明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



3種類の痛み止めのおかげで夜も寝られている。痛みの少ない姿勢で制作するが、ズキンと来る痛みを考えると、食事の用意で台所に立つ気になかなかなれない。 手漉き和紙のプリントを、田村写真の田村さんに依頼する。改めて陰影のない〝石塚式ピクトリアリズム“を眺めると、独学我流者が、何が根拠なんだか、人間も草木同様自然物、肝心な物はあらかじめ備わっている。と他人の作品見て感心していている場合じゃない、と美術館にも行かなくなり、長い旅路の果て。あるいは、幼い頃夢見た、どこかの王様に石の塔に幽閉され〝算数、宿題やらないで良いから、ここで一生好きなことをやっておれ“そんな人物が、発見されて出て来たら、こんな物を持っていた、という感じがしないでもない。

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大覚禅師(蘭渓道隆)法衣の仕上げと頭部の修正。陰影のない絵画の立体化なので、久しぶりに見たらちょっと立体感の解釈に修正を要した。 生前に描かれた肖像画を元にした。立体像は何体か残されているが、作られた時代がそれぞれであり、顔がみんな違う。それぞれの作者は肖像画を目にしているだろうとは思うが、私は最初から本人の賛が書かれている、つまり本人のお墨付きとは考え、肖像画の立体化を初めから目的としていた。私が考えたように、もし国宝の肖像画が実像にもっとも近いのであれば、首尾良く立体化が成されたならば、七百数十年振りに、大覚禅師、蘭渓道隆の正面の顔を見ることになるのではないか。長年多くは写真の立体化で試みて来たことには、そんな効果もある。律儀なボクサーのように顎を上げようとしない宮沢賢治を下から撮るこも出来た。



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昨晩は鎮痛剤も効いて、9時前に寝てしまい午前2時過ぎに目が覚めた。まだ歩くとビリビリと激痛が走る。週明けに用事があるので、せめて車に乗れる程度にはしたい。 昨年転院した母のホームだが、コロナのせいで、予約制で一階のコーナーのテーブル挟んでの面会だった。母も前のホームを含め2度陽性になったが、いずれも無症状に終わった。それがようやく予約の必要なくなり、居住スペースで要マスクでの面会が可能となった。美味しい酒粕をいただいたので、母が子供の頃好きだったという酒粕を焼いて砂糖をまぶした物を持って行こうと思っていたが、市販の、包装された物以外不可だそうで残念。 次の面会では一休宗純の首でも持って行こう。大人向けの『一休禅師』を小4でねだったら、解るわけないから、と反対したことを母は覚えている。母が隠していた石原慎太郎の『スパルタ教育』を見つけ先に読んでしまった話でもしてこよう。そういえば父が隠していた、粗末な紙で刷られたヴァン・デ・ベルデの『完全なる結婚』を見つけたこともある。「こんなもんで勉強してんじゃない。というか息子に見つかってんじゃない!」

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昨晩も、数時間寝たところで痛みで目が覚めてしまった。むしろ痛みが増した気がしないでもない。午前中届いた痛み止めを飲む。 半僧棒の前後に配する火焔のデザインを考える。英一蝶の、背中の火焔 を濡れないように傍に置いて滝に打たれる不動明王図、一蝶のこんなユーモアが好きで作品化してみようと思ったが、思わぬところで火焔を作ることになった。『一休和尚酔臥図』も道端で酔って寝ている一休も作ってみたが、一蝶が、日本で初めて陰影を描いた日本人とされているのを知り、奇縁のようなものを感じた。この2日、ろくに寝ていない。早々に飲んで早めに寝ることにする。 水原一平、とんだ大泥棒をテレビで眺めていたことになる。連続殺人を犯しながらクイズ番組に出ていた勝田某なんて消防士もいたけれど。

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坐骨神経痛というものらしい。昨晩はほとんど痛くて寝られなかった。数年前になった時も、朝起きたら痛みが走った。脚の中でビリビリと炎症が起きてるような痛みである。元々腰痛持ちではあったが、椅子に座ると楽だったが、今回は椅子に座ると一番痛く、先日タクシーに乗って後悔した。まあ様々なバチが当たったといわれても仕方がない。仕方ないので寝転がったまま、半僧坊を削ったり、調べ物をする。ある思い付きをしたが、神経痛のおかげだ、という気はさすがにしない。

