Cogito

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窯元をたずねて -北九州ー

2010-11-26 15:12:08 | 窯元をたずねて

1日目   11月9日(火)                                              

Momiji2           

時間を気にしているので、結局は浅い眠りのもまま時間を迎え、3時には起きた。とはいえ眠くはない。前もって旅の支度はしてあるので、着替えをしてパソコンを開けたりして、時間の来るのを待っている。
4時半家を出る。寒さを気にしていたのだが、今朝は寒くない。外はまだ暗く、星影もない。送られて駅に向かう車、きっと仲間の車だろう。荷物はバッグひとつ。いつものカメラバッグは持たずに大き目のバッグに、レンズつきの一眼レフ一と換えのロングレンズを入れたが、ロングをつかうことはなかった。カメラはもうひとついつもポシェットに入っているコンパクトデジカメ。国内旅行なら、必要なものは買えるから余計なものは持たない。でもめずらしく着替えを一組と幅広のショールを用意した。

                                              

今回の総員は7人。全員揃った。始発4:44に乗る。心配は横浜での乗り換え、羽田直行は乗り換え時間が4分しかない。足に自信のない私には特に心配だった。6人はスイカを持っているが、1人は乗車券を買わなければならない。横浜駅の先の方は京急に接続する通路があると教えらていたのでついていく。ほんと乗換えはすぐだったし、早朝のことでもあり、空いていたのも幸いした。乗換えで乗車券を買っても、4分があまるほどだった。これに乗れれば、羽田での時間は1時間ある。

                                             

と、1人が航空券を出して、往きの航空券はあるが帰りのがないと言う。探してみたが、ない。どうも別々に仕分けしてお金といっしょにおいてきてしまったらしい。帰ろうか、なんていい出す。なんとかなるよ、お金はみんなから少しずつ借りればいいよ、とはげます。搭乗のとき、案内係に帰りの航空券を忘れてしまった旨伝えると、「大丈夫です。身分証明書になるものがあれば」と。「身分証明書になるもの持ってる?」「保健証がある」「なら大丈夫だ」ひとまず安心。暗い顔をしていた彼女の顔も明るくなる。離陸。真鶴半島が見える。富士山も見える。

Mtfuji 機内から冨士山                                               

                                                

福岡の空は曇っている。福岡空港に着くと、予約しておいた西日本自動車の運転手さんが出迎えてくれていた。ジャンボタクシーだ。空は天気予報通り曇り。運転手さんが絶えまなく説明してくれる。                                  

                                                 

まずは上野焼(あがのやき)の里をたずねる。
途中飯塚市を走っているとき、左に見える三角の山を指して、あれがボタ山だと教えてくれた。予めボタ山を見せてくれと頼んでおいたのだ。木々に覆われたボタ山は、まさに低いけど山で、土門拳や本橋成一の筑豊のイメージとは全然違う。ふ~ン、あれがボタ山ねぇ。それでもふるさとを離れていた人たちにはボタ山を見ると、懐かしく、故郷に帰った気になるそうだ。

                                              

福智町という名前がみえてきた。福智町は2006年赤池町 金田町 方城町の三町が合併して出来た町だ。町名は近くの福智山に由来するとか、この町は、かつてそれぞれ財政破綻した3町が合併して出来た町だ。福智町のHPで大変だった財政再建の経過を読ませてもらった。。

上野焼は、小堀遠州の七窯にも入っている、いわゆる「きれいさび」。

                                              

◇上野焼:上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器。江戸前期に高名な茶人でもあった大名、細川忠興が小倉藩主となった際、朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)を招いて、豊前国上野に登り窯を築かせたのが始まり。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられるほど、茶人に好まれた。明治期には衰退の様相を見せたが、明治35年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。

上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。また使用する釉薬も非常に種類が多く、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴で、絵付けはまず用いていない。

上野焼については福智町のHP↓にもその説明があるからそちらもどうぞ。
http://www.town.fukuchi.lg.jp/shiru/aganoyaki_1.html

 
                                              

