Cogito

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楽ってなんだろう

2010-10-31 23:52:28 | アート・文化

「楽焼創成 楽ってなんだろう」 

楽 吉左衛門著 淡交社

                                            

今から400年前、侘茶の茶の湯をかたちづくった千利休が、彼の目指す理想の茶碗を作らせた。利休の意を汲み、楽焼茶碗を作ったのが陶工長次郎。楽焼の始まりである。長次郎は中国からの渡来人の息子。長次郎といっしょに窯をやっていたのは田中宗慶。その息子の常慶が2代目となる。そして今の吉左衛門は15代になる。                                                

                                            

黒楽、赤楽、茶碗にこめられた利休の理想とは、この本を読んでいてかなり分かる。利休の精神に呼応した長次郎の茶碗。楽茶碗は手の形である。手にすっぽり包み込む。茶碗は小さな宇宙である。                                                               

15代の作品はよく見に行く。大自然を茶碗に見ることが出来るからである。

それと楽家、代々の時代にかなった作品の解説とあいまって、実におもしろかった。もちろん感じるところは多かった。

                                                     

楽茶碗は茶の湯のために作られた茶碗。楽茶碗は好きである。作り方焼き方は丁寧なテレビの映像で見ている。

文中にはふんだんに写真が使われておる。見ているだけでもいいが、触ってみたい。末尾に楽美術館の案内が載っていて、毎月第一土、日曜日、手にとって鑑賞できると書いてあった。これはいい、是非と行って触って見たい。

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浦島太郎・・??

2010-10-22 09:43:39 | インポート

ヨドバシカメラからポイントが10月31日で失効する旨のメールが届いていた。最近はフィルムなど写真用品ははネットで購入しているので、店に出かけることはほとんどない。5000円弱でももったいないと、ヨドバシまで行って来た。私のいきつけのヨドバシは上野である。慣れている店はどこに何があるか大体把握しているから買いやすいのだ。それに店があんまり大きくない方が分かりやすい。とはいえ、上野も隣を買って横に広くなってしまった。

                                                                                                                           

フィルム売り場はいままで地下だった。入り口のエスカレーターは上下だけ地下行きのはない。あれ~、どこへ行っちゃったんだ。店員さんに「フィルム売り場は?」と聞くと、「地下です」「どこから行くの?」「あちらから」とエスカレーターの後を指差した。裏側に地下にいくレスカレーターがあった。ここも模様替えされている。「フィルム、フィルム」と呪文みたいに口に出して唱えていると、店員さんが「あちらです」と教えてくれた。フィルムの需要が減って差別されていることは十分承知しているが、さらに売場は狭くなって2間足らず。まっ、それはそれでいい。

                                                                                                                           

ついでだから、バッテリーも買っていこうと、店員さんに「バッテリーはどこ?」と聞いた。すると「カメラはなんですか?」と聞かれた。「EOS1よ」と答えると、なにやら調べて、首をかしげ、他の人に聞きに行った。見回すと、近くにバッテッリーがぶら下がっているのに気がついた。「これかなぁ?」と選ぶと、代わりの男の店員が来て、同じくカメラはなんですか?と聞く。「EOS1だけど、特別な電池じゃないわよ。EOS55もコンタックスもこれで間に合うはずよ」とリチウム電池を2個取った。そこではっと気がついた。この人たち、バッテリーといったら、デジカメの電池しか思い浮かばいないのだろう、と。「デジカメの充電式の電池じゃないよ、銀塩の一眼レフの電池だよ」でも納得がいかないらしく、数人でなにやら調べている。「いいよ、合わなかったら、近くでまた買うから。それにしてもしばらくこなかったから、浦島太郎みたいね。話が全然通じない」と言って笑った。

                                                 

レジでポイントを使うために来たんだからとポイントカードを差し出すと、1250円という。「えっ、それぽっち。4000いくらかあるはずよ。10月31日で失効すると通知が来たから使いにきたのよ」するとお調べしますと、住所氏名生年月日と記入させられ、さらに身分証明書を求められ、パスポートを出すとそれと確認して調べてくれた。確かに4000いくらのポイントはあるが、このカードではないという。「ほかにカードありますか」「ううん、ない」「そのカードがあれば一枚に統一できるんですが、このままでは出来ません」とあちらも困った様子。「あっ、そう。じゃ~いいや、もうこれないから、失効させちゃう」と言って店を出た。やだ~、何のために上野くんだりまで来たんだろう、とぼやいた。

                                                 