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半僧坊仕上げ手前で乾燥へ。半僧坊の台座に燃え盛る炎の制作方決まる。ここ何年か、人物像が主に被写体となっていたので、展示用として制作するのは、久しぶりの感じである。写る所しか作らない場合は、一カット撮ったら、他に使いようがないので、首だけ引っこ抜いて捨ててしまうことが多い。もったいないという人がいるが実物見せると、冷酷なくらい映らない所は作っていないので呆れられる。 達磨大師の構図、満月に少林寺をシルエットに、と考えたが、久しぶりスケッチブックに描いてみると、月を低くすることになり、高い崖の上に達磨大師をというイメージから達磨大師を大きく扱うことに。私の場合は背景も、主役の表情を引き立たせるための物である。 右脚が椅子に座ると痛いので、寝転がったまま粘土を。実に辛い。

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一日  


半僧坊の台座に火焔を配して、燃え盛る炎の中で霊力を発する半僧坊。なかなかカッコ良いのではないか。歌舞伎の仁木弾正調に。何で今時、このような奇妙な物を作っているのだろう?と思っている時に限って、甘美な孤独感に酔う、ヘソ下三寸のもう一人の私である。だがしかし、構想だけで、完成を待っている連中を仕上げるまでは手掛けないことに決めている。 そもそも明治時代に、浜松の方広寺で火災があり、本堂など焼けたが、半僧坊は焼けず、以来火伏せの神として全国に知られるようになったそうである。 ここ3日ほど、右脚がピリピリと痛くて仕方がない。体勢を変えると楽になったと思うと痛くなり、しょっちゅう変えている始末で眠りも浅い。困ったのは椅子に座るのが一番痛い。原因は判らないが、何年か前の正月にも一度あった。しばらくして自然に治ったが。本日タクシーに乗ったら、その道中が一番痛かった。 

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半僧坊の写真作品は、東シナ海の荒海の船上の帆柱の先に立つ、初登場のシーンの設定である。半僧坊の厄難消除のご利益でも、海上安全となった理由だが、もう一つ、代表する霊力、ご利益は火災消除である。そこで立体像としての半僧坊は、燃え盛る炎に囲まれ火伏せの霊力を発しているところにしよう、と台座に不動明王の背中の火焔状の物を配することにした。ヘソ下三寸の私は、こうして思い付いては仕事を増やしてくれる。しかし完成作を想像すると、炎に囲まれている像は知らないし、火伏せの神らしくて良い。と結局従うことになる。 ただし、台座まで作るのは、完成直前の状態で待たされている連中を仕上げてからだ、と肝に命じた。

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半僧坊は、当初船のへさきに立たせるつもりだったが、帆柱の先に気が変わっている。ただの帆柱よりへさきの方が船らしいとと考えていたはずだが。 奥山半僧坊大権現のある浜松は方広寺の月例法話の中で和尚が半僧坊登場の様子をに一言「帆の上に」といわれたのが耳に残っていたのだ。嵐なので帆は下ろしているだろう、と帆柱の先にしたのだった。ただの柱の先では、と思ったが、そこに蝉と呼ばれる滑車を着け、ロープをかける。単なる柱には見えないだろう。それに半僧坊は直立させるが帆柱は斜めにし、嵐の海ということにしたい。蘭渓道隆、無学祖元、半僧坊をの袈裟に付いている絡子環(らくすかん)という輪っかを着け、ようやく法衣らしくなった。

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スケッチの必要がある作品が一つあった。達磨大師である。今までの達磨大師がインド人に見えない、というところから始まった。なので衣はインドのサリーやビルマの水島上等兵っぽくした。面壁九年の坐禅修行のある晩という設定である。『月下達磨図』。本来、作りながら、その表情をこう撮ろうと、それを基本に全てが決まるのだが、月と崖、その背景に月を配すのだが、その月に、少林寺の多重塔がシルエットになっている設定にした。そうなると、適当な上空にポッカリ、月百姿破窓月という訳には行かず、低い位置になる。カメラの視点と月の間に達磨大師。どの角度で達磨を撮るか。それが決まらないと、どんな崖を作るか決められない。ヘソ下三寸の私は思い付くだけで、あとは良きに計らえと丸投げである。 月岡芳年に『月百姿 破窓月』という作品がある。私はインド人風にしたが、達磨は一説にはペルシャの血が入って青い目だったともいう。芳年の達磨は目こそ瞑っているがほとんど西洋人で〝爺ィやりやがったな“と思う。



