ある高校の英語の副教材を読んでいたら、含蓄のある長文に出会いました。是非とも自分の子供にその内容を伝えたいと思ったほどです。
以下に私の和訳を載せたいと思います。
子供に勉強する意義を問われたとき、小難しい話しをするよりも、この言い伝えを話してみるといいかも知れません。
私は中学・高校・大学とそれなりに一生懸命勉強はしてきたつもりですが、四十路を目前にして、若いときにもっと勉強しておけば良かったと思うこともしばしばです。
しかし、八十路を目前にしたときに同じ気持ちを持たないように、今日からまた小さな石を一つずつ拾い上げていきたいと思います。
以下に私の和訳を載せたいと思います。
「なぜ、こんな面白くないことを学ばなくちゃいけないんですか?」
これは、何年にも及ぶ教師経験で、私が耳にした生徒からの不満や質問の中で最も頻繁に尋ねられることの一つでした。私は、以下の言い伝えを生徒たちに話すことで、この質問に応えていました。
ある晩、旅人たち一行が就寝の準備をしていたとき、突然、荘厳な光に包まれた。天神が面前にいらっしゃると彼らは分かった。大いなる期待のもと、彼らにとって特別なものとなるであろう崇高な神のお言葉を、彼らは待った。
ついに神の声が発せられた。「できる限りたくさんの石を集めなさい。そして、それらを鞍袋に入れなさい。あと1日旅を続けなさい。そうすると明晩、あなた方は、幸せであり、そして悲しくもあるということが、わかることでしょう。」
天神が去った後、旅人たちはお互いに失望と怒りで意見を同じくした。財を築き健康を手に入れられるような崇高で普遍的な真実を、天神が明らかにしてくれると期待していたからだ。しかし実際はそんなものではなく、自分たちにとって何の意味もなさないつまらない作業を、旅人たちは課されたのだった。しかし、天神の偉大な輝きを覚えていたので、不満を口にしながらも、旅人たちはいくつかの石を拾い上げ、鞍袋に入れた。
旅人たちは明くる日も旅を続けた。そしてその晩、野営をしている時に鞍袋に手を入れてみると、拾い集めた石の一つ一つがダイヤモンドになっていることを発見した。旅人たちはダイヤモンドを手に入れられたことを喜んだが、もっとたくさんの石を集めなかったことを後悔したのだ。
子供に勉強する意義を問われたとき、小難しい話しをするよりも、この言い伝えを話してみるといいかも知れません。
私は中学・高校・大学とそれなりに一生懸命勉強はしてきたつもりですが、四十路を目前にして、若いときにもっと勉強しておけば良かったと思うこともしばしばです。
しかし、八十路を目前にしたときに同じ気持ちを持たないように、今日からまた小さな石を一つずつ拾い上げていきたいと思います。