持がどのくらいあるのか、特に“地盤”を持たない小選挙区でどこまで票を伸ばせるか・・・大方は厳しい見方をしていました。
もし、マオイストが大きく敗北するようなことになると、選挙結果を受け入れず再び混乱状態に戻るのでは・・・とすら懸念されていました。

マオイスト自身が、厳しい選挙結果を予想して、何かと理由をつけて選挙実施を遅らせてきたぐらいですから、結果に一番驚いているのは彼等自身でしょう。

この結果の背景として、「マオイストが負けた場合、結果を不服として過激な抗議行動をとることを心配した面もあるのではないか」といった声もありますが、やはり基本的には、有権者は新しい党としての期待が強く「既成政党に汚職がはびこり、国が発展しなかった」との不満が強かった、特に若い世代に“変革”を求める声が強かったということでしょう。

マオイストは「農村から蜂起して都市を包囲する」との毛沢東思想を実践する、ペルーの武装組織センデロ・ルミノソなど南米左翼ゲリラの闘争スタイルを手本にしてきたと言われています。
「一党独裁」などのマルクス主義革命にはこだわらない柔軟な姿勢を示しています。
「毛沢東主義派」を名乗っていますが、王政との関係を重視してきた中国共産党はマオイストとの「無関係」を強調し、毛派を名乗ることを非難してきました。
(恐らく、見込み違いに臍をかんでいるのでは。)

ただマオイストは、王制廃止と共和制への移行、武装闘争の放棄と民主化路線の堅持以外に、具体的な政策を示しておらず、今後どのような政策を打ち出すのか、「誰にも分からない」(地元記者)のが現状のようです。
カトマンズの選挙区で当選したマオイストのある候補は、「我々は新しい党で選挙の経験はなかったが、このような結果になってとても興奮している。国民が我々に負託してくれるのであれば、この国を率いる用意がある」と語っています。
“初々しい”気負いみたいなものも感じられます。
今月28日に制憲議会の初会合が開かれることが12日発表されました。
この場で、王制廃止が決定される予定です。

なお、マオイストだけでは過半数に達しないので連立工作が焦点になりますが、具体にどのような動きになっているのかよくわかりません。
第2党のネパール会議派、第3党の統一共産党は協力を渋っているとも伝えられていました。

また、王制廃止後、大統領を置く方針ですが、大統領と首相の権限分担など、詳細はいっさい白紙の状態で、共和制の内容については議会でのさらなる審議が必要とされています。
新憲法成立までは、プラチャンダ書記長が首相となる見方が有力で、同書記長は市場経済を発展させ、外国からの投資促進をはかりたいとしています。
もちろん、「毛派では経済改革はできない」との冷ややかな見方もあり、マオイストによる“独裁”を警戒する声も依然、強くあります。

その他の選挙結果としては、南部の平野部のインド系住民らが結成した新党の「マデシ人民の権利フォーラム」と「タライマデシ民主党」が、それぞれ52議席、20議席を獲得したことも注目されます。

なお、日本国籍を捨てて新党「ネパール国家発展党」を率いて、この選挙に挑戦した長野県出身のホテル経営者(ホテル・エベレスト・ヴュー)宮原巍さんは落選におわりました。
ネパールの経済発展政策をマニフェストに掲げ、30歳代の若者を中心に小選挙区選に11人、比例代表選に42人(自らは比例名簿第1位)を擁立しましたが、1人の当選者も出せませんでした。

比例代表は有効投票総数の0.29%程度で1議席が配分されますが、「ネパール国家発展党」の獲得票数「8,026票」は、0.07%に過ぎず、議席獲得に必要な票数の4分の1程度にしか届きませんでした。

宮原さんは敗因について、「(1)私たちの政党の存在を一般の人たちに知ってもらうことができなかった、(2)若者に焦点をしぼったが、若者の票はマオイストに流れ、全く得られなかった、(3)全員が政治も選挙も素人で、選挙への取り組みが甘く、戦略も細かい詰めもできていなかった」と反省を込めての分析を明らかにしています。

