母がまた膝下の蜂窩織炎で入院。もう何度目であろうか。ケアマネージャーによると、完全に治りきらずにいたのかもしれないと。確かに前回の退院から間がない。今回は熱もあり、時勢柄、入院先が見つからず、ようやく北千住の病院へ。食欲はあるようだし、二人部屋に居るから、心配するほどのことはないようである。病院からの電話では、母が英語の教則本を持ってくるよう、言ってます。といわれた。92にまでなって、まだそんなことをいっている。私の諦めの悪さは、どう考えても母譲りである。そのせいで、芭蕉庵の納品日直前に急遽板葺き屋根を藁葺きに作り変え、おかげで旧友の個展に顔を出すことも出来なかった。また間に合わなかった燕の巣、文机、ヒヨウタン、燭台を持って出たが、結局芭蕉記念館の閉館時間に間に合わず後日に。 何度か書いたが、私自身の諦めの悪さから、死の床で、あれを作りたかった、こうすれば良かった、と、どうせやり切ることなどないだろうから、みっともなく、ジタバタと苦しみもがくのは決まっている。最後にそんな苦痛が確実に待っているのだ、と想像しては日頃ゾッとしていた。しかし最近はそうでもない。 2年ほど前だろうか、三島のオマージュ展に向け、ここで何かあったら死んでも死に切れない、と交通事故に気を付け、クリニックにもサボらず通おう、と誓ったが、やり終えて見て、そこから次は寒山拾得だ、と。どうも目標を2年程度に限ればなんとかなりそうである。そう思ってから怖くなくなった。 だがしかし、私の場合、次に何をやろうか、と考えたことは一度もない。その代わり上空からボタモチのように突然降って来る。それがコントロール出来ないだけに怖いとえいば怖いが、三島を手掛けて判った。余裕をかましてボンヤリしている隙にボタモチは降って来るので、余裕をかましていられないモチーフに関わっている間はボタモチは降って来ることはない。つまり寒山拾得が終わるまでは安全ということになる。逆にいえば、どうやってやり遂げるのだ?という問題が立ちはだかっているということではある。