朝晩はしのぎやすくなったが、日中はうだるような暑さ。毎年のことながら暑さにたえているといった感じ。早起きして、午前中に仕事を片付け、午後はうだうだしている。昼間の疲れが出るらしく夜はこっくりこっくり。だからブログもかけない。頭の中は回転しているんだが・・・、もちろん本も読めない。
「美味しんぼ」が福島の風評被害を煽るとたたかれていたのは知っているが、その件は読んではいない。「美味しんぼ」をずっと読んできて、私だったらこう書くな、と思ったことはいろいろあるが、さりとて作者の表現だ、しかも自分で調べているのだから、間違ってはいないと思う、で、109,110巻を買ってきた。騒ぎになったのは111巻らしいのだが、出版されていないみたいだ。
109巻は被災地を、励ますための味めぐりで島根県、110巻は福島の現実、福島県民を侮っているところはない。むしろ県民の味方だ。放射能が、いや原発が福島の山の幸、川の幸、山の幸、すべての宝を奪ってしまった、なんて至極妥当だ。これをよしとしないのは被害を受けない原発推進者たちであり、うまい汁を吸った者たちだろう。はっきり言えば住民たちだって、安全神話を信じ込まされたとはいえ、信じてきている。原発の危険性はずっと以前から叫ばれてきたにもかかわらず、耳も貸そうともしなかった。チェルノブイリの教訓、スリーマイル島の教訓・・・どれも生かそうとはしなかった。福島原発から300km離れたここだって、放射能の影響を受けている。お茶が被害を受けた。
実際、国の基準値20シーベルトなんて目安みたいなもんだ。それ以下なら安全なんて言いきれるものではない。個体差もあるし、摂取量によっても変わってくる。ベラルーシの例だが、25年経過しても線量は減るどころか増えている。
放射能被害は、簡単なものじゃない、決してあまくはない。安易に考えないことだ。人類の手にあまる被害だ。冷静にみつめ、目をそらしてはいけない。
情としてはなんとか復興させたいとは思うが、客観的に見れば、そんな簡単には元には戻らないだろう。放射能を覚悟で住む人は別として。立ち退きさせられた放射能危険地区に、承知で戻ったベラルーシの老人たちのように。
コミックを読むのも眼鏡があわないのでしんどい。ハズキルーペをかけてはいるが、やはりすぐ疲れて、目がいたくなる。単行本は縮小するから字が小さくなる。
それでも、「美味しんぼ」2冊に加えて「銀の匙」も読んだ。「銀の匙」の方が文字が少ないので読みやすい。コミックを読むのも一苦労になってしまった。