26日㈮、10時に正暦寺の筆頭総代として、玉川弘信住職と共に星原町の栄宝寺(木原法道住職)へ。栄宝寺は集落を見下ろす高台にあり、美しい新緑に包まれた入り口には綾部市銘木100選にも選ばれているラカンマキの巨木が立っている。
高野山真言宗の令和6年度綾部地区檀信徒協議会(加藤節郎会長)の総会に出席した。真言宗の寺院は綾部市内に15ヶ寺ある。
木原住職による挨拶や寺歴紹介、般若心経等の読経、そして中村孝行副会長(天王寺筆頭総代)の開会挨拶で総会が始まった。
丹波宗務支所長の来賓挨拶の後、議事は異議なく承認された。法話は志賀郷町の興隆寺の松本満裕住職が学生時代からやっておられる「弓道」について、お話をされた。
実際に弓や矢を見せていただきながら、ほとんど知らないことばかりで興味深く聴かせていただいた。
最後は栄宝寺の岡田邦久筆頭総代から寺院護持などのお話があり、蔵の移転修繕のことや境内のお地蔵さん、蚕の慰霊碑のことなどが説明された。
午後は東八田地区施福寺へ。㈱足立製作所の足立弘社長や渡辺雄亮取締役、同社と連携している村松健くんら農家の方々がCKD㈱(本社:小牧市)京都営業所の方々からビニールハウスの給水や換気の自動化のことについて説明を受けられ、それに種清喜之市議と共に同席した。
CKD㈱は空気圧制御機器などを製造する大手企業で、足立製作所㈱とは以前からお付き合いがあるそうだ。CKD㈱が農業に関する機器に進出されたのはここ数年のようだが、ゴルフ場等の自動水やり機などでの実績があり、機能を絞ることで他社よりずいぶん安くシステムが提供できるというお話だった。
まさに、これがこれから必要となる「農工連携」なのだろう。足立製作所㈱が施福寺で村松くんと連携してくれたことによって、綾部の農家と様々な工業メーカーをつなげていただけることは嬉しいことだ。
夜はふしみやにて、山家歴史の会(有道大作会長)の総会に出席した。以前から山家地区の様々な歴史について研究され、多くの出版物にまとめておられる。私は山家住民ではないが、昨年から会員に入れていただいた。
戦国末期から山家を領有し、江戸時代に山家藩主を務めた谷氏は、元は美濃国(岐阜県)の豪族であり、斎藤道三に仕えた後、織田信長、羽柴秀吉の家臣として、その天下統一に貢献した。
室町幕府の管領家で、舞鶴城(田辺城)を築いた細川家と親しく、細川幽斎の歌道の弟子でもあった山家藩の初代藩主・谷衛友は文武両道の武将だと伝えられている。
衛友は1628年、65才で病没した。長男・衛成、三男・衛勝はすでに没しており、次男・吉長も結城家に仕える三千石の旗本になっていたため、跡継ぎには六男の衛冬を望み、細川忠興・忠利親子が幕府にそれを働きかけた。しかし、幕府はこれを許さず、四男・衛政が二代藩主を継いだ。五男・衛長は細川家の家臣となった。
衛政は山家藩一万六千石のうち、一万石のみを相続し、長男・衛成の子、衛之に二千五百石を与えて上杉谷家、三男・衛勝の子、衛清に二千石で十倉谷家、六男・衛冬にも千五百石を与えて梅迫谷家として、それぞれ旗本として分家させた。
上杉谷家は三代で断絶し、その領地は他家に移されたが、当初の谷家一万六千石は今の山家地区、口上林地区(十倉)、中上林地区(五泉)、奥上林地区(小仲、光野、老富)、東八田地区、西八田地区、吉美地区、志賀郷地区、豊里地区(位田の一部)など、綾部市全域に広がっている。
現在の綾部市は江戸時代にはおおよそ、綾部藩の九鬼氏、山家藩および分家旗本の谷氏、旗本の藤懸氏によって治められていた。
その中でも、この谷氏については、もっと綾部市民の認識が高まっても良いとずっと考えている。それが山家城を国指定史跡にすることにもつながるのではないだろうか。