9月29日の信濃毎日新聞朝刊の社説で、大学入試制度改革の問題点が大きく取り上げられました。以下に本文を引用します。
大学入試改革の混迷 見切り発車を止めねば
文部科学省が主導する大学入試の改革は、現行のセンター試験に代わる共通テストの実施が近づくに連れて混迷の度を増している。期限ありきで急ごしらえした制度の不備はあらわだ。このまま突き進んでいいとは思えない。
英語への民間試験の導入は延期し、制度の見直しを―。全国高校長協会は今月、文科省に要望書を出した。国公私立およそ5,200校が加わる組織が正面から異議を申し立てる異例の事態である。
共通テストは、現在の高校2年生が受験する2021年1月が初回となる予定だ。英語の民間試験はそれに先だって、来年4月から12月の間に受験する。
実際に受験が始まるまであと半年ほどしかない。にもかかわらず、英検など7種類の民間試験は日程や会場の全容がいまだに明らかになっていない。準備の遅れを隠しようもない状況だ。
高校長協会は、不安の早期解消を文科省に申し入れていたが、夏休み明けの時期になっても改善が見られないとして、もう一段踏み込んだ。全国470校へのアンケートでは、延期すべきだとの回答が7割近くを占めたという。
英語だけではない。国語に記述式の問題を取り入れることについても大学や高校の現場に異論は強い。一つは採点への懸念だ。
<公正さを欠く恐れ>
共通テストはおよそ50万人が受験する。採点は短期間で終えなければならず、1万人ほどの態勢が必要になるという。採点する人が多いほどぶれが生じ、入試としての公正さを欠く恐れがある。
極力それを抑えようとすれば、解答にあらかじめ条件を設け、採点も機械的に行うほかない。実際、昨年の試行テストでは、資料にある例に当てはめて書くよう指示し、文の書き出しや結び方まで指定する問題が出た。
これでは、記述式の目的である思考力や表現力を測れるのか疑問だ。複数の資料や文章から必要な言葉を抜き出し、設定された条件に沿って文を組み立てるのなら、表現力を見る余地は少ない。問われるのは思考力というより情報処理力だという指摘がある。
学校で数百人が受ける定期試験などと50万人規模の試験では、問いの立て方や採点の仕方が全く違ってしまう―。元高校教諭で日本大教授の紅野(こうの)謙介さんは著書で述べている。記述式でありさえすれば思考力や表現力を問えるわけではない。共通テストに導入する意味は見いだしにくい。
採点は民間の業者に委託することになった。大量の人員を確保するには、学生らのアルバイトに頼らざるを得ないとも言われる。どこまで採点の正確さを期せるか、不正を防げるのかも心配だ。
記述式の問題は各大学が個別の2次試験で課すのが本来だろう。人数が限られれば、解答を丁寧に読んで評価できる。採点のぶれが生じる恐れも少ない。
そもそも入試の改革は、各大学の個別試験を含めて考えるべきものだ。ところが、主体であるはずの大学は後ろに押しやられ、政府が前面に立って共通テストの導入は推し進められてきた。
安倍首相直属の教育再生実行会議が、高校、大学の教育とそれをつなぐ大学入試の一体的な改革を提言したのは2013年。「知識偏重、1点刻み」の入試からの脱却を掲げ、複数回受けられる新たな試験制度の案を示した。
<しわ寄せは受験生に>
その後、中教審や文科省の有識者会議での議論を経て、共通テストの導入が決まる。複数回受験といった大幅な制度変更を当面見送る一方、記述式問題と英語の民間試験を目玉に据えた。
21年を初年とした根拠や経緯ははっきりしない。また、センター試験をなぜ変える必要があるのか、具体的に検証されたとは言いがたい。大学や高校での議論の積み上げがあったわけでもない。
英語の民間試験は、公平な受験機会や入試の公正さを確保できるか、危ぶむ声が当初から出ていた。とりわけ、住む地域や家庭の経済力によって有利不利が生じることは見過ごせない。その解消さえおぼつかないまま、既定方針として導入を無理押しする文科省の姿勢は誠実さを欠く。
民間業者が参入する余地を広げたことで利権の構図が生まれ、入試制度の土台をゆがめないかも気がかりだ。同じグループ傘下の事業者が、記述式の採点を請け負い、模擬試験も手がける。さらには英語の民間試験を運営し、その対策本も出していると聞けば、釈然としない気持ちになる。
しわ寄せを受けるのは受験生だ。教育の独立や学校現場の自主性も損なわれる。いったい誰のため、何のための入試改革なのか。根本から問い直す必要がある。見切り発車をさせてはならない。まだ止めることは可能だ。
信濃毎日新聞の社説が大学入試制度改革の問題点を取り上げるのは3回目になります。過去の社説は以下をお読みください。
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英語民間試験 導入を無理押しするな(8月28日)
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英語民間試験 今ならまだ立ち止まれる(7月8日)
事実として、混乱している教育現場の一例を挙げさせていただきます。複数の生徒に確認したところ、来年度強行実施予定の「英検2020 1day S-CBT」の予約申込締切が今月7日に迫る中、地元の進学校で私の母校でもある伊那北高校でその旨のお知らせが、ようやく昨日配布されました。
しかし、それは、申込の是非を1週間で決めなければならないことを意味します。予約申込受付は先月18日スタートだったので、この配布自体が遅すぎます。しかも、予約金3,000円が返却される申込取消の期間は8日~15日の一週間。申し込んですぐ取消も検討しろということになります。高校側の対応が後手後手になっている感が否めません。
更に、伊那北高校では外部試験の選択肢を増やす目的で、練習として年末にかけて生徒たちにケンブリッジ英検を受けさせようとしていることも分かりました。地方の生徒なら英検かGTECで十分です。いや、都市部でさえも、多くの生徒の選択肢となるのは、すでに慣れ親しんでいる英検かGTECのはずです。ケンブリッジ英検を受けさせようとしたところで、高額な受験料(レベルによるが9,000円~20,500円程度)が必要となるだろうし、練習とはいえ一応の対策もしなければなりません。そんなに英語だけに時間を割いていいのでしょうか。当たり前のことですが、大学受験の科目は英語だけではありません。他教科を勉強する時間が奪われてしまうのは明らかです。
しかもですよ。そんなに躍起になって受けた英語民間試験の結果を大学受験の合否判定にしっかりと使おうとしている大学はごく一部です。ほとんどの大学が、今回の制度改革の公平公正さに疑問を抱き、参考程度にしか利用しません。
端的に言いましょう。「英検2020 1day S-CBT」で2級が取れればいいのです。内容・レベル的に現状の英検2級と同じですから、その程度の準備でいいのです。そして、従来通り、センターと二次試験に向けて勉強すればいいだけのこと。民間試験に振り回される必要はないのです。
ただでさえ生徒たちは混乱しているのに、そこにケンブリッジ英検を受けさせようとするのは、現場の先生たちの混乱ぶりを象徴しているように感じました。生徒たちが強いられる不必要な不安と負担の最後の砦が高校であるはずなのに、その高校側が外部試験導入に踊らされています。伊那北高校の先生方が悪いのではありません。受験生と同様に指導現場の高校の先生たちも被害者です。このような制度改悪を強いながら、現場の大混乱を見て見ぬふりをしている国の責任です。
学の独立を目指した母校・早稲田大学の大隈さんの目に、この現状はどのように映っているだろうか。
日本の大学入試は、死にかけています・・・。