古代文明が滅びたのはエネルギー資源としての 森林を伐採しつくしたことによる砂漠化で住めなくなったことがあるそうです。中東や中国など文明発祥の地は今やほとんど が砂漠地帯になっていることからも納得できるものがあります。
ところが、ここで凄いのが我が先人です。この狭い日本で、未だに緑豊かな山々が見事に残されています。これは、他の 文明と違って、昔から植林を実行してきたからだそうです。
戦後も、天皇陛下が率先して植林を奨励したこともあって、禿山なんてどこにもありません。ところが、残念ながら、折 角の材木を安い輸入に頼ってしまい、今や手入れの行き届かない森林が大きな問題になってきています。
どうやったら、この豊かな緑をもう一度有効に利用できるのだろと思ってきました。木の架台の太陽光発電なども何度も 取り上げてきましたが、経済優先の今の日本では労働者の確保も難しいようです。
長い間、先人が守ってきたこの緑豊かな日本をこの戦後の短い期間で台無しにしてしまっては余りにも先人に申し訳ない なんて思っていたら、素晴らしい本があるようです。
日経ビジネスオンライン 2014年4月25日 (金)
新書大賞を受賞した 「里山資本主義」の藻谷浩介氏に聞く
石黒 千賀子
…略
そもそも木のエネル ギーの有効利用では、日本国土の7割 近くを占める森林地帯は断然有利なのです。木というのは太陽エネルギーの蓄積装置です。砂漠だと蓄積されないもの が、日本は雨が降って木が生えるので、何 もしなくても過去何十年分が蓄えられている。大都市圏のように森がないところは砂漠と同じですが、地方の山には太陽 エネルギーの貯金があるわけですね。し かも欧州よりは日本の方が、緯度が南なので木が良く育つ。これを生かさない手はない。…中略
エネルギーで自立で きる地域が増えることが保険になる
しかも、日本の場 合、農産物と異なり木材は60年代に 輸入が自由化されたので、実は内外価格差が少ない。もともと2割 ほどしかなかったのが、ここへ来て円安に転じたおかげでほぼ消滅しています。おりしも今、戦後に植林して、以降伐採 してこなかった木を本当に切らないとい けない状況にあるわけで、機はまさに熟しているのです。木をいきなり燃やしてしまうのではなく、欧州のようにまず集 成財に加工して、建材として利用する。 その際に半分ほどは製材くずになってしまうので、それをペレットといった完全燃焼しやすい燃料に加工して、熱水供給 や発電に使うというわけです。
本に登場する岡山県 真庭市でのペレットによる発電や、拾い集めた枝でごはんまで炊けるというエコストーブの活用など、日本で森林資源を 大いに活用した場合、今輸入しているLNGや原 油をどれほど減らせるでしょうか。
藻谷:そこは正直に 申し上げます。木が全国で毎年生えてくる分を全部活用したとして、つまり、オーストリアと同じように管理をきっちり として森が減っていかないようにしたとして、捻出できるのは今の日本国内の全使用エネルギーの3%相当だ と言われています。実際には人口減少に省エネ技術の進歩が拍車をかける上、木を燃やす技術の熱利用効率も改善してい くことが見込まれますが、それでも5%程度で はないでしょうか。ただしこれは、大工場などで使われているエネルギーも含めたもので、民生用に限ればずっと比率は 高まるでしょう。
しかも何度も言っ ているように、これは日本経済がうまく回らなくなった場合の「保険」なのです。5%と言っ ても、一年のうち20日間程 度と考えることもできる。南海トラフとかの大天災で一瞬経済が麻痺したときに、20日分の 燃料備蓄が、しかも遠くから運んでくるのではなく家の横の山にあると考えるととても安心ですよね。さらにいえば、全 国を一律に考える必要はありません。そもそも日本の場合、大都市圏や地方都市圏以外に住んでいる人は人口の1割しかい ない。山奥に住んでいる人は5%もいな い。ですから岡山県真庭市みたいなところは、エネルギーを100%木 で自給すればいいのです。
ちなみに木の利用 ではありませんが、北海道 の稚内市とか千葉県の銚子市とかでは、風力発電で市内の電力を自給できる状態にある。できる場所だけどんどん自然エ ネルギーを活用すればいい。そしてまっ たく自然エネルギーを自給できない大都市圏の住民は、不満ならそっちに移住すればいいのです。そういうエネルギーで 自立した地域のあること自体が、そして そのような地域がどんどん増えていくことが、日本全体にとって「保険」になるのです。…中略
森林が国土の15%の オーストリアが今や木材輸出で稼ぐ
