殿と言えば最も難しい作戦だと言われていました。秀吉の出世の契機となったことでも有名です。ところが何とそれが嘘だったそうです。
宮崎さんが今回のニセ大統領(バイデン)の失敗の解説の中で書いてくれています。なる程、そんなこともあるのかと驚かされました。
秀吉の朝鮮出兵とは逆の意味で驚かされました。やはり歴史は難しい。
「宮崎正弘の国際情勢解題」 より 令和三年(2021)8月25日(水曜日) 通巻第7026号 <前日発 行>
殿軍は昔から難しい軍事作戦だった
史上最悪の信じられない殿軍を世界に曝したバイデンの無能
アフガニスタンからの撤退作戦を進める米軍は新たに5800名の米兵を投入し、空港へたどりつけない米国人のために数カ所 のヘリポートを作るとした。
空港警備はトルコ兵が担っており、パスポートとヴィザをもつアフガニスタン人を空港内に収容している(8月23日現在)。
英国がトルコに対して「亡命センター」を設置するように働きかけ、トルコが拒否したというニュースが流れた。イラン経由で トルコへ向かったアフガニスタン難民は、トルコから追い返されているとNYタイムズが伝えた(8月24日)。
トルコ外務省は「英国の要請はないし、フェイクニュースであり、どこからも亡命者センターの設置など要請されていない」と 声明をだした。
トランプ前大統領は集会で「なんというみっともない、恥辱にみちた撤退か。史上かってない、最悪の作戦であり、信じがたい 無能ぶりを世界に曝した」とバイデンをこき下ろした。そのうえで、「五つの米軍基地は爆破してから撤退すべきだった」と批判 した。
アフガニスタン国内にあった米軍最大のバグラム基地から七月に唐突に米兵が居なくなり電源を落として去った。置き去りの食 物は腐っているという。この基地はもともとソ連がアフガニ侵攻時に建設し、ソ連撤退後は「北部同盟」とタリバンが争奪戦を演 じた。
2001年に米軍がやってきて、2本の滑走路に100機以上が駐機できる拡張工事を行い、最大時には一万人が駐屯してい た。ブッシュ・ジュニア、トランプのアフガン電撃訪問は、このバグラム基地である。
2007年にチェイニー副大統領がバグラム基地を訪問したときは、自爆テロで23名が犠牲になった。チェイニー副大統領は 命拾いをした。
古今東西、殿軍は軍事作戦のなかでも至難の行動で、有名な金ヶ崎城撤退は秀吉の手柄話に改竄されているが、実際の殊勲者は 明智光秀である。
敦賀の現場へ行けば分かる。金ヶ崎城への入り口から山麓にかけて明智光秀の見事な殿軍作戦をたたえる幟が立っている。光秀は 鉄砲隊を幾つかの斑にわけて巧妙に作戦を展開して敵軍を寄せ付けず、際立った撤退作戦は語り草になっている。
秀吉は、この時点では中隊長クラス、殿軍を務めたというのは信長も光秀も死んでからの「創作」である。
大東亜戦争の敗戦後、シナからの邦人引き揚げでも、民間人の安全収容を見届けるまで根本中将は武装解除に応じなかった。
他方、満州では、ソ連軍を信じた日本軍が武装解除に応じたため、70万人近い日本兵はむざむざとシベリア抑留となった。民間 の犠牲者は数十万人に達した。関東軍参謀本部の責任は重い。
バイデン政権においてペンタゴンは無能な高官に囲まれてしまったのか。
次期駐日大使は、この無能大統領に近い元シカゴ市長だというから、日米外交に齟齬が生まれるのは時間の問題かも知れない。
それにしても、何時までニセ大統領(バイデン)を放置しておくのでしょうか。カマラではもっと悪くなりそうな噂も飛んでいるだけにトランプさんの復帰を祈りたい。
アメリカ人よ立ち上がれ。