家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

夜の神社の境内

2011-03-05 07:28:29 | Weblog
子供達が、まだ小さかった頃私の実家で夕食を食べて帰ったことがある。

「さあ帰ろう」と言うと

「歩いて帰ろう」という。

明日私が歩いて出勤すれば今夜歩いて帰ってもよい。

息子二人を連れて3人で歩いて帰った。

神社の前に到達した。

「あの社殿まで行ってこられるか?」と聞いてみた。

「行けるよ」と言って夜の松林の境内の中の社殿まで1人で歩いて行ったのを覚えている。

それはたぶん長男だったと記憶している。

だが年齢は思い出せない。

その話を虎太郎君にしたことがある。

ピアノ教室の帰り道車の中で急に私に

「あのお宮、行ってこれると思う」と言った。

けっこう長い間私の話した事を気にしていたのだなぁと感じた。

「よし。それじゃあ行ってみようか」と答えた。

「この道じゃあ神社に行けないよ」と虎太郎君。

「分かっているよ。ケーキ屋のところを曲がればいいでしょ」と答えた。

私が本当に神社に行く気でいることを確認した。

その後寡黙になったので、いろいろ考えていることが見て取れた。

「でも怖いな。行けると思うけど」

素直に自分の心の中に浮かび上がる恐怖心との闘いを口にした。

だが最終的には「行ける」ことを言葉にする。

いよいよケーキ屋の角を曲がった。

大きく深呼吸した音が聞こえた。

日も暮れて車はライトを付けて走っている。

神社の前に停車した。

トリイから社殿まで20メートルはあるだろうか。

途中に蛍光灯が青白く冷たい光を放っている。

私は一緒に車を降りてトリイの前で止まった。

虎太郎君は一目散に掛けだしていった。

彼の後姿を見ながら当時の自分と息子のことを思い出していた。

社殿に到着した虎太郎君は「おーい」と声を出して私を呼んだ。

「おーい」と手を振りながら答えた。

自分の足で恐さを乗り越えた。

やり終えてみると当初の思いの通り「たいしたことではない」ことを実感していたようだ。

一歩男に近づいたように見える。