家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

84歳の誕生日

2011-03-10 07:40:14 | Weblog
母の84歳の誕生日が来た。

朝早くから活動している私は8時半が過ぎるのを待ちわびていた。

あまり早くケータイが鳴ると何かあったのではないかと心配するだろうから世間が動き始める時刻を待っていたのだ。

日が出ていても進まぬ時間は少し遅く動いているように感じた。

誕生日おめでとうのメールを送った。

ほどなくして母から返事のメールが届いた。

自分の掌を見ると形や静脈の走り方が父にそっくりだ。

咳払いなど、ふとした時に出てしまう声もまた父によく似ている。

だが考え方そのものが父とは違う。

そこが違うものだから父とは全く行動が違う。

しかし考え方は目に見えないし、また変わってしまうこともある。

ところが母の兄弟姉妹を見ていると私の考え方の根源がここにあると実感するのだ。

またそれは身長にも表れている。

私は大正生まれの父よりも6センチも背が低い。

母方は総じて身長が低い。

そこが私に遺伝したのだと思う。

この年になって身長の低さなど取るに足りないことだと実感している。

むしろ低いという個性を楽しんでもいる。

低い身長が父との違いの証明のような気がしている。

母にこのことをメールした。

「嬉しい」との返事だ。

妻から母へのプレゼントはタマネギの皮で自分で染めたスカーフ。

私は何も用意していなかったので近所のコンビニで咳止めの飴を買って持っていった。

毛糸の帽子にマスクを掛けてコンビニに入ると従業員が「ドキッ」としたようだった。

私が飴の袋を2つ持ってレジに行ってもしばらくの間誰もレジに来ない。

どうやら強盗か何かと間違えられたようだ。

「今そこのコンビニで買ったばかりだから、まだ暖かい」と言って母に渡した。

笑いながら「ありがとう」と言った。

小さな母の背中が少し曲がって益々小さくなった。

だが家族に与えている影響は大きなままだ。