このCLT建築 が普及すれば、国産材の建材としての利用が進み、たくさんの製材くずが発生するので、木の燃料利用が促進されます。 ちなみにCLT生産 の先進国・オーストリアは北海道ほどの面積しかなく、しかも森林が国土の15%しか ないのに、わずかここ10年ほど の間に木材の輸出国になり、年間5000億 円以上を稼いでいます。日本以上に1人当たりGDPが大 きい、いわゆる「クォリティ国家」ですが、その国の2番 手の外貨の稼ぎ手が林業なのです。それに伴って発生した木屑を燃やし、水力と合わせて国内のエネルギーの3割弱を自 然エネルギーでまかなっている。しかも厳格に森林管理を行っていて、年間に自然に成長する分を超えた伐採はしない。 つまり、「利子で生活する」という哲学を徹底しつつ、外貨を稼いでいる。
これに対し、日本 は国土の7割 近くが森林です。しかも、世界の国々の中では本当に例外的なことですが、人口が減り始めて山林を切り開いた団地開発 のようなものはすっかりなくなり、おま けに耕作放棄地がどんどん山に戻っているために、森林面積がさらに増え続けている。国土に潜在する自然エネルギー量 は、ドイツの6倍とも言 われています。東京などの大都市圏を除けば、自然エネルギーの利用率が5割を超え てもおかしくない。むしろ、私がかねて人口構造の面でも指摘していることですが、東京こそ何かにつけて大変だという ことです…中略
経済学の常識とされ る「規模の利益」は絶対か
本にも書きました が、里山資本主義には、旧 来の経済学の常識である「規模の利益」を否定する側面があります。規模の利益が絶対であれば、巨大な人口集積である 首都圏が田舎を圧倒するはずなのです が、実は必ずしもそうではないのではないか。そもそも規模の利益が絶対であれば、全体でも埼玉県ほどの人口しかなく 最大都市のチューリッヒが八王子程度の 規模でしかないスイスが、なぜ日本から多額の黒字を稼ぎ続けられるのか。一般論の中の一般論に過ぎない経済学の定式 を信じ込んで、現実をどんどん曲解して いくことは、百害あって一利なしでしょう。…以下略
良いですね。資源の 少ない日本が金に任せてエネルギーの使い放題というのはやはりどこか間違っているはずです。日本人はもう一度、生活 を見直してみる必要があるのじゃないでしょうか。
私の子供の頃でも、電化製品などなく、ごはんや風呂など薪や麦わらなどで焚いていたものです。そこまで戻るのは 難しいとしても、ある程度までは帰るべきじゃないでしょうか。
何時ものトッテン さんもこの本を取り上げてくれています。トッテンさんは既にある程度実施されているようです。
耕助のブログより 2014年5月1日
…略
里山資本主義とい う言葉は、お金さえあれば何でも買 えるという今のマネー資本主義に対し、自然と共存しながら里山で暮らし、お金を払って誰かにやってもらうのではなく 自分が動いて食料や燃料をまかなってい く生き方だ。この本は、それが日本が描く未来像ではないかと問いかけているのだろう。そして私自身は、日本の未来は それしかないと思っている。
これは日本人にとっては大きな方向転換ではない。もちろんスピードや利便性を追求した大量生産、大量消費社会か らは大変化となるが、限られた資源を最 大限に生かして経済を維持し、循環型社会の中で文化を発展させるという点で江戸時代というモデルがある。約250年 間、日本は外国から侵攻されることもな く、鎖国の中で独自の経済や文化が発展した。総人口も3千万人ぐらいでほとんど変わらなかったらしい。国内で全てを まかなうには人口が増えては不可能だっ ただろう。そして化石燃料も使わず、素晴らしい文化を作り上げていった。
ごみ問題など存在せず、あらゆるものが貴重な資源として再利用された。人間の排せつ物は重要な肥料だったし、ま きなどを燃やして出た灰を買い集め、そ れを肥料として農村に売る商売もあったという。また森林伐採の影響を認識し、慎重に植林を行って林を再生していたと いう。鎖国していた日本は、他国を侵略 して資源を略奪するかわりに腰をすえたエネルギー政策をとっていたのだ。
マネー資本主義から里山資本主義へ行くなら、まず日本の歴史を振り返ることだ。そして終わりなき経済成長を求め るのをやめ、どうすれば人々が幸せで安定した生活を送ることができるかを考え、それを実現する政治を国民は求めるべ きだろう。
第 3939回の「地域通貨」ともつながりますね。マネーゲームに追われた人生なんてそれ程楽しいとも思え ないのは無い人間の負け惜しみかもしれませんが、1%の金持ちと99%の貧乏人と言うぎすぎすした世界より、皆が足 るを知った幸せな生活を送る方が余程楽しいと思います。