Display                       

道の両側に窯元の名前が見える。まず訪ねた陶芸館は休み。1軒目は留守。2軒目も留守。3軒目、人の姿はないが明かりがついている。運転手さんが様子を見に行く。開いているらしい。横を見ると八幡窯の看板。階段をあがり左手にあるショーケースに飾られてある作品に、おもわず「素敵!」と叫んだ。中に入ると並べられた作品はどれもいい。要するに現代感覚で、私の嗜好にあっている。上野焼は買って帰るつもりで来たが、伝統的なものも見本としてほしい。そこでご主人に尋ねてみた。詳しく説明してくれた。いつのころからか、上野焼というと青い釉薬を連想させるようになってしまったが、歴史的に見ても上野焼全体が青い釉薬を使っていたわけではないらしい。なら、気に入ったものを買っていこう。いろんな手法の皿を買った。同じ釉薬でも土によって発色が違う。ましてや酸化と還元では同じ釉薬でもまったく違う。うふ、これこそ銘々皿だ。そう辰砂を酸化で焼いた皿も買った。均窯と同じ効果なんだ。もう年だから、飾ったりするものはいらない。楽しんで使えるものだけでいい。

                                              

Agano1 Agaano22

Seiji2                                                          ここの主人は日展の会友とかで、意欲的な作品が並んでいた。日展には大作を出展するがそういう大作はなかなか売れないので、倉庫にごろごろしていると言っていた。絵だって、200号とか大作を出すから、大変みたいだ、なんて話が盛り上がる。壁に仲間たちとの作品共同展のポスターが貼ってあった。「この中に萩の作者が4人いますが、わかりますか?」どれも現代感覚の作品ばかり、目を凝らしても萩とはわからない。「わからないでしょう?これは・・の息子」と萩のみならず、唐津も有田も、次々に知っている親の名前が飛び出す。おもしろい。                                

Yuteki Sinnsha Katanuki                                                            

「茶道具は高すぎる」という。「ほんとうですね。抹茶茶碗が5万円以下で、審美眼を楽しませてくれるものがあれば、うれしいですよ」「5万でも高いと私は思っています」「ええっ~、それはなおのと。1万円ぐらいで買えれば、お茶をやっていなくても、気楽にお茶が楽しめますよ。お願い、作って!」

                                              

陶器は使う前に、米のとぎ汁に一晩漬けて、乾燥させてから使うと、変色も少ないと教えてくれた。たぶん米のとぎ汁が糊の代わりで、土の空間を埋めるからだろう。
八幡窯:http://www.aganoyaki.com/

                                              

Garden                       

次いで窯元の名前は忘れたが、お庭がとても素敵なお宅。仲間が買ったので、ここは私はパス。

                                                                                                                           

                                 

Onihagi 

                                                                                                                     

その次は城之窯、ここのお庭もよかった。たたきと座敷に品物が並んでいた。鬼萩に似た茶碗を手に取り「鬼萩みたいですね」というと、「よくご存知ですね。私は萩が好きなので」「釉薬は?」「藁灰です」Papasanの分とふたつ鬼萩の湯飲みを買った。
城之窯:http://www.earthland.jp/agano/kama/jyono.htm

                                              

福智町役場の前を通った。今度来たときは訪問させてもらおう。福智町を後にして、小石原ヘ向かった。はるかかなたのあの山の向こうが小石原。山を上る小石原に着いた。寒い。

                                                        

◇小石原焼:小石原焼:小石原焼(こいしわらやき)は福岡県東峰村で焼かれる陶器。1682に黒田藩主が伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まり。筑豊で最初の焼ものの産地となる。刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な紋様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。後にその技法は大分県日田市の小鹿田焼に伝わっており、小鹿田焼とは姉妹関係にある。日本の陶芸界に大きく影響を与えたバーナード・リーチによって、「用の美の極致である」と大きく称賛された。小石原には窯元が56軒ある。

                                              

Koisiwara                                                         

急に雨が降り始めた。まずは小石原焼窯元 熊谷善光による。包み紙には小石原村皿山と印刷してあるが、ここも平成17年に小石原村と宝珠山村が合併して、東峰村になっている。窯元の主人は若い。デザインも斬新。ここで急須と茶碗のセットを買った。お茶を出してくれた。お茶の温かさがご馳走だった。買い物を済ませて外に出るころは雨は上がっていた。若いご主人が外に出て見送ってくれた。
熊谷善光窯:http://www1.vill.toho.fukuoka.jp/info/prev.asp?fol_id=4063

                                              

もう一軒訪ねた。ご主人が私たちのためにわざわざストーブに火をつけてくれた。こんな時期だからか、辺りには客の姿はなかった。

                                              

