火曜日 papasanのところへ行った。さわやかな顔をしていた。「具合はどう?」「相変わらず」「でも顔のうっ血小さくなったよ」「そう?」「鏡見ないの?トイレに行ったとき鏡があるでしょ」「トイレ行かないもの」「あらら、まだトイレ行けないんだ」「湯河原病院への転院の話、具体化した?」「何にも聞いてない」そうか、まだトイレに自分で行けないようじゃ、無理なのかなぁ。
水曜日 朝、ガーナがバタンと音たてて帰ってきて、おびえたように炬燵の中にもぐりこんだ。「ガーナ、どうしたの?」と手を出すと、いきなり引っかいた。親指から血があふれた。どうしたんだろう、そっとしておこう、と思っているうちにいなくなった。パニック状態の姚だ。
陶芸。今日は初日なので、事務的な仕事がたくさんある。荷物がたくさんあるので、旅行用のキャリーを引っ張り出して、荷物を括り付けていると、息子が来て送ってくれた。アッシー君がいないので、重いものを持つのが嫌でたまってまったコインを、支払いにそれを使い、残り、それでも1.6㎏あった、を貯金してきた。もちろん歩いて持っていった。
雑用を済ませたら、もう疲れてしまったので、お昼を食べて帰ってきてしまった。ガーナも気になっていたので。しかしガーナの姿は見えなかった。セラミックが金曜日に来るというので、その手はずをしている。
木曜日 朝帰りのガーナは、いつにない声をあげてないている。目もうつろ。口も半開きのままだ。息子が来たので、ガーナを見せると医者に連れて行った方がいい。11時までなら行ってあげられる、というのでカノンクリニックへ電話をすると9時45分がとれた。頭をなぜられ落ち着いてきたが、籠に入れつれていく。どうも後ろ足がつぶれているようだ。もしかしたら、轢かれたのかも。
診てもらうと足は大丈夫のよう。しっぽを途中で轢かれたらしい。しっぽは壊死して、半分で取れてしまうかもしれない、という。注射を打ってもらい、明日から毎朝1錠ずつ2種類の薬を飲ませることになった。安静にさせるためにベッドの上に毛布を敷いて寝かせておいた。
出がけに小田原市立病院から電話があり、湯河原病院の転院を打診したら、湯河原のスタッフがpapasanに面会に来るので奥さんも同席してほしいという。3時に約束した。この週間の予定がことごとく入れ替わる。
金曜日 7時に薬を飲ませ、ネコトイレの用意をしているうちにガーナの姿が見えなくなった。ほんの数分の間のことだ。あたりを探したり呼んだりしたが戻ってこない。セラミックが来たので、支払いをし、ドレン機を持って行ってもらった。ガーナのために玄関を開けたままにして病院へ出かけた。papasanはリハビリに出かけていて、ベッドは空だった。ほどなくmpdpって来た。湯河原病院の方、市立病院のワーカー、papasan、私の4人で、話し合い。湯河原病院では運動機能のリハビリはできるが、頭のふらふらは取れない、と言われた。それは承知している。フラフラの原因がどこにあるのか、脳検査をしても今のところわかっていないから、本人の状態はわからないが、それと付き合っていく以外にないだろう、と言ったが、ふらふらが原因で、リハビリもできないようでは困るだろうが、とにかく転院の線で話を進めてもらうようにした。
心配していたガーナは7時ごろ帰ってきた。どこに行っていたんだろう。それっきりおとなしく家にいて、外へ行かなくなった。
土曜日 和美さんは今日から東北。以前津波後、訪ねたところを、また訪ねる予定だという。盛岡10時集合で、朝早く出れば、新幹線で間に合うという。盛岡も近くなったものだ。