越前に近い郷土史界の大御所の家を訪れ、多くのことを学んできました。
昨年、色々と教えていただき、また勉強して、新たな疑問が出てきたので、頭を整理したうえで、2時間半のインタビューをさせていただきました。
最初は、新聞雑誌記者と思われたのか、大層緊張されていて、申し訳なかったのですが、ローカルな話になってようやくエンジンが巻かれ、多くのことを教えていただきました。
それにしても、いつも、我々みたいなものにも、丁寧な応対、ならびに気をつかっていただき、本当にありがたいと感じました。
・鉄は、今の多々羅の場所ではなくて、普賢寺谷が本場。地名で上白光田、下白光田、灰が原。
・渡来した朝鮮族の拠点は、大南山(なんばはん)。彼らが、山から下りて、近辺の村に散らばっていった。
・南山城跡は、筒城宮跡とのこと、先祖の福地の居城ではない。自説を持っておられる様子である。
・田中山の位置は、口駒ヶ谷と東平川原の峰づたいのところ。
新宮社の元の位置は、この部分にあった。
・竹取物語の作者は、空海ではない。壬申の乱に敗れ、権力を批判する人物が書いた。
かぐや姫の里は、京田辺である。
以上が新たに伺った主なお話です。
87歳というご高齢で、腰が曲がり歩行が困難ではあるが、郷土史に関わる事に関しては、鮮明な記憶と刻み込まれた膨大な知識・考えにあらためて、驚くと同時に、これらの今後の伝え方、伝わり方におおいに懸念さを感じるものがあった。
だからこそ、 もっと、もっと、いにしえのことを知り、うまくまとめて、多くの人たちに伝えていきたいと思っています。
昨年、色々と教えていただき、また勉強して、新たな疑問が出てきたので、頭を整理したうえで、2時間半のインタビューをさせていただきました。
最初は、新聞雑誌記者と思われたのか、大層緊張されていて、申し訳なかったのですが、ローカルな話になってようやくエンジンが巻かれ、多くのことを教えていただきました。
それにしても、いつも、我々みたいなものにも、丁寧な応対、ならびに気をつかっていただき、本当にありがたいと感じました。
・鉄は、今の多々羅の場所ではなくて、普賢寺谷が本場。地名で上白光田、下白光田、灰が原。
・渡来した朝鮮族の拠点は、大南山(なんばはん)。彼らが、山から下りて、近辺の村に散らばっていった。
・南山城跡は、筒城宮跡とのこと、先祖の福地の居城ではない。自説を持っておられる様子である。
・田中山の位置は、口駒ヶ谷と東平川原の峰づたいのところ。
新宮社の元の位置は、この部分にあった。
・竹取物語の作者は、空海ではない。壬申の乱に敗れ、権力を批判する人物が書いた。
かぐや姫の里は、京田辺である。
以上が新たに伺った主なお話です。
87歳というご高齢で、腰が曲がり歩行が困難ではあるが、郷土史に関わる事に関しては、鮮明な記憶と刻み込まれた膨大な知識・考えにあらためて、驚くと同時に、これらの今後の伝え方、伝わり方におおいに懸念さを感じるものがあった。
だからこそ、 もっと、もっと、いにしえのことを知り、うまくまとめて、多くの人たちに伝えていきたいと思っています。