自虐史観の嘘を鋭く暴いてくれる江崎道朗さんが、又、素晴らしい本をかいてくれたようです。日本が、何故共産化を回避出来たかと言う秘話だそうです。
何時もの、宮崎さんが書評で紹介してくれています。しかし、こうやって本当の歴史を研究してくれる方達が日米両方で活躍してくれることにより平和ボケ日本人も少しは目が覚めてくるのでしょうか。と言うか、早くそうなってくれないと、日本は、独立どころか消滅しそうです。
宮崎正弘の 国際ニュース・ 早読みより 平成30年(2018年)8月13日(月曜日) 通巻第5789号
書評
トルーマン政権内部でも占領政策をめぐっての確執があった
最後にウィークジャパン派が敗退して日本の共産化が回避された秘話
江崎道朗『日 本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)
あわや、日本にも全体主義国家に転落する危機が現実にあった。敗戦と戦後の秘話である。
日本が北朝鮮や中国の全体主義体制のように「地獄」に陥落し、愛に満ちた日本社会を破壊し、大切な人間性を踏みにじり、独裁権 力のために個人を犠牲にする。
そうした自由のない社会を画策する動きがあった。
国際的な謀略組織コミンテルンが潜り込ませた工作員達が、FDR政権を引き継いだトルーマン政権に陣取り、しかもGHQに浸透し ていたのだ。
その経過は百も承知してきたが、本書の特徴は新しい観点で現代史を見直したこと、もう一つは「ヴェノナ文書」など新資料がふんだ んに駆使され、より迫真性に富むことである。
そもそも共産主義は、まともな軍事力で敵を薙ぎ倒すなどという正攻法を用いない。もっとも卑劣な手段を講じて国家を簒奪するの だ。
それは「(1)自国政府の敗北を助成する(2)帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること(3)民主的な方法による正義の 平和は到底不可能なるがゆえに、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」だと江崎氏は解説する。
つまりコミンテルンの戦略とは、第一に日米英を戦わせる。第二にとくに、米国を用いて、日本を敗北させ、第三に日本を混乱させ ながら共産革命政権を樹立し、『戦争は手段、目的は革命』と実行するのだ。
日本を全体主義国家に転落させ、共産主義の独裁権力をもって人間を支配し、日本人をロボット化させて、革命の奴隷とすることにコ ミンテルンの目的があった。
だからルーズベルト政権にはおよそ300名のコミンテルンの工作員が紛れ込み、対日強硬外交にアメリカを誤導し、真珠湾攻撃を 誘発し、戦争後は日本に共産革命政権を樹立することにあった。
しかし米国政権にはコミンテルンの謀略を見抜き、反対した勢力があった。FDR政権内部、そして敗戦後日本を占領したGHQの 内部でウィークジャパン派とストロングジャパン派の死闘が繰り広げられていた。
このGHQの内部抗争に関しては林房雄が『緑の日本列島』や『池田勇人』で、最初に指摘したが、日本の論壇はとくに注目もしな かった経緯がある。
コミンテルンが最初に手をつけたのは日米和平交渉の妨害だった。暗号通信を読み取り、徹底的に妨害したのだ。
これも多くの証言や資料が戦後でてきたため、おおよその全貌が明らかとなったが、「ヴェノナ文書」の公開により、より確定的 な、強い証拠が揃ったのである。
驚くべきは大東亜戦争の開戦から僅か三ヶ月して、アメリカでは日本の戦後処理を検討する特別チームが組織化されていたことであ る。
もっと驚くべき事実を江崎氏はさりげなく挿入する。
「OSSは、全米の俊秀を集めた頭脳集団であったのだが、多数の共産主義者が深く浸透していた。共産主義者の浸透に警戒してい たにもかかわらず入り込まれた、というわけではない。共産主義者を積極的に迎え入れたのだ」(92p)
OSSとはCIAの前身である。なんとCIAは誕生時に、反共ではなく、容共だったとは!
敗戦の土壇場のポツダム宣言受諾交渉は、複雑な駆け引きが秘密裏に展開されていた。この経緯も殆ど知られていない。
無条件降伏、天皇制解体というのが当初のアメリカの占領計画だったのだ。
ウィークジャパン派(ヒスやハル、ホワイトら)とストロングジャパン派(グルー国務次官等)の死闘は、この天皇制解体が是か否か をめぐるもので、圧倒的に共産主義側が強く、トルーマン大統領も、この基本線で固まりかけていた。
ヒス、ホワイトらウィークジャパン派の陰謀を粉々に砕いたのは、結果的に日本軍の鬼神も涙するほどの死闘だった。
ペリリュウ島でアンガゥル島で、硫黄島で、沖縄で。日本のあまりにも強靱な反撃と死をも恐れぬ民間防衛とによって、アメリカ兵の 犠牲は鰻登りとなった。アメリカは怯んだ。日本の軍人の強さに怯懦が生まれ、ストロングジャパン派の勢いが増す。
他方、北海道も盗もうとするソ連軍を食い止めたのは占守島の死闘だった。ソ連軍に多大な犠牲を与え、これによって日本は南北に 分断された朝鮮半島のような国家分裂という悲劇、全体主義国家への転落を食い止めることが出来たのだ。
同時にトルーマンが目撃していたのは、味方の筈だったソ連軍が東欧に電光石火と軍を進め、1944年二月から十二月にかけてバ ルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアが、そしてバルカン半島でもユーゴスラビアとアル バニアが次々と共産化されてしまったという『あり得ない現実』だった。
ソ連に対するアメリカの認識は激変した。
もう一つ重要な要素は、昭和天皇のインテリジェンスだったことを江崎道朗氏は適格に指摘する。
すなわち陸軍参謀本部からあがってくる情報いがいのルートを昭和天皇はお持ちだった。その決定的な情報がアフガニスタンとダブ リンの在外公館からとどき、参謀本部を通さずに天皇陛下にもたらされた。
トルーマンは、無条件降伏から有条件に転換し、天皇制を守護する方針に切り替えていたことを昭和天皇は事前に掴んでおられたので ある。
そのうえで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」、「進んでマイクに立つ」と仰せになり、またマッカーサーとの会見では、この身は どうなろうとも日本民族の滅亡を避けるという断固たる決意を示されるに到った。
共産革命を目前と計測した日本の共産主義者らが企んだゼネストはマッカーサー命令で回避された。日本の共産革命は不成功に終わ り、全体主義国家への転落は、こうして回避できたのである。
アホなアメリカは逸早く共産党の恐ろしさに気付き、もっとアホの日本には未だに生きた共産党が跋扈している。この左は大きそうです。
と言うか、未だに独立できないのもその当たりも原因の一つじゃないでしょうか。