今後については、「次の選挙に向けて活動を継続して行きたい」と引き続き2年後に国会議員を目指すことを明らかにしています。

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予想に反した選挙結果という点では、先日のセルビアの総選挙も、EU加盟推進派の苦戦が予想されていましたが、結果は周知のように、親欧米派タディッチ大統領率いる「民主党」中心の政党連合が、得票率38.7%(103議席)で議会第1勢力を獲得しました。

コソボ独立を認めないという点では多くのセルビア国民の意見は一致しており、コソボ独立を進めるEUに対しては厳しい視線があります。
そのため、コソボ独立を機に、EU加盟交渉を凍結すべきだと主張するコシュトニツァ首相のセルビア民主党が、EU加盟と独立問題は切り離すべきだと主張する親欧派のタディッチ大統領の民主党と対立し、連立政権が崩壊したことを受けて今回の選挙となりました。

今回の選挙結果は、国民の多くが「コソボ問題はさておき、今日・明日の暮らしを考えると、国際的孤立を避け、EU加盟に道を見出すしかない」という現実的な判断を示したことを窺わせます。
セルビア国民の64%がEU加盟を支持する一方、セルビアがコソボ独立を認めるという条件付きならば71%が反対を表明するという調査結果があるそうで、国民感情は複雑です。

今後の政権運営という点では、結果の数字はかなり微妙です。
コソボ独立にも賛成している自由民主党やその他諸派を集めても過半数にわずかに届きません。
逆に、かつての第1党である極右民族主義的なセルビア急進党は得票率29.1%、獲得議席77に止まりましたが、コシュトニツァ首相率いるセルビア民主党(30議席)、旧ユーゴスラビアの故ミロシェビッチ元連邦大統領のセルビア社会党(20議席)と連立すれば、定数250の過半数を制することが可能です。

EU加盟推進のタディッチ大統領・民主党が政権獲得するためには、セルビア社会党を取り込むとか、セルビア民主党からの協力者を釣り上げるとかが必要です。
もし、セルビア急進党を軸とした民族主義政権が誕生した場合には、年30億~50億ユーロの外国投資が逃げるともみられています。
コソボ問題も更に混迷しそうです。

セルビア国民は今慎重な選択を迫られています。

日本では国会の“ねじれ”がとやかく言われていますが、世界各国の政治状況を見れば、独裁・軍事政権国家でもなければ安定多数支配などは稀のようにも思えます。
国民の多様な民意を反映すれば議席配分も当然に複雑な結果になるとも言えます。
それを前提にした政権運営・政治活動が望まれます。


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パキスタン  前最高裁長官の復職、イスラム武装勢力との対話・・・迫られる難しい選択

2008-05-12 16:05:26 | 国際情勢

(パキスタン政局のキーパーソン チョードリー前最高裁長官 “flickr”より By sarahperacha
http://www.flickr.com/photos/sarahperacha/3857907247/)

パキスタンの政情がはっきりしません。
パキスタンは核保有国ですので、もうひとつの核保有国インドとの関係を含めて、それだけでもこの国の動向は重要ですが、それ以上に、北西部トライバルエリアが隣国アフガニスタンのタリバン・アルカイダ勢力の活動拠点となっており、これら勢力にパキキスタン当局がとる対応はアメリカ・ISAFがアフガニスタンで進める戦い、ひいては世界的な“テロとの戦い”の成否に関わる点で関心を持たれています。

パキスタンは2月の総選挙結果を受けて、故ブット元首相のパキスタン人民党(PPP)とシャリフ元首相のパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派を中心に、旧与党イスラム教徒連盟クアイディアザム派以外の全勢力が結集する形で3月25日ギラニ首相(PPP)が誕生しました。

もともと“反ムシャラフ大統領”を鮮明にし、親イスラム勢力的なシャリフ元首相と、ムシャラフ大統領との決定的な対立までには至っていない、親米的なPPP、それを率いるザルダリ氏(故ブット元首相の夫)との間にはかなりの“温度差”があり、連立・政権運営には困難が予想されていました。

4月5日のブログでも、ギラニ内閣の発足の経緯、“無難な”スタートについて触れましたが、ここにきて最大の懸案事項であるチョードリー前最高裁長官等判事の復職をめぐって壁にぶつかっているようです。
連立両党は前長官復職には基本的には合意したことになっており、ギラニ首相は、新政府発足後1カ月以内の前長官復職を公約しました。
しかし、すでに1ヶ月以内の復職はタイムオーバーとなっています。

