4日㈭、国会議員の裏金問題に対する自民党内の処分が党本部の党紀委員会で決まったが、国民の納得感は得られそうにない。
政権与党である自民党の国会議員が党員や国民の信頼を失うことをした場合には、一般に考えられるよりも厳しい処分があるべきだというのが多くの国民の気持ちだろう。
国民は年に20万円を超える収入があれば、雑所得として税務申告の義務がある。せめてそれと同基準で、年に20万円を超える不記載があった議員は議員辞職して出直すのが道理だろうと思う。そうでないと国民に納税や負担をお願いすることができない。
処分の軽重の基準も曖昧なので、離党勧告を受けた塩谷立代議士、世耕弘成参議院議員は「法の公平性の原則」からして、訴訟に及べば、勝つ可能性はあるのではないかと思う。
■権力の謙抑性
権力を持つ者がへりくだって控えめにすること
党紀委員会や処分が重い意味を持つようになったのは「小選挙区制」の影響だと思っている。
昔の「中選挙区制」時代には、新人は「無所属」で立候補し、実力で勝ち抜けば「追加公認」された。当時は党の力よりも個人後援会や派閥の力が大きかった。
「中選挙区制」時代にも党紀委員会はあったが、選挙で自民党の対立候補を応援したり、対立して立候補しても、必ずしも党紀委員会の対象になるわけではなかった。
「小選挙区制」になると「無所属」での立候補は比例復活や政見放送ができないなど、大きく不利になることになった。さらには「政党助成金」という収入も「無所属」だと入ってこない。(政党に所属していても自民党では地方の支部や地方議員には全く入ってこないが)それゆえ、公認権を持つ党執行部の力が強くなった。
私は「処分はされたことがない」が、これまでに二度、自民党京都府連の党紀委員会から呼び出しを受けている。二度こういう経験を持つ議員は京都府連では私だけだと思う。この経験がために法律家に教えを請い、法的な対策を勉強することができた。
その際に「権力の使用は常に抑制的でなければならない」という法原則を示す「謙抑(けんよく)性」という言葉を教えていただいた。
「郵政解散」「刺客の投入」による「小泉劇場」に踊らされて以来、日本の政治から「謙抑性」が失われたように思う。
国民が同じように申告漏れをすれば、必ず立件される。今回、検察がほとんど立件しなかったのは「権力の謙抑性」で国会議員という立場に配慮したからであるのに、配慮してもらった側の自民党執行部が「謙抑性」を持たないという支離滅裂な状態になってしまっている。