第 126回の「子育ては母にかなうものなし」などで何度も子育ては母親がやるべきと書いてきました。その証拠 に、野口英世さんなどの偉人伝を読むと、大抵しっかりした母親の影響が大きいのが良く分かります。父親の影なんてほとん ど感じられないことが多いような気がします。
このところ何度か取り上げている加瀬英明さんが素晴らし話を書いてくれています。
加 瀬英明のコラムより 2014/04/30 (Wed)
私の母も、和服を愛好していた。
私は小学校の高学年のころから、着物の着付けを手助わされた。
そんなことから、私は着物の着付けの免許を持っている。それも、協会の名誉総裁をおつとめだった、三笠宮百合 子妃殿下のご署名があるもので、大切にしている。
母は新しい着物が届くたびに、いつも明るくなった。私が仕付け糸を抜く係になった。
私は仕付け糸が、着物の仕立てがくるわないように、仮に糸で縁をぬっておいたものだということを、憶えた。
躾けはしつけると同音で、礼儀作法を身につける、身についた礼儀作法という意味で、用いられている。仕付け糸 も、同じ根の言葉である。編笠に花をしつけるというように、つける、つくるという意味もある。
5月に董風が吹くころになると、九州から神を迎えて田植えが始まり、桜前線のように北へあがってゆく。田植え は、苗の植付けることだが、苗をしつけるという。
和服姿の女性は、日本の花だ。躾という字は、大正に入るまでは、�と書かれることが多かった。躾も、�も、日 本で造られた国字であって、もとの中国にはない。日本独特のものだ。
演目は忘れてしまったが、3、40年前に亡妻と狂言を鑑賞した時に、「�も無い者を出し置きまして、面白も御 ざらぬ」という台詞があった。江戸期か、それ以前の作だから、�と書いたにちがいない。
私は帰り途に、妻に「お前をしっかり躾けないと、物笑いになるからな」と、いったものだった。
しかし、夫が妻を、あるいは父親が子を躾けるものではあるまい。躾けは、あくまでも母親の役割である。そし て、父親が母親の助手を、わきからつとめることになるのだろう。
着付けという言葉も、概念も、中国、西洋諸国をはじめ、世界のどこへ行っても他にない。
日本では、着物は美しく着るだけでは、完結しない。立ち居振る舞いが、美しくなければならない。日本文化のき わだった特徴だ。着る者の覚悟と、心のありかたが問われる。
日本を明治に入ってから、西洋列強に負けない偉大な国としたのは、江戸時代の母親による躾けだった。
この、「しかし、夫が妻を、あるいは父親が子を躾けるものではあるまい。躾けは、 あくまでも母親の役割である。そして、父親が母親の助手を、わきからつとめることになるのだろう。」が全てですね。
母親の母性愛が子供の躾には最適なのかもしれません。父親じゃ怒りが先に来て手を 出しかねません。そうなったら今はやりの虐待にも繋がってしまいます。やっぱり男には子育ては無理だと思います。
しかしながら、戦後の男女同権だのジェンダーフリーだのと女性を堕落させる陰謀に完全に引っかかってしまった今 の女性に求めても難しいかもしれないのが辛いところです。
一番大事な女性を狙うとはやはり、左翼は頭が良いですね。戦前の素晴らしい日本を取り戻すのは、こんなことを考 えると余程の覚悟がないと難しそうです。
尤も、それが出来なければ日本の再生は不可能でしょうし、日本も無くなっているように思います。
文字化けしていると思われる�がどんな字なのか無教養の私には分かりません。ということで、サーチしてみまし た。
【意味】 しつけとは、礼儀作法を教えて身につけさせること。また、その礼儀作法。犬や猫などペットへの教育。
【しつけの 語源・由来】
しつけは、仏教語で「習慣性」を意味する「じっけ(習気)」が一般に広まる過程で 「しつけ」に変化し、「作りつける」意味の動詞「しつける(しつく)」の連用形が名詞化した「しつけ」と混同され成 立した語。<br>
裁縫では、縫い目を正しく整えるためにあらかじめ荒く縫うことを「しつけ(仕付 け)」ということからや、田畑に作物を植えることを「しつけ(仕付け)」ということからなどともいわれるが、混同さ れた要因の一部にすぎない。
その他、「押し付ける」や「し続ける」の変化という説もあるが、これらは論外であ る。
漢字の「躾」は、しつけの対象を礼儀作法に限定する武家礼式の用語として生まれた 国字で、この頃から「仕付け」が別語と意識されるようになった。
「躾」には、身(体)を美しく飾る意味があり、「身」に「花」という漢字も作られ た。
この「身」に「花」がそうかもしれませんが、確信はできません。それにしても、日 本人って本当に粋な字を作ってきたんですね。こんなものを捨ててきたのは本当にもったいない。