コリアン街でお昼を食べた。カルビとビビンバ定食だったが、よく食べていたものだが、美味しくなかった。いつものところで、カクテキとキムチを買った。味がすっかり変わっている。激辛ブームだからからかねえぇ、今までより辛さが強調されている。すべて色も赤い。もう買わない、とこれまたぼやいた。

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鬼の・・

2010-10-18 14:05:57 | インポート

風邪は年がら年中だから、霍乱というほどのことはないが、めずらしく熱を出して寝込んだ。なんども下着を着替えるくらい、びっしょりと汗をかいた。汗をかけば熱も下がり直ると思っていたのだが、毎日汗をかき、ちっとも直らない。寒気が収まらないのだ。

                                                

水曜日、陶芸から帰ると左の奥歯が痛んだ。左上に虫歯があることは承知しているから、これも風邪のせいだろうと我慢していた。翌日がマッサージの日だったので、肩がこちんこちんなので、歯医者よりこっちを優先した。ところがその後から寝込んでしまったのだ。歯は相変わらず痛い。う~ん、旅行前に直しておかなければいけないな。

日曜日、起きてシフォンを焼いた。鳥たちのシフォンがずっと切れたままだからである。簡単なのだが、ちょっと息切れした。でも続けてロシアパンを焼いた。保存食を用意しておきたかったからだ。

Papasanに、「寝たときぐらいなにか作ってよ」と言うと、「僕の作ったものなど食べないじゃない」という。確かに普段はPapasanの作ったものなど先ず食べない。しかし病気のときは致し方ない。「そういう言い方は逃げだよ。毎回同じでいいから、Mamasanが食べられるものを一品覚えなさいよ、ご飯だって上手に炊けるようになったじゃない。はじめからうまくはなかったんだよ」Papasan、渋い顔をしていた。もっともPapasanは湘南合唱祭に出かけて遅く帰ってきた。

有田や唐津を訪ねるので、淡交社から出ている日本のやきもの唐津と有田・伊万里を買った。内容は平易だし、おもしろかったので、自分の買った2冊を寄付し、会のためにシリーズを買い揃え、全部斜めに目を通した。それぞれにおもしろかった。それは水曜日に工芸室においてきた。

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2010-10-08 20:52:42

2010-10-08 20:52:42 | インポート

今週はなんとなく忙しかった。

                                                

月曜日、いつものように買出しに出かけた。ついでにジーンズを買ってきた。何時も使っているのが、痛んできたので、まだおろしていないジーンズを出してはいたところ、胴回りがきつくて、苦しい。サイズを見ると、今はいているものとほぼ同じ、ウェストも67cmなのだが、縫製の関係なのだろう、きつい。しかたなく、70cmを買ってきたのだ。60台を固持しようと思っていたのだが、しかたがない。

                                              

火曜日は町民センターへ10月分の使用料等を払いに行った。本来は明日の水曜日に支払うのだが、水曜日は用事がたくさん入っている。まずどれか忘れる。で、前もって、仕事を半分にしたのだ。明日の分のモカシフォンも作った。

                                              

水曜日、午前中は調理室でケーキを教えた。陶芸仲間の孫に、カボチャのプリンを上げたら「ちょ~うめぇえ。ば~ばん作って!」といわれたのだそうだ。そんなこと言われちゃ~、張り切らないわけにはいかない。てなことで、カボチャのプリンとシフォン(プレーン)そして、お昼用にカイザアー・シュマレンの変形をつくったのである。調理室にどういう器具があるか把握していないので、フライパンからはかりまで、通常使っているものを全部まとめて、さらに材料までいれ大きな荷物を持って出かけた。Papasanが夜逃げみたいだと、笑った。でも器具は持って行ってよかった。フライパンは焦げ付いていたし、包丁は驚くほど切れなかった。もっとも私みたいにしょっちゅう研っぐひとは少ないだろうが。Hさんがオカラ後とひじきのコロッケを作ってきてくれた。さっぱりして美味しかった。

                                              

午後からは先週本焼したものの窯だし。一段一段写真を撮った。家に帰ってそれをプリントした。資料としてファイルに取っておくのである。大皿も取り皿も焼けた。さっそくお3時にシフォンをのせた。うん、なかなかいい。気をよくして12月初めに、もういちど本焼をすることにした。大物を焼いてしまおう。

                                              

木曜日、天気がよかったので、ドライブに出かけた。久しぶりである。沼津から東名に入ったのだが、東名に入るまでの沿道の家並みが美しくないと、私がぶすぶす言っている。目をたのしませるような町作りは出来ないものなのかなぁ。光は差して暑いくらいなのだが、富士山は雲に包まれ姿を現さない。

                                              

