24日㈰、昨日付けの京都新聞朝刊に【首長選、京都の自民揺れる】という見出しで、八幡市長選、京都市長選の動きを報じる記事が掲載された。
八幡市長選には尾形賢元府議が維新公認で立候補、京都市長選には二之湯真士府議が府連の許可を得ずに無所属で立候補という動きについて書かれている。
二人とも私より年は若いが1期先輩の自民党府議で、自民党府連青年局でも共に活動したので、よく知っている。
そのためか、私も京都新聞から取材を受けたので、コメントが掲載されていた。
記者から「今の府連は物が言いにくいという雰囲気があるようですが…」と言われたので、「他の人は知らないが、僕は誰にも遠慮せず発言しているから、そんなことは思わない」と答えた。
ただ「どこの世界も同じだろうが、今の府連でも府連会長に逆らわない方がいいと思っている人が多いのは事実で、私自身もそういう忠告を受けることもある。しかし、自分の主張ができる自由さがあるのが自由主義の政党たる自民党の良さだと思っているから、誰に何と言われても自己主張はやめない。自己主張しないなら政治家になんかなってない」という趣旨の回答をして、こういうコメントとなった。
西田昌司府連会長もこういう取材で軽々しく「処分」という言葉は発さない方が良いと思う。
「事前に相談」というのも、「相談」は信頼関係の中で行われることであって、部下が上司に相談できる関係を日ごろから作っておかなかった責任は上司にもあるのだと思う。おまけに議員同士は先輩、後輩であっても、上司、部下という主従関係にはないので、それが組織上、必要であると思われるなら、なおさらのことだ。
我々政治家の行動や発言の是非は、選挙での有権者の判断にのみ委ねられるものだろうと私は考える。
■ベルリンの壁崩壊から34年
34年前にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わった。資本主義か共産主義かの対立は日本の地方選挙でも、共産党VS非共産党として続いてきたが、世界でのそれはこれで終焉した。
その時、私は15歳。この先の世界ではイデオロギー対立から、宗教・民族の対立が中心になるだろうと考えていた。
そのように、外部から見ると同じキリスト教でもイスラム教でも、何々派で違ったり、アラブでの石油利権をめぐる戦争やウクライナとロシアでも同じソ連人だと思っていたら、民族や考えが違って戦争が起こっている。
日本の国政でもずいぶん前に社会党が没落し、すでに資本主義と共産主義、社会主義の対立ではなくなっている。当然、日本の地方選挙でもその変化が時間差で訪れ始めているのだと思う。
■恨みはさらなる恨みを招く
話は「除名」「処分」のことに戻るが、16年ほど前、自民党綾部支部では私が府議選に落選した後、「自民党府連の役員でありながら選挙で自民党公認候補である私に不利なことをした」とその人の「除名」を求めて、何度も府連に訴えに行っていたことがある。
何度訴えてもかわされた後、最後に当時の府連事務局長が私に「四方さん、府連には除名をする権限はない。除名は党本部に上げなくてはいけない。自分の失敗を他人の責任にして除名や処分を求めるよりも、有権者から源太郎くんがどう信頼されるのか、そのことに力を今は力を注いだ方がいい。恨みはさらなる恨みを招くだけですよ」と諭された。
「たしかに」と思って、それ以上、このことで府連に訴えるのは止めた。
あの時、事務局長は「府連には除名する権限がない」とウソをつかれたのか、その当時は府連に権限がなかったが今はあるのかどっちなのだろう?と、今までもふっと思うことがある。
その方はすでに鬼籍に入り、発言の確認をしようもないが、そのウソのおかげで今、私は府会議員なのかもしれないと感謝している。
■片山誠治府議が二之湯チャンネルに
話題の二之湯真士チャンネルには、私に続いて、南丹市・京丹波町選出の片山誠治府議が登場されるそうだ。

片山府議は、二之湯府議とは同期の5期のベテラン議員で、園部町会議員、南丹市議会議員を経ての叩き上げの議員なので、この写真の笑顔を見る限り、さらに面白い対談が展開されたことだろう。
公開されれば、内容を私も論評したいと思います。