Onnta Onta2                                                         

小鹿田焼の里に向かう。小鹿田焼は小石原の流れを汲むものだが、現在の行政区は大分県日田市。夏ごろだったが、日田市の観光課に資料をお願いしたところ、担当の女性が親切な手紙まで添えて、資料を送ってくれた。行って来たら、お礼状を出そうと、お名前は取っておいたのだが、どこかにまぎれさせてしまった。しかたがないので、日田市に電話して感謝の意を伝えておいた。

Kansou

                                              

Tobikanna 飛びカンナ               

                                              

小鹿田焼は10軒の窯元を守っているので技法が保存されていると言われている。テレビでもよく紹介されている里だ。テレビの効果か、ここには観光客がバスでやってきていた。山間の里なので、上から覗きながら降りていく。ここは飛びカンナや刷毛目の技法が有名。テレビでもおなじみの水車が土をつく音が響く。青空の下ではないが、紅葉をのこした山もきれいだ。飛びカンナ、刷毛目の皿を買った。飛びカンナのやっているところを見たいと思っていたのだが、どこも工房は見せてはもらえなかった。1軒だけ、鉢に刷毛で白化粧しているのを遠くから見た。一番下の窯元で飛びカンナや刷毛目などの作品を見本をかねて買った。刷毛目のつけ方もそこで教わった。

Hakeme 刷毛目

Onta3 Suisha Kobukuro

                                                      

◇鹿田焼は、江戸時代中期の1705年(宝永2年)若しくは、1737年(元文2年)に、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、福岡県の小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。元は、享和年間に小石原焼の分流の窯として開かれていたものであるという[1]。このため、小鹿田焼の技法には小石原焼と共通するものがある。

李朝系登り窯で、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴とする。また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられる。陶土を搗くための臼は「唐臼(からうす)」と呼ばれるもので、ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いている。その音は「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている。

民芸運動を提唱した柳宗悦が1931年(昭和6年)にこの地を訪れ、「日田の皿山」と題して評価する内容の一文を発表したこと、さらに、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも陶芸研究のため、1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)に滞在して作陶を行ったことにより、小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになった。

小鹿田焼:http://www.hitakusu.com/jibasan/ontayaki.htm
 
 
                                              Mameta&

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思い起こして

2010-11-19 21:09:59 | インポート

◇金曜日:歯医者に行ったついでに、MOA美術館へ寄ってきた。招待券をもらったのだが、ついでに行かないと出不精、行き損なってしまう。ルーシー・リーの回顧展が開催されていた。ウィーン生まれ。ルーシー・リーは日本では人気のある女性陶芸家である。バーナード・リーチと親交があったが、リーチの日本系統の窯で焼く重厚な陶器より、電気窯で焼く、軽い陶器を制作し、イギリス陶磁器界の革新と言われた。

                                                                                                                           

私は彼女の作品は以前から好きではなかった。フォルムが嫌いなんだ。彼女とは世界観が違うのだ。でも、久しぶりに彼女の作品の本物をたくさん見れば好きになるかもと思ったが、やはり好きにはなれなかった。

                                                                                                                              

以前、セント・アイブスのバーナード・リーチの工房を訪ねたことがある。リーチといっしょに浜田庄司もイギリスに滞在していた。工房に陳列棚があり、作品が並んでいた。いいな~と指をさしたのはリーチのものではなく、浜田庄司の壺だった。やはりね、と思わず笑ったことがあった。私の中にある美意識。

                                                                                                                           

やっと旅行記の一日目だけ終わった。この調子じゃ~、まだまだだ。いままでは帰ってくると一気呵成に書き上げたものだけど、書こうという気にならないんだ。wordがいかれているせいもあるかも。そのうちにわすれちゃうかもね。

                                                

◇木曜日:ポジの現像が出来上がってきた。整理をしてケースに入れた。でもまだそこまで。

午前中、マッサージをしてもらった。昨日冷えたらしく、風邪が悪くなってしまったみたいだ。

                                                

◇水曜日:陶芸。9時前にセンターへ行った、素焼きをするためである。大物があるので、ゆっくりと温度を上げた。私の大皿も数枚入れた。まだ私の大皿、素焼きをクリアしたものがない。工芸室は上は温風もあるし、暖かいのだが、コンクリートは冷えるらしく、足が痛んだ。帰って来て、ずっとコタツで足を温めていた。

                                                

◇火曜日:Papasanが医者に行くというので、私も診療所についていった。風邪気味なので、口の横に出来たおできを治してもらいたいと思ったからである。内科の朝倉先生は優しく応対してくれた。のどになんかつかえているみたいだというと、「胃カメラを飲んでみます?」と聞かれ、慌てて、「気持ちを整理して出直します」と断った。胃カメラは診療所でもできるが、予約が必要だと教わった。なかなか決心しないだろうな?