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スケッチの類いはまったく描かない。何気なく描いた悪戯描きでイメージが固まってしまい、そうなると何故だか変更が効かなくなるからである。捨ててしまった悪戯描きを超えられず、ゴミ袋を漁ったこともある。それで決まるならそれはそれで良いともいえるが、それがなければ他の可能性があったのではないか、と考えてしまうのである。写真作品の画面は、ぼたもちが落ちてくるように瞬時に決まるが、決まるが、スケッチブックでああだこうだしたいのだが、以上の理由で、何十年も描いていない。しかし今日買い物ついでにノートを1冊入手した。最近、完成直前まで使っておきながら、次の作品を始めてしまうことが続いている。特に今回は、予定になかった半僧坊を突然始めてしまった。これは流石にあんまりである。スケッチして暴走を止められるのではないか?と考えた。しかし次回作が浮かぶのは、これでは止められない、と今気付いた。新しいことについては決して描いてはならない。


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朝ドラ『虎に翼』珍しく第一回から観ている。伊藤沙莉を初めて見たのはお菓子だかパンだかのCMで、2人で踊ってる片方は誰だろう?と思っていて、しばらくしたら『ミステリと言う勿れ』が良かった。私も未だに結婚の何処がめでたいのかさっぱり解らないでいる。さらに、出来れば死ぬまでに、女大谷みたいなのが現れ、例えば男子の陸上記録を抜くところを見たいものだ、とずっと思っている。思っていたら、64年の東京オリンピックのマラソンのアベベの記録は同じエチオピアの女子がついに抜いた。また先日、ネットで元キックボクサーの魔裟斗が20キロも軽い女子に腕相撲で負けてびっくりした。 半僧坊は、ヘソ下三寸のもう一人の私が、突然予定変更したおかげで、長年続けて来た手順が狂い、詳しくは書かなかったが、長年培った型を踏み外す危険を味わい、2度とすまい、と肝に命じた。命じたけれど、やはり結果は、ヘソ下三寸の判断は正しかった。これでいずれ雷鳴轟く荒天の中、帆柱の先にすっくと立つ半僧坊が立ち現れることだろう。

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一日  


半僧坊を乾燥させながら、半僧坊を始めたせいで未完成であった無学祖元と蘭渓道隆の最終仕上げ。久しぶりに見ると不思議な気がする。 改めて考えると、目指す物があったわけではなく、行き当たりばったり、目の前にぶら下がったパンに齧り付いて来ただけである。目標、目指す物がない、というのは、そこに届かず、挫折することがない、ということでもある。蘭渓道隆から半僧坊に作り進めてまた一歩進んだ。常にその日が人生上の最突端である。単におめでたい人間という気がしないでもないけれど。

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半僧坊は当初、浜松の方広寺の明治時代の刷物をそのまま立体化するつもりでいたが、制作中に気が変わり、嵐の中現れる、伝説の登場時の場面を制作することにした。霊力を発しているところ、ということで、修験者のように印を結ぶことにした。おかげでバランスが変わり、いくらが傾いて来たので、早々にろくろ台から外し、乾かしながら作り進めた。 結局、ヘソ下三寸辺りのもう一人の私の命ずるまま、ということになった。それは結果が必ずその方が良いので構わないのだが、杖を持って印を結んでこちらを睨んでいる半僧坊を見ていると、何でこれを作っている?という気分になり、グズな頭が理解するタイムラグを埋めるかのように、当ブログで繰り返し思い出したり検証したり。 ヘソ下三寸の私が起動した時、私はいかにも思いついた、という顔をするらしい。

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80年代だったか90年代だかに、女性のセルフヌードが流行ったことがあった。眉間にレンズを当てる念写が理想、と考えていたが、外側にレンズを向ける限り、比喩的表現にしかならないと考えていたので、自分にレンズを向ける女性達には共感を感じていた。それに男性がレンズを外側に向けハンティングするイメージが生理的に少々苦手で、好きな写真家はどうしても女性になる。中でも当時、もっとも好きだったのが、年上のひとシンディ・シャーマンだった。 何年か前にサンディエゴ写真美術館のデボラ・クロチコさんに作品を見てもらったとき、何か質問は?聞きたいことはただ一つ。私のようなアプローチをしている人が他に居ますか?だったが、紙に書いてくれたのがシンディ・シャーマンだった。全然違うじゃないか?と思ったが、その後、陰影のない手法により〝念写“に拍車がかかった今頃になって、デボラさんの慧眼に感服しているのであった。

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