Cogito

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松本雲舟さん

2016-06-27 19:19:40 | 日記
 松本雲舟さんとは、真鶴町の初代町長、松本赳(キュウ)さんのことである。胎中さんのことを調べた時、胎中さんの功績ももちろん感謝だが、それを実践した当時の真鶴町の首長(村長だったり、町長だったりするので面倒だから、首長にしておく)松本赳さんに興味をもった。どちらかと言えば、役職とはいえ、真鶴町に残してくれた功績はこの人のお陰のように思えたからだ。松本赳さんについては、初代町長であったことと、胎中さんをまとめたときに出てきたことくらいしか知らない。松本昭さんに、胎中さんの原稿を送り、間違っていないか伺いながら、「雲舟さんって、文化人だったのですね。こういう方が真鶴の首長を務めてくださったなんて、すごいことです。全く知りませんでした」と言うと「昭和女子大研究所がまとめた叢書の中に松本雲舟があるから冊子をあげる」と言って、その冊子を送ってくださった。B6サイズの小さな冊子で、もちろん活字も小さい。眼鏡にハズキルーペをかけてもすらすらとは読めない。

 表紙に「近代文学研究叢書65巻抜粋 松本雲舟」とだけ書かれた簡素な冊子である。
「近代文学研究叢書」を検索すると昭和女子大のHPにとんだ。その説明の中から拾ってみると、
「近代文化研究所」の中心事業であった『近代文学研究叢書の刊行は、創立者人見円吉の企画・立案によるもので、本学が誇る図書館(近代文庫)の充実した蔵書を生かして調査研究が開始されました。本叢書は、作家や学者・思想家などの生涯・業績・遺族遺跡の探訪記と、網羅主義を基本とする著作年表・資料年表から構成されており、394名を没年順に収録しています。著名人に限らず、高い業績を収めながらも世に埋もれた人物に光をあてていることが大きな特色です。昭和31年に第1巻を刊行、33年3月には国文学界の画期的な事業として「第6回菊池寛賞」を受賞しました。
 またハーバード大学助成金を得、世界各国の大学図書館や研究機関に愛蔵されるなど、国内外で高く評価されています。平成13年に第76巻の刊行を終え、別巻1冊を加えた全77巻が完結し、それに伴い平成14年5月13日から6月15日まで、「『近代文学研究叢書』 完結記念展」を、本学光葉博物館において開催いたしました。」とあった。
 65巻に収めれれている作家は、潁原退藏 、松本雲舟、 小島烏水、 額田六福、 青木月斗、 島津久基の6氏である。巻末にはこの方々の写真や書、記念品の写真が載せられている。この小冊子はこの中から「松本雲舟」のところだけ抜粋したものだ。
註:人見円吉さんとは人見東明のペンネームの詩人でもある。


 今日はPapasanの定期検診の日。家を出たのが8時ちょっとすぎ。湯河原病院には8時半ちょっと前に着いた。受付をし、2階の内科に予約票を出し、血液検査、尿検査をして、そのまま外科に予約票を出しに行く。一応9時の予約だが、毎度ながら予約などあってなきが状態。で、私は眼鏡を二重にかけ、松本雲舟さんの小冊子を読み始めた。まず、生涯。生い立ち、新聞記者時代、組合長時代、晩年に整理され、次に数ページにわたり著作年表が載っている。その数やすごい。ここまで一気に読み上げた。おもしろかった。確かに目は疲れるが、やはり知的好奇心は目の悪さを上回る。

栄養相談を受けたのでその間は中止したが、そのあとまた読み始めて小冊子1冊、読み上げてしまった。面白そうな部分を読んでPapasanに聞かせている。「今度は松本雲舟さんですか?」と言われたが、「そうだね、ここにこれだけきちんとまとめられているんだから、これを基に簡便にわかりやすい紹介文を書いてもいいかな」なんて言っている。
 雲舟さんの関連で「風外さんのまとめをするなら、研究者から資料もらってあるから上げますよ」と息子に言われたが、そちらは松本家に任そうと断った。それにしてもよそ者が、人生の終わりに近づいて、郷土史に興味をもたされるなんて。
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イギリスのEU離脱

2016-06-25 09:54:54 | 日記
離脱派が勝利すれば大騒動になるとは予測できた。それが勝利してしまった。混乱は世界規模で続くだろう。
私たちの生活だって、その余波を十分受ける。