チョードリー長官が復職すればムシャラフ大統領の再選が無効と判断されると推測されており、この問題はムシャラフ大統領の去就に直結します。
また、ザルダリ氏にとっては、自分やPPP関係者の刑事訴追を免除した、ムシャラフ大統領による「国民和解協定」を前長官が「違憲」と断じる恐れがあります。

そういった事情で、ザルダリ氏側は前長官復職に慎重な姿勢を示してきました。
「最高裁長官の任期を3年にする」という提案もされたようです。
現行法では最高裁長官の任期はありません。
任期が3年になると、前長官は任期をほぼ終えており、復職してもすぐに退任を迫られる・・・という仕組みです。
当然シャリフ元首相側は反発しています。

なぜかわかりませんがドバイで、ザルダリ、シャリフ両氏の協議も行われました。
GW明けに連休中の新聞を整理していると「曲折の末、12日に前長官を復職させる方針で一致 ムシャラフ大統領失職の危機」【毎日】と報じられており、「ふーん、そうか・・・」と思ったのですが、“曲折”はいまだに続いており、「パキスタンの反ムシャラフ大統領派連立内閣を構成するパキスタン人民党とパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派は11日、大統領に解任されたチョードリー前最高裁長官ら判事の復職をめぐり合意できなかった。」【5月12日 共同】とも報じられています。

ムシャラフ大統領により解任された前長官は民主化運動の象徴であり、これを復職させないということは“反ムシャラフ”を掲げる以上は困難です。
しかし、復職はムシャラフ大統領失職(再度の大統領選挙を行っても勝ち目はないとみられています。)、ザルダリ氏の訴追免除に直結する問題で、シャリフ元首相もムシャラフ、ザルダリ両方を一挙に追い落とすべく、連立解消の可能性をみせてザルダリ氏、PPP側に揺さぶりをかけています。

一方、ムシャラフ大統領を温存したいアメリカや軍部が、復職合意に圧力をかけているとの憶測も現地ではささやかれているとか。
復職で合意して大統領失職に至るのか、合意できずに連立解消(その場合は大統領側とPPPとの連立になるのでしょうか)に至るのか・・・難しい選択が迫られています。

イスラム勢力との関係では、ギラニ政権誕生後、自爆テロなどは目だって減少しています。
4月25日に自動車爆弾、5月1日に自爆テロ・・・その2件だけです。

ギラニ首相は国民議会の施政方針演説で、イスラム過激派が武器を捨てるならいつでも対話をする準備ができているとし、「北西部の部族地域が(国際テロ組織アルカイダなど)過激派の温床となっているのは、教育水準の低さや貧困が原因である」と武装勢力との対話を呼びかけました。
これに対し、武装勢力側からは、「米国と手を切るならば(対話に)応じる」との声明を出されました。

ギラニ首相はPPPの方針である“米国主導の対テロ戦争を継続”も明言しており、このイスラム勢力への対応についても、アメリカ寄りのPPP、融和的なシャリフ元首相派・・・と同床異夢の両党が連立していくことの難しさが垣間見えます。

その後、ギラニ首相の対話路線に沿う形で、ブット元首相暗殺の首謀者とされる、タリバン幹部のメフスード容疑者が、支持者に対し攻撃を中止するよう命令しました。
その通達には、「全面的な和平に向け、挑発的な行為を厳重に禁じる。これは最後通達で、例外はない」と記され、命令違反者は厳しく罰せられると警告されています。

アメリカはこのような“対話”の動きを懐疑的に眺めているようです。
ネグロポンテ米国務副長官は「だれがテロリストと交渉できるのか理解できない」と対話路線をけん制しています。【3月31日 毎日】
ただ、パキスタン国軍はタリバン勢力との結びつきが以前から言われていますので、また別の反応があるかも。
メフスード容疑者の停戦指令を歓迎する意向も示しています。【4月25日 AFP】

今後、アメリカとの同盟関係も維持しながら、対話によるテロ対策を成功させることができるか・・・これまた難しい選択を迫られる問題です。

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