団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

DDT

2007年03月14日 | エネルギー 環境

  のほほんランドさんという読者の方から第2725回で取り上げたエセ化学に関係する面白いHPを紹介頂きました。

  名古屋大学の武田先生のHPです。分量が多いので全部に目を通してはいませんが、最新の記事に面白いのがありました。

  ダイオキシンは試食すべきか?

  ・・・略

  子供達にとっては救世主のようなこのDDTは当時だけでなく、今でも多くの環境運動家に「悪魔の白い粉」と呼ばれて追放されている薬剤である。社会がDDTを追放した経緯は現代のダイオキシンにそっくりである。・・・中略

 ところが人間に対して毒性が低いということになると、人間というものは我が儘なものである。マラリアなどの退治に対してのみ慎重に使えばよいものを、大量に製造しヘリコプターから大地にくまなく散布するということを続けたのである。

 やがて大地には昆虫がいなくなり、昆虫を餌にする鳥が少なくなり、春になっても鳥の囀りを聴けなくなった。そうなると、今度は人間がヒステリー状態になる。「DDTが原因だ。DDTを追放せよ!」ということになって製造が中止される。

 その時、DDTを追放した先進国はすでに「DDTを使ってマラリアを撲滅した後」であったが、開発途上国は「これからDDTを使ってマラリアを退治しようとしていた時」だった。DDTの製造中止で発展途上国の人は今でも毎年100万人以上がマラリアで亡くなっている。

 先進国の環境運動家による大量殺人事件と言っても過言ではない。「有色人種は死んでも良い。我々の周りに鳥がいなくなる方が問題だ」という先進国の論理には、先進国の中でも納得しない人たちがいた。

DDTは毒性が弱く、使い方によっては多くの人を救うことができるのに」と憤激した人がDDTの毒性が弱いということを証明するために1年間、DDTを飲み続けた。もちろん、その人が健康だったことは言うまでもない。・・・中略

  ところで、DDTを追放してもなんら環境は改善されなかった。もともとDDTの毒性は弱く、「悪魔の粉」という形容詞は社会が事実と異なるレッテルを貼ったに過ぎないからである。「事実と異なる判断や行為」が環境を改善できることなどは無い。

環境問題は重要だ。だからこそ、「足をケガしているのに手に包帯を巻く」ということをしていては命に拘わってしまう。正しく事実を見つめ、先入観を取り除き、そして次世代の日本の為に本当の環境を守らなければならない。・・・以下略

 私の子どもの頃は盛んにDDTは使われていました。その白い粉を今でも覚えていますが、何時の頃からか見なくなりました。
  その後、猛毒なので使用禁止になったと知ったのは
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」をラジオで聞いてでした。だから、DDTは猛毒だと単純に信じていましたので、この記事を見てダイオキシンと同じような経緯をたどっていたことに驚きました。
  最近になって、マスコミは信じられないことにやっと気付いたところですが、まだまだ、こうして頭から信じてしまう癖は治っていないようです。
  それにしても、物事は見方によって変わるだけに真実というものはどこにあるかを見分けることは不可能かもしれません。
  あの誰が見ても悪いのは北朝鮮と分かると思われる拉致問題でさえ北朝鮮の味方をする人がいるくらいですから自然界のことに正否を決め付けることは難しそうです。
  世の中複雑すぎて、私のような単純な人間には理解の及ばない世界のようです。

どうしたものか!