                                                

◇月曜日:買出し。出たついでに、八芸会のお金を送ったりと忙しかった。

まだ一週間ぐらいのことは覚えていられるから、認知症にはならないな。

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にわとり

2010-11-16 10:12:12 | 動物記

寒くなった。ストーブの前にはネコならぬニワトリが暖を取っている。暖をとるニワトリ、ペンタ。ちょうど羽が生え変わる途中なので、抜け落ちた羽の下から、丸まった羽がまるで針山のように突き出している。ペンタは赤い羽根なので、針山は紫色でなんとも妙。保護する羽毛がないのでさむいのかも。羽の抜けたニワトリはブロイラーみたいだ。

                                                

ペンタはずっと卵を温めていた。このシュのニワトリがトヤにつくのはめずらしいから、勝手に温めさせていたのだが、全部失敗。始めのは割れてしまった。二度目もふると液体の音がしたので捨てた。三度目は2個、抱かせたが、これも腐ってしまった。通算1月半以上抱いていたことになる。私の部屋のテレビの横の籠にいたから、腐った卵は異臭を放って、実に臭かった。一応、予定日まで臭いのを我慢して抱かせたが、その後、籠をどかし、卵は取り上げて捨てた。やっとペンタも諦めたらしく、外に出るようにはなったが、とたん丸裸になってしまった。

                                                

一方、チャボのオバサンも卵を温めていた。古新聞の籠の中で卵を産み始めたので、取ってはいたのだが、温め始めてしまったので、しかたなく籠に移した。そのとき、いつ生んだのか卵は4ケあった。そのまま4ケ抱かせておいた。

                                                

Hiyoko1                                                                

13日、土曜日の朝、オバサンにシフォンをやろうと思って籠をみると2羽のヒヨコがいるのに気がついた。Papasan~、ヒヨコが孵っているよ。

                                                

Hiyo3   シロイルカみたいな頭をしている。                                                      

卵を温め始めると、カレンダーにだれが温め始めたが記入してある。それを見るとオバサンの予定日は14日の日曜のはず。4ケもあったから、それ以前から温めていたのかもしれない。午後見ると3羽になっていた。あと1ケはふってみると音がするからどうもダメみたいだ。日曜日まで待って、1ケは捨てた。生まれてみればひよこはかわいい。

3hiyo                                                          

それにしてもチャボのオバサンは孵すのが上手だねぇ。でもまた頭痛のたねができちゃったよ。

Hiyo

                                                

ニワトリたちは当然のように、午後ともなればさっさとに入ってくる。雨でも家にいる。小屋が家の中にあるからだが。以前、ニワトリの鳴き声がうるさいと言われ、そのために家の中で飼っているのである。雄鶏が増えれば、音量が増す。これが頭が痛い原因だ。

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まずは

2010-11-12 20:37:53 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、九州旅行から帰ってきた。今日は朝から歯医者。

洗濯をし、郵送した陶器の荷物が届いたので開けて楽しんでいる。

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小田原男声合唱団

2010-11-07 12:11:00 | アート・文化

小田原男声合唱団、通称「小田男 おだだん」の定期演奏会があった。Papasanが会員なので、今年も演奏を聞きに行った。

練習の成果だろう、演奏はよくハモっていてきれいだった。

                                                 

演奏曲目に中原中也の詩に、多田武彦が作曲したものがあった。先日台風で行けなかった青さんも中也の詩に作曲して、それは聞いている。で、多田さんの作曲がどんなものか興味を持っていた。

合唱とソロとの差はあるとしても、多田さんの曲は私にはいただけなかった。中也の感性とは違う、中也の詩には言葉そのものが独特な歌になっているのだが、それも感じられなかった。

webで中也を調べると、大勢の作曲家が彼の詩に曲をつけていることが分かった。なるほどね、多田さんと青さんの以外聞いたことがない。ふ~ん。

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