なぜ一休和尚を作ることになったのか、もはやブログを読み返すしかないが、子供の頃に『一休禅師』を読んで、印象的な面相と”門松は~目出度くもあり目出度くもなし“にいたく感心したのを思い出し、ついでに工芸学校の頃、一番好きだった陶芸家、河井寛次郎の“鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥“にも感じ入ったのを思い出した。私は一点だけ凝視してしまうところがあるから、こんな客観的な見方に感心してしまうのかもしれない。この頃は、禅宗でも特に臨済宗が、先達の肖像を残す習慣があったのを知らなかったから偶然にも、寒山拾得と同じ、一休も臨済宗か。と思ってしまったのだろう。今となっては、そんな思い込みのせいで、一休禅師が酔い潰れているところも作ることになり、実に良かった。やはり成り行きに身を任せるに限る。しかし考えてみると、寒山拾得も一休も、風狂という肝腎なことを象徴するモチーフである。その点を忘れてはならないだろう。