団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

オフグリッドハウス

2013年07月18日 | エネルギー 環境

  第60回で書いた福島原発側で住むところです が、多分、電気も水もないのでしょうから自給自足のエネルギーが必要でしょう。今は、太陽光発電とバッテリーが あればエネルギーは問題ないでしょう。問題は水と食料ですね。
  偶然でしょうか参考になりそうな話題がありました。

   greenz.jp グリーンズより 2013.07.05

   目 指すは、自然エネルギーだけで暮らせる家。デザインスタジオが手がけたオフグリッドハウス!

   “オフグリッドハウス“という言葉をご存知でしょうか? これは、自らエネルギーを生み出し、蓄積し、消費することができる家のこと。最近、デザイナーが関わってこのような環境に配慮した家を建てることが増えて いるようです。

今回紹介するのは、スペインのデザインスタジオ「Abaton」によって建てられたオフグリッドハウス。田舎の家畜小屋をリデザイン し、環境にやさしい、おしゃれな家に生まれ変わらせました。

さっそく、どんな家が完成したのかを見てみましょう!

目指すは、自然エネルギーだけで暮らせる家

その家がある場所は、人里離れた山奥。町から離れているた め、電気や水道を引くことができません。そこでAbatonは、太陽の光と 熱、そして近くの川を使った水力発電によって、家で使うすべてのエネルギーをまかなえるような家をつくることを 目指しました。…以下略

  この家は立派すぎます ね。私は畳一畳あれば生活できますので、こんな立派な家は必要ありません。せいぜい、第 5042回の世界一細い家程度あれば十分です。もちろん平屋の小屋で十分です。
  それにしても、偶然でしょうか、福島向けの家のイメージに合う様な家の記事があるものです。これはやは り何とか実現させたいものです。
  エネルギーと水と食料の心配が無ければ軟弱な私でも安心して住めるというものです。そうすれば、現地の 様子を毎日世界に発信できます。それで皆さんが安心して帰ってくることができればこんな嬉しいことは無い。

何とか実現さ せたい!


★悪の根源李承晩

2013年07月18日 | 悪の根源李承晩

  昨日書いた日韓基本条約 で何で日本はこんなに甘いのかと書きましたが、その裏には脅迫とも言えるものがあったようです。そうですあの悪 名高き李承晩ラインです。
  私の子供のころにはラジオで毎日のように李承晩ラインや拿捕という言葉が飛び交っていました。意味は分 かってませんでしたが、李承晩ラインという言葉は耳に残っています。日本の漁船が捕まったというのを聞い て、何でそんなに危ないところを越えて漁をするんだろかと不思議に思ったものです。今までも、深く調べたこ ともありませんでしたが、気になるブログがあったので読んでみて、初めて、その深刻さが分かったような気が します。

  竹島 の真実より

   竹 島の真実 - 韓国の侵略

  竹島強奪!当時の記録

1952年 2月4日、福岡県北湊町の大邦漁業株式会社所属の漁船、第一大邦丸と第二大邦丸(それぞれ乗組員22名)は、 済州島に近い公海上に設定された284農林漁区で操業していた。

午前7時ごろ、韓国漁船第一昌運号・第二昌運号が接近してきて、友好的な態度をよそ おい、 「魚はとれますか?」 などと日本語で話し掛けてきた。 

韓国漁船は大邦丸からいったん離れ、操 業をはじめたという。

ところが、この漁船には武装した韓国の 憲兵を含む7~8人が潜んでおり、漁船に偽装した武装船だった。

 第一大邦丸が網揚げ作業を はじめたとき、およそ30mの距離から無警告で、韓国漁船に潜んでいた憲兵が ”自動小銃で日本漁船を攻撃”しはじめた。

不意をつかれた日本漁船は攻撃を回避し ようと船を走らせたが、韓国武装船のしつような追跡と銃撃を受け、このときに第一大邦丸の漁労長・瀬戸重次郎さ ん(当時34歳)の後頭部に銃弾が命中、意識不明の重体となった。

