大燈国師が悟りを開いたにもかかわらず、さらに師の指示により乞食に混じって二十年修行をした五条橋は、今の五条大橋とは場所がいくらか違うが、往来も多く物乞いも多かったらしい。坐禅をしていたのは橋の上で、なので私が大燈国師を知る前に一休をイメージしたのは雨宿り図なので橋の下である。イメージが被ることはなさそうである。それはそれとして、一休の思いをくんで?大燈国師と時代はズレているがどうしても共演させたい。手前の橋の下に雲水姿の一休禅師。橋の上には乞食状の大燈国師。橋の上と下でさりげない共演が面白そうである。当然大燈国師は国宝の肖像より若く痩せているべきであろうが、橋の上の人物が大燈国師であると判ってこそ面白いので、いやに恰幅の良い乞食となる。手には大好物のマクワウリを持たせよう。例によって、一人で何を嬉しそうにしているのだ、という話であろうが、こうでもしないと嬉しくないのだから仕方がないのである。