この日本橋にあったという江戸時代の全国への送金の話は何度読んでも驚かされます。そこまで日本人は民度が高かったのかと信じられないものがあります。
それが成り立ったのは日本人の心意気だそうです。ねずさんが書いてくれています。
それにしても、その心意気は戦後の自虐史観教育で見事に日本人の心から無くなったように思えて仕方がありません。
それとも、まだ少しは残っているのでしょうか。そう信じたい。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/08/2
胸に抱いた心意気
・・・略
日本はそれくらい治安が良かったわけですが、以前にもご紹介しましたけれども、江戸時代までさかのぼると、これ がもっとすごくて、路上に大量の現金が置きっぱなしになっていても、どんなに生活が苦しかろうが、誰もそれを盗もうとなどしませ んでした。
というのは、いまでは現金を送金するときは、銀行のATMを使いますが、江戸時代にも現金の送金は頻繁に行われていました。ど うやっていたかというと、金飛脚(かねびきゃく)と呼ばれる人たちが、街道をエッホエッホと走って全国にお金の配達をしていたわ けです。
ではその金飛脚に、どうやって現金輸送を依頼したのかというと、これは加瀬英明先生から教えていただいたことですが、たとえば 江戸から地方にある実家に現金を送金するときには、江戸の日本橋(いま日本橋三越のあたり)に、みんなが送金するお金を持参して いました。
日本橋は、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、中山道の五街道の出発点であり、また全国から江戸にやってくる人たちの到達 点でもあり、いまでいったら、新宿や渋谷の歩行者天国みたいに往来の華やかなところだったのですが、そこの橋のたもとに、竹で編 んだ平たいザルがいくつも置いてある。そのザルには、全国の各藩の名前を書いた紙が貼ってあるわけです。
現金送金する人は、自分が現金を送りたい先の藩の名前が書いてあるザルに、宛先を書いた紙にくるんだ現金を、ただ「置き」ま す。そこには見張りも、立会人もいません。しかも、まわりのザルには、他の現金送金客が依頼する現金が、大量に、むき出しで、置 かれているわけです。
送金手数料は、各地ごとにいくらいくらと書かれた箱が脇にあって、これまた誰も見ていないところで、送金を依頼する人が、指定 された手数料を入れるだけです。いまでも、地方の農道などで、小さな小屋に野菜を並べ、欲しい人はお金を箱に入れて勝手に野菜を 持って行くといった商売がされていのを見かけますが、あれと同じです。
当時250万の人口を持ち、世界最大の都市であった江戸です。その江戸から全国への送金となれば、おそらくそこには、合計すれ ば何千両といった大金が置かれることになったに違いありません。けれど、江戸260年間を通じて、日本橋のその見張りさえいない 現金送金用のザルが、泥棒被害に遭ったことが、ただの1件もなかったのです。
それが日本です。・・・中略
それにしても、ここまで民度が高かった先人に何としてももう一度追い付きたいものです。金の亡者となった今の日本人にそれが出来るでしょうか。と言うか、何としてもそうなって欲しいものです。