冨士ICでおり、139号線にのり、朝霧高原を目指す。139号線は甲府まで続いているようだ。車どおりは多い。特にトラックが多い。

                                              

冨士花鳥園によった。フクロウの写真を撮ろうと思ったのだが、光のある場所にいないので、撮れない。ストロボを焚いては鳥に迷惑。で、諦めた。朝霧高原の道の駅で野菜を買い、牛乳を飲んだ。

                                              

河口湖から高速に乗ろうとしたら入り口を間違えた。その道も高速に平行して走っている。どこかでいっしょになるかも、とのんきなことを言っていたら、ずんずん離れて、別荘分譲地に入ってしまった。丸紅が開発している冨士桜分譲地となっている。とにかく広い。走り回り、出口を探すがなかなか分からない。やっと人を見つけて出方を教わった。教わった通りに進むと、入ってきたとき見た建物やああ標識に気が着いた。これなら出られる。別荘地も樹海なみだ。オーベルジュブランで昼食をしようと予定していたのだが、迷子のおかげでランチタイムが30分過ぎてしまい、アウト。じゃ~、御殿場でロシア料理にしようと行ったら、店がなくなっていた。箱根に入る上り口のパルチータというイタリンレストランで食事をした。

                                               

中距離ドライブに慣れたら、遠くへ行ってもらいたい所がある。電車が通っていないところなのだ。電車を乗り継いでバスに乗ってでもいいのだが、カメラを持っていくのは自分の車の方がありがたい。カメラもレンズもいくつも持っていけるから。この分なら大丈夫そうだ。

                                              

金曜日、午前中、ミートソースを作っていた。教室では生活学校の文化祭の準備が始まっている。私は手伝わない代わりに、食事を担当してあげる、と言っていたら、Papasanが餃子の材料を買ってきたので、餃子を作った。相変わらず、このpcがへそを曲げて、散散。「新しいのを買っちゃうぞ!」と脅している。デスクトップのところへ行けばいいんだが、寒くなってきたので、あっちには行きにくい。

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誕生日

2010-10-01 23:14:12 | 日記・エッセイ・コラム

今日は私の73回目の誕生日。毎年、よくぞここまでと思わずにはいられない。なんせ戦後のあの時代を生きてきたんだから。ハレー彗星が来るまで生きていられるかどうか不安だったのが、いつしかハレー彗星は遠ざかってしまった。

                                                                                                                           

水曜日、陶芸のとき、仲間の1人が水団を作ってくれた。「すいとん、大嫌い」というと、今の水団は美味しい、水団専用の粉でつくるから、食感もいいんだと言われ、小さなだんごを二つだけ入れてもらって食べたが、やはり美味しいとは思えなかった。すいとん嫌いは戦争の後遺症、精神的に食べられないのだと釈明した。戦後の食糧難のとき、水団が嫌いな私のために母はうどんを打ってくれた。うどんなら食べられたのだ。なのにその後、うどんも水団と同じく、食べられなくなってしまった。そう、理屈じゃない。戦後、食べ物が豊富になっても食べられないものが三つあった。うどん(水とん)、ホットケーキ(鍋焼き、知っている人はどれくらいいるかな)、サツマイモ。どれも主食にしていたものだ。どれも当時とは比べものにならないくらい、美味しくなっている。ホットケーキとサツマイモはどうやら食べられるようになった。しかし残る水団はまだまだ。私の戦後は未だ終わっていないのだ。たぶん死ぬまで終わらないだろう。                                               

                                                    

娘からバースディカードが届いた。

                                                

午後、ミンスクのアンドレイさんから電話が入った。誕生日を覚えておいてくれて、いつも電話をくれる。日本語をだいぶ忘れてしまっているようだ。NHKのニュースは見られるようだが、半分ぐらいしか分からないと言っていた。それはそうだ。日常会話じゃないからね。それにしても律儀だね。でもうれしいよ。またベラルーシに行けるといいんだけど。

                                                

和美さんたちからもプレゼントをもらった。なんとコアントローとグランマルニエ。うふふ。ケーキ用ですね。ありがと!

                                                

台所の後の窓際にチュウガタシロカネグモが網を張っている。シロカネグモの網は水平円網なので、糸は細いけど、虫をつけやすい。さっそく蚊をつけてやった。猛然と襲い掛かって、一生懸命食べている。1時間ぐらいで食べ終わってしまった。早食いだなぁ。また捕まえてやるよ。

ジョロウグモの♀のお腹に♂が乗っているのに気がついた。いそいでカメラを持ってくると、それに驚いたのか、離れてしまった。精子の渡し方を見たかったんだが。

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