これによって二隻の日本漁船は、韓国武 装船に拉致された。

  日本漁船は済州島・翰林 に連行、金目のものは韓国警察に略奪された。

  日本人漁師たちは韓国警 察に、頭部に重傷を負った瀬戸さんのすみやかな治療を懇願したが、韓国側は瀬戸さんを一人の”開業医”に預けた だけだった。

そこは病室はおろか治療に必要な設備が 何一つないところで、日本人漁師たちは、医療設備が整った韓国軍の病院で瀬戸さんが治療を受けられるようにして くれと抗議したが、 何度も拒否された。

それでも食い下がって何とか入院の承諾 を得たが、瀬戸さんは放置されたままだった。日本人漁師たちは、瀬戸さんの生命維持のためリンゲル注射をしてく れるよう頼んだが、 韓国人医師に 「リンゲルは高価だから」 と冷たく言われ拒否された。

日本人漁師たちが、自分たちの所持品を 売って現金を払うという約束をして、ようやく瀬戸さんは注射をうってもらえた。 ところが韓国側の約束はウソだった。

「救急車よ早くきてくれ」という日本人 漁師たちの願いも空しく、瀬戸さんはそれから2日間も放置されたまま だった。

瀬戸さんは2月6日23時ごろ亡くなった。

すぐに解剖が行われ、瀬戸さんの死因は 韓国憲兵の発射した銃弾が頭部に命中したことであることが判明した。

日本人漁師たちは、韓国側に瀬戸さんの 葬儀を願い出たが無視され、漁師たちが数少ない私物をお金にかえて薪を買い、それで火葬が行われた。

一方、後に残された日本人漁師たちは、 韓国側に拉致され”取り調べ”を受けている最中、全く食事を与えられないという虐待を受けた。

これは明確な国際条約違反である。

そこで漁師たちは、韓国側の略奪を免れ 漁船に備蓄してあった食料を分け合って、命をつないでいた。

  また取り調べにおいて も、脅迫によって無理やり「自分たちは韓国領海を侵犯しました」という内容の調書へ署名させられた。

日本政府は抗議したが、韓国の李承晩政 権は 「大邦丸はわが国の領海と”李承晩ライン”を侵犯した」 と言い張った。

ところが海図など取り調べ調書がデタラ メであったことが判明、在日米軍のグリッチ少将が事件解決に乗り出し李承晩大統領と会見、李承晩は韓国憲兵隊が 日本漁船を公海上で拉致したことについて遺憾の意を表明した。

これによって日本人漁民と漁船の返還が 決定され、2月15日に済州島を出発、アメリカ軍のフリゲート艦に付き 添われてようやく帰国した。

日本人漁師たちは韓国を出航するとき、 ずうずうしくも韓国側から「日本に帰っても韓国悪口を言わないでくれ」 と言われたという。

これが第一大邦丸事件である。

1965年 までに、韓国側の蛮行によって負傷した日本人は、射殺された日本人漁師の瀬戸さんを含め44人、拉致被害者は 3929人、拿捕された漁船は328隻に及ぶ。

このときの人質によって、日韓協定が韓 国側に有利に締結されたことは有名である。

  ウィキペディアより   李 承晩  李 承晩ライン

   とんでもないですね。 こうなると日韓基本条約の廃棄も真剣に考えるべきかもしれません。そして、あのお金を返してもらい、国交断絶す べきです。
  それにしても、李承晩が諸悪の根源のようです。もし韓国の初代の大統領が朴 正煕さんだったら今頃日本と韓国は非常に良い関係をつく上げていたのではないでしょうか。
  こうしてみると、国家と言うものもトップに立つ人間によってこうも変わるものかと恐ろしくなります。
  その点、日本は天皇という権威と権力を分けると言う素晴らしいシステムを作りだした理想的な国であった ことは間違いなさそうです。何とかしてもう一度そのシステムを取り戻し、今度はそれを世界に教えてあげま しょう。世界平和はそれしかなさそうです。
  それにしても、こうして考えると日本人は本当に凄かった。