1.持統以降明治まで天皇が伊勢参拝がなかった理由
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、伊勢の国司・国人が助け、
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会の狭く簡素な斎宮を
五十鈴川のほとりに立派な社殿建立を計画。
持統四年に完成し、伊勢皇大神宮の第一回遷宮。
これが、天武天皇の『私的皇祖祭祀場』と見られる。
持統六年の伊勢神宮御親拝にあたり、強い反対があり、
それ以降明治まで約千年間天皇の伊勢御親拝は
行われなかったとのこと。
2.伊勢の家々に、年中しめ縄がかかっているのは?
スサノオノミコトが旅の途中伊勢を訪れ蘇民将来の家に泊めて
もらった時に、家の周りに、しめ縄を張り、疫病から救ったと
いう伝説があり、魔よけとしてしているようです。
しめ縄の中央は、「蘇民将来子孫之家」の木札がある。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、伊勢の国司・国人が助け、
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会の狭く簡素な斎宮を
五十鈴川のほとりに立派な社殿建立を計画。
持統四年に完成し、伊勢皇大神宮の第一回遷宮。
これが、天武天皇の『私的皇祖祭祀場』と見られる。
持統六年の伊勢神宮御親拝にあたり、強い反対があり、
それ以降明治まで約千年間天皇の伊勢御親拝は
行われなかったとのこと。
2.伊勢の家々に、年中しめ縄がかかっているのは?
スサノオノミコトが旅の途中伊勢を訪れ蘇民将来の家に泊めて
もらった時に、家の周りに、しめ縄を張り、疫病から救ったと
いう伝説があり、魔よけとしてしているようです。
しめ縄の中央は、「蘇民将来子孫之家」の木札がある。