10年ぶり3回目の「夢の舎」です。
2007年10月に初めて行った時のblogに夫婦の写真があります。
以下は、女将さんのタエさんのお話です。

スープ

これはいいですね。左は軽いタイプ。

お店の入り口です。電話してからが確実です。

電話したら、元気な声で「やっていますよ」。諦めずに電話してよかった。
山に向かって、狭い道をナビで行きます。

2007年10月に初めて行った時のblogに夫婦の写真があります。
少し色褪せています。どうしちゃったのかな。

車が、草に覆われています。ちょっと心配。

車が、草に覆われています。ちょっと心配。
屋根も草が。これは。

メニューです。

メニューです。
お好みそばソーキ三枚肉入り1100円と島らっきょうの天ぷらを頼みました。

お客は、私とおそばの同僚だけになったので、いろいろお話が聞けました。

心地良い風が吹き抜けていきます。

お客は、私とおそばの同僚だけになったので、いろいろお話が聞けました。

心地良い風が吹き抜けていきます。
「風」はご主人の書ですね。栄光と落款があります。


2018年に取材された記事がありました。タエさんと栄光さんのドラマが描かれ驚きます。
中2コースで、三重のタエさんと首里の栄光さんが文通を始めた。20歳の時、内地に働きに来ていた栄光さんと初めて会った。

24歳の1972年2月パスポートをとって沖縄へ、そのまま結婚。お母さんから言葉、首里のしきたり、料理、木灰そばを教わった。

24歳の1972年2月パスポートをとって沖縄へ、そのまま結婚。お母さんから言葉、首里のしきたり、料理、木灰そばを教わった。

以下は、女将さんのタエさんのお話です。
沖縄そばの店を首里高校の前で開いていたが、道路拡幅で立ち退きになった。
お酒と陶芸に夢中になっていた栄光さんが、本部町の人里離れたこの土地に窯を求めた。
窯は火を入れると45日間離れられない。この民家の方が病院に通うのを栄光さんが手伝っているうちに、この古民家を好きに使って良いと言われ、沖縄そば屋を始めた。(計算すると今から18年前かな)

スープ
あっさりしており美味しい。大きめの木器ですが、飲み干しました。
肉
大きなソーキと三枚肉が乗っています。
美味しい。自家製です。
麺
手打ちのヒラ麺です。つるりとした舌触りです。

計算すると72歳です。

計算すると72歳です。
気になることを聞いてみました。
栄光さんはお酒で入院中だが元気。草に覆われた車の持ち主は、栄光さん。
最近家の雨漏りが多く、台風が心配。いつまで店を続けられるか。閉めようと思うけど、BS取材やGWの予約客が、コロナで夏や秋に延期になっており、しばらくは続ける必要がある。
修理にお金もかかるし。(借りている立場なら、限界があるね)
麺は、前日に小麦粉をこねて仕込んでおき、朝から竹で伸ばす。栄光さんに比べて自分は一玉に30分はかかる。
麺の縮れは、竹をクネクネするとできるらしい。
栄光さんの陶器を見せてくださいました。

これはいいですね。左は軽いタイプ。
右はやや重みがあり栄光さんお気に入り。
「欲しいなあ」と言ったら、「栄光さんは自分が生きている間は売るな、と変なことを言うのです。お金は生きている時こそ意味があるのに」とタエさん。
タエさんは、琉球料理伝承人となり、謝花きっぱん(琉球菓子店)で、「ちいるんこう」作りなど手伝っている。
琉球料理は、首里の旧家などで受け継がれて来た。
ここに来てから化粧はしない女将さん。
元気にいて欲しい。栄光さんも。

お店の入り口です。電話してからが確実です。
