家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

コナラの薪

2018-03-28 08:28:39 | Weblog
昨年の11月下旬に切り倒したコナラ。

翌年1月中旬にシイタケのホダ木として出荷し残ったホダ木の内太い物は友人にあげた。

自宅用のホダ木として少しだけ菌打ちして、さらに残った分は薪にする。

実は、これが一番多いから、つまり手間がかかる。

コナラ林の中にあった枝を宅地の中に落として集めた。

着地する場所に気を使って投げ落としていたが、ある程度溜まってくると、もう無造作に投げ落としても下に溜まっている木が勢いを止めてくれる。

1箇所に集めてみると、これが結構な量あることにあらためて気づく。

これらを太い枝と細い枝そして長い枝と短い枝という具合に仕分けする。

やっと電動ノコギリの出番だ。

紙の押し切りのようなマイターソーと、いわゆる丸鋸の2つを使い分けて切った。

3メートルの長さの曲がった木を切るというのは簡単ではない。

まず木を持っていることだけでも重い。

それをブンブン回っている刃に当てるのだから気を遣う。

切っている時には絶えずおがくずが出続けて顔やら頭やらおがくずだらけになる。

切っては後ろに放り投げていく。

ある程度切ったら一旦棚に並べる。

そうしないと切ってない木と切った木がごちゃまぜになり足場も悪くなるので効率が落ちるし危険度も増す。

常にやり易い状況を作っておくことを要する。

最後の枝を切り終えると気が楽になった。

地面の枝は、まだ燃えないが、もう薪と呼べる。

棚に並べて乾燥させて完成だ。

先日棚の屋根を大きくしたばかりだから雨に当たることはない。

整然と並んだ薪を見ると、やり終えた感が押し寄せる。

まだコナラ林には、さらに細い木が枯葉が付いたまま放置されている。

これらも一箇所に溜めておく。

来年になると細い枝は焚き付け用の薪となる。

無駄な物はない感覚。

ただし私のやらなくてはいけないことだらけの感覚。