長々と寝そべっている猫に話しかける。「EUからの離脱はイギリス国民が決めたことだから、致し方ないが、株などで資産運用している年金も損失を受けて、下がりそうだね。我が家も緊縮財政にしないと。何が削れるかな。う~ん」猫はにゃんとも言わない。

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沖縄の日

2016-06-23 17:49:21 | 日記
美しい島。受難の島。戦後をいまだに引きずって、苦難の道をたどっている島。
毎年、この日には黙祷を捧げ、さらに続くであろう島の痛みを、ただただ申し訳なく思うだけの内地人のふがいなさを感じる。

沖縄の日はガーナとベリーズの誕生日。4歳になった。相変わらずやんちゃな2匹ではある。


木曜日は粗大ごみの日だった。ワープロやストーブなどを分別して出しておいたのだが、いかにせん雨足が強くて、だしに行くのを断念した。
木製の学用机を出そうと思っていた。大きいので、息子に上まで運んでくれないかというと、便利屋さんに頼んだら、と言われてしまった。
うん、粗大ごみは頼んでもいいのだが、焼却場に運ばれると燃やされるだけだ、資源として生きないだろうかと、一応町の生活安全課に問い合わせてみた。結論から言うと、今はすべて焼却処分してしまっているとのことだった。あ~、そう。もったいないなぁ。じゃ~、もう少し考えよう。

九州、踏んだり蹴ったりだなぁ。地震もおさまってきたようだから、製菓材料を買い込んだ。それが届いた。
しかしテレビには益城町の洪水の様子が映し出されている。天災とは言うものの、気の毒に。
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舳倉島

2016-06-20 08:58:53 | 日記
テレビで舳倉島をやっていた。と言っても旅番組とかそういうたぐいのものではなく、ヒルメシを見せてください、とかいうものだった。日本海に浮かぶ離島である舳倉島は以前から知っている。「スズメ」はいない島というので記憶しているのである。で、番組を特に島の映像をじろじろと眺めていた。

舳倉島は輪島から船で1時間半、しかも一往復しかない。輪島9時出発の船にはかなりの客が乗っている。大きなレンズを付けた人たちがいる。長いレンズをつけたカメラを無造作に甲板においている。担当者が聞くと、野鳥を撮りにいくのだそうだ。なるほど、あの望遠は野鳥用のものなんだ。取材がいつかは知らないが、6月初めころかな、渡りのシーズンだったのだろう、島には野鳥目当てで撮影者が大勢訪れていると言っていた。民宿が2軒、そのために予約して撮影に当たっているとも言っていた。
ふ~ん、渡り鳥、やはり日本海を超えて行くんだ。あの広い海を横切って行くんだ。大きな鳥や水鳥ならいざ知らず、小鳥たちがあの広い海を横切れるものかと思っていたのだが、どうやら横切れているらしい。ヨーロッパから帰るときシベリアの沿海州から青々とした海原をこえて、新潟に入る。舳倉島は見たことはないが、佐渡の姿を見ると嬉しくなったものだ。だから、あの距離を横切れる鳥たちの飛行能力に敬意を払う。

舳倉島で見られる野鳥が紹介されていたが、ここらへんで見られない鳥も多い。多分渡りのために通過していく鳥たちも多いのだろう。舳倉島の野鳥観察を見ていたら、シロハラもいた。シロハラは毎年シベリヤからはるばる我が家にもやってくる。ツグミもそうだ。朝鮮半島を回っていくのか、青森を通って行くとか、気にしていたのだが、ここで記録されているとしたら、直に日本海をこえて行くのかもしれない。この仲間は夜渡る。

観察記を紹介しておく。↓
http://uralowl.my.coocan.jp/nature/birds/html/trv_1405_hegura.html


番組に戻ると、ここ舳倉島に住民登録している人口は0。ほとんどの人が季節労働者。水産業、漁師や海女さんたちは、10月までここで働く、と言っていた。ということは人間が定住していないから、スズメがいないのかもしれない。
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チャドが死んだ

2016-06-14 19:41:45 | 日記
朝、息子がチャドが死んだ、と教えてくれた。一昨日は私にだかさって寝ていたのだが、どうしたんだろう。どこで死んでた?と聞くと2階だという。それではわからない。埋葬するために抱いてきた。もう死後硬直で固くなっていた。11歳と3ケ月、親も姉妹もまだ元気なのに。チャドはモデルになってくれたから写真はずいぶんある。
Papasanが「またうちの子になっておいで」というので、「なに言ってるの、先に私たちの方が行っちゃうよ」と笑った。

チャド、長い間、家族でいてくれてありがとう!、
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