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萩・長門をたずねて3

2012-10-11 14:04:04 | 窯元をたずねて

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9月28日

                                              

朝までぐっすり眠ったらしい。目を覚ますと外は明るかった。朝風呂に出かけた人もいる。起きだして、不要になったものを全部段ボールに詰めた。ジャンパーも入れたかったが、まだ不安がるのでこれだけは残しておいた。残ったのはジャンパーとカメラとipadだけ。

庭をハクセキレイが歩いて行く。「ほら、ハクセキレイ」というと、みな「きれいですね」と見とれている。「セキレイは水辺にいるんです。真鶴でも見られますけどね」
静かで気持ちがいい。

                                               

9時お迎えが来た。大谷山荘、若いスタッフたちがきちんとしつけられていて、お客様に親切で居心地よかった。また来る機会があったらお世話になりますよ、と挨拶してホテルを出た。今日もいい天気だ。藤本さんも「みなさんの日頃の行いがよろしいのでしょう、お天気が続きですね」という。

                                                 

車は田舎道を下っていく。山の上に何か施設がある。「あれな~に?」「石灰を掘っています。ベルトコンベアーで海岸近くまで運ばれています」「そういえば宇部セメントがありましたね」「宇部三菱セメントです。」

                                               

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官庁街に入った。広い道に欅の街路樹が美しい。駐車場で車を降りると、山口県立美術館は地下道を渡って、反対側にあった。赤レンガの建物だ。
美術館は広い階段をのっぼっていく作り。どこかにスロープがあるのだろうが、ちらっと見ただけでは見つからない。バリアフリーじゃないね.

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階段を上って入口まで行く、と、横に壊れた車につながれたゴミの塊のようなオブジェがある。何を意図しているものかわからないし、美しいとも思えない。
受付の右がミュージアムショップ、そして正面上が喫茶コーナーだが、喫茶はやっていないようだ。展示室は右手奥。
                                                                                                                        

松田正平の小品が並んでいた。これは見ていてたのしかった。小品ながら油彩もいい。

続いてやや広いワンルームに香月泰男のシベリアシリーズの数点がかかっていた。今回は色を重点にしているとかで、日本海の青とか、業火の赤などが取り上げられていた。しかし展示されている作品は9点しかない。シベリアシリーズは57点あるはず。展示もタイトルがあるだけで、説明はない。
たとえば入り口近くにある「日本海」というタイトルの絵は、画面上に青、その青の上に白でイポーニア・モーリエとロシア語が描かれている。そして手前の黒い大地に横たわる白い骸骨。あのロシア語、キルリ文字が読める人は多くはないはず。「あのキリル文字はイポーニア・モーリエ、日本海と書いてあるんですよ。わかりますか、日本海の向こうは帰りたい、家族の待つ日本がある。帰りたくてもここで息絶えた人・・どんな思いでここの土になったか・・その思いを感じてください」と説明する。仲間がどこかに置かれていた作者の言葉という冊子をとってきてくれた。おそらくこれは展覧会の時のキャプションから抜粋したものだろう。それにしても香月のシベリアシリーズに込められた思いはこの展示では伝わらないのではないか。香月の思いを十分受け止めている私だって、肩透かしをくらった感じだ。はるばるシベリアシリーズに会いたくてやってきたファンは、がっかりした。

ここはアンセル・アダムスのオリジナルプリントも所蔵しているんだが、今回はその展示もない。県立美術館だからと思ってきたんだが、山口の文化程度を邪推してしまいそうだ。ここでゆっくり時間をかけるつもりだったが早々に出た。期待はずれだ、消化不良だ、とぶすぶす言っている。

山口県立美術館:http://www.yma-web.jp/

                                                

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瑠璃光寺の五重塔:五重塔は国宝、建造は室町時代。大内文化の最高傑作と言われている。来たことがない人がいたので、ここを選んだのだが、存外喜ばれた。文化財を見るたびに、よくぞ建ててくれた、よくぞ残しておいてくれた、とつくずく思う。

瑠璃光寺:http://www.oidemase.or.jp/tsuredure/yamaguchi/rurikouji.html

                                              

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公園を歩いていると、「この木なんの木?」と書かれた看板に気がついた。矢印の方に進むと、サルスベリの枝が分かれている間から松が育っているのが見えた。宿り木が大きくなっちゃったんだ。そう、もう数十年前になるが、この地を訪れた時、毛利家の墓所の境内で「アミガサダケ」がいっぱい生えているのを見つけた。アミガサダケなんて私には珍しいから他のことはそっちのけで、大喜びをして見ていたが、どこだったんだろう。

                                              

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瑠璃光寺の境内から、遠くに藁ぶき屋根が見える。雪舟の雲谷庵だという。雪舟は備中の生まれだが、大内氏の庇護を受けていたので、この地方には残っているものが多い、死んだのは益田と聞いている。山口には雪舟が設計した庭園があるのだが、お寺の式典の都合で、この日は公開されていなかった。さて、その雲谷庵に行った。再現されたものなので、無人である。雪舟の流れをくむ画家たちを雲谷派というが、この雲谷庵に由来している。

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中原中也の記念館。彼がここの出とは知らなかったな。中原中也もまた暗記している詩人のひとりである。彼の詩がかくべつ好きなわけではないが、独特のリズムがあるので覚えやすいのだ。そのせいか彼の詩には曲がつけられているものが多い。展示は友人との書簡の往来が主体だった。はがきに書かれた細かな文字は読むのがしんどい。

                                                                                                                               

中原中也記念館:

http://www.chuyakan.jp/00top/01main.html

                                                   

車が駐車場に止まった。「「ここは?」「豆子郎の本店です」そうなんだ、豆子郎の本店に連れて行ってくれと頼んでおいたのだった。店に入ると豆茶と小豆外郎のサービスがあった。
以前、瑠璃光寺を訪れた時、近くのお店で「試食をどうぞ」と外郎が差し出された。「これな~に?」「外郎です」「なんで山口が外郎なの?」当時はまだ外郎は名古屋の名物だと思っていたのだ。しかし試食すると名古屋の外郎とは違って、さっぱりしていて、美味しかった。「あら、美味しい」これが山口外郎との出会いであった。その外郎はたぶん御堀堂のものではなかったろうか。だから今度も山口外郎を土産に買ってきてあげる、と宣言していたのだった。
豆子郎の名前の由来は面白い。素人の「トーシロー」をもじったものだ。

                                                                                                                           

豆子郎:http://www.toushirou.info/

                                                                                                                        

小田原にも外郎はある。「外郎」さんというのは名字である。頼めば、小田原外郎で蔵を案内してくれる。その時聞いた話だと、外郎の発生はもともと京都だった、というのは外郎家は宮中に薬剤師として仕えていたらしい。今でも小田原外郎では「ういろう」という薬を売っている。宮中での折、もてなしの菓子を依頼されて、餡に餅子を入れて作ったのがういろうだった。小田原の外郎さんは京都の分家だそうだ。

                                                                                                                            

そのとき、「どうして日本中に外郎があるのですか?」と質問した。すると外郎さんは「当時、京都には日本国中から職人が集まって働いていました。その人たちが国に帰り、それぞれのういろうを作り上げたのでしょう」ということだった。なるほど、身近にある材料を生かしての努力の結果が地方の外郎というわけなのだろう。数あるういろうの中で、小田原の外郎は元祖と言った感じで好きだが、次を選ぶとなれば、私は山口を選ぶだろう。山口のは米粉の代わりにワラビ粉を使っている。もっとも今ワラビ粉の入手は困難だろう。

                                                                                                                         

外郎は生のも真空パックのも買い込んだが、菓子好きの野次馬は一つ一つ物色している。と「大内菱」というのを見つけた。桃山らしいが、中の餡に白小豆を使っていると書いてある。「白小豆」のことは知っている。栽培が難しいので、収穫量が少ないことも。「ねぇ、これ試食できない?」と言ったが、売り子さんは仲間たちの応対で忙しい。じゃ~味見に新幹線の中で食べようと、人数分買った。うしろの喫茶室に行くと、広々としていて感じがいい。「仲間がね、店先でお茶を頂こうと言っていたけど、こっちの方がいいから連れてきて」とお姉さんに頼んだ。
                                                                                                                        

藤本さんが陳列棚をさして、ここにやきものもあります、と教えてくれた。色絵の大皿が飾ってある。発色はあまり美しいとは思わなかったが、伊万里かなと思ったら、萬壽焼と書いてある。隣の大皿は須佐焼、これも色絵だ。どちらも陶器だ。へ~、こんなやきもの初めて。
白玉ぜんざいをとった。甘みを抑えていて美味しい。運転手さんが「西のお菓子はいかがですか」という。「お菓子もお料理も西にはかないません。関東は直接的ですから。でも、寿司は絶対江戸前、関東ですよ」というと、「お蕎麦もね」と誰かが言った。「うん、でも、そばは出雲そばがありますよ。でも切りそばとつけ汁は江戸のもののようだけど」

                                              

白狐 が見つけた温泉というかわいい狐の絵の湯田温泉の案内板があった。あれ、白狐の見つけた温泉、以前泊ったことがある。その時おかみさんが、白狐の伝説を説明し、今は白化粧した狐に気をつけて、と冗談を言ったのを思い出した。他と間違えていたがここだったんだ。

                                              

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新山口駅、ふり出しに戻った。売店は左がかまぼこやさん、右が外郎、と藤本さんが教えてくれた。3日間、ありがとうございました。藤本さんのおかげでたのしい旅ができました、と礼を言って別れた。
新幹線は、名古屋と熱海で乗り換えるだけだ。たのしかったね、来年はどこにしよう?

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萩・長門をたずねて2

2012-10-08 16:02:04 | 窯元をたずねて

9月27日(木)
今日もいい天気だ。海辺に行くので、冬支度のままだ。外を見ていると浜辺を散歩してる人たちの姿が見える。しかし仲間は珍しく誰も散歩に出ないみたいだ。館内をぶらぶら歩き、昨日のロビーから、外を見ている。ただしスリッパで来てしまったので外に出られない。朝食を済ませ、遊覧船から戻るまで荷物を預かってもらい、外に出る。豆子郎のお店が8時からだと聞いていたので8時きっかりに店の前に立つ。開いていた。喜んで中に入り、すずし(生外郎)の栗と抹茶を人数分買うと味見用の小豆外郎も人数分入れてくれた。船の中で味見をして、お土産は帰り山口で買うというと、本店のパンフもくれた。宿から船着き場まで15分もあれば十分と聞いているが、足に自信がないので、一足先に船着き場に向かう。道はわかりやすい。

                                              

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日差しは暑い。川べりにピンクの優しいコスモスが咲いている。

                                                                                                                         

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川面に石垣が映ってきれいだ。船着き場は川向こうなので、見えていても橋を渡ってぐるりと回っていかなければならない。一人来ない。どうしたんだろう。電話をすると逆方向に歩いて行ってしまったらしい。毎回ハプニングはある。

                                                                                                                           

                                               

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萩遊覧船は川めぐり40分。もう少しシャッターチャンスはあるかなと思っていたが、それほどのことはなかった。それでも5,60枚撮ったかな。船上で外郎