13日㈭、お盆になり、午前中は棚経のお参りに正暦寺の玉川弘信住職が息子さんを連れて回ってこられた。
夕方からは家族でお墓参りに。
正暦寺周辺には大師山八十八か所の石仏があり、その第十四番は本堂からお墓に向かう道沿いにある。これは曽祖父・源之助が明治24年7月に奉納したもので、同年11月に生まれた祖父・源太郎はまだお腹の中にいたが、上に女の子が3人続いていたので、おそらく男子誕生を願ってのことだろうと晩年、祖父が述懐していた。
お墓参りの後は家族で食事。
14日㈮、午後に来客あり、今後についての打ち合わせ。
夜はその方々と会食し、さらに懇談。
15日㈯、7時から寺山山頂での「綾部市民 平和祈願の集い」に出席。毎年、終戦の日に平和への誓いを新たにするために行われている。
登る途中、東側の大本の本宮山と長生殿の方を見ると、煌々と太陽が輝き、神々しい景色が見られた。
戦争から75年が過ぎ、当時10歳の子どもでも85歳になられている。75年から100年への四半世紀は、戦争を実体験した方々が少なくなっていく時でもある。
戦争の惨禍、人間の愚かさと残虐さの歴史を継承し、日本をこれからも戦争に巻き込まないこと、そして世界平和の実現を目指していかなければならない。
「つなぐ」ことの重要性が様々な方面で言われている。
綾部市は昭和25年8月1日に市制施行し、同年10月14日に日本で初めての世界連邦都市宣言を行い、世界の平和を目指している。綾部市市民憲章の最初の項目には「平和を願い、祈りのあるまちにしよう」と目標が謳われている。
綾部市市制施行70周年の今年、20年前の市制施行50周年の際に埋められたタイムカプセルが掘り出された。
16日㈰、午後から事務所でげんたろう新聞の校正や事務書類の整理など。
明日から、事務所も再開し、お盆明けの仕事が始まる。
今日は長男・小源太の誕生日で、16歳になる。16年前はアテネオリンピックが開催されていた最中だった。朝、病院に行き、昼過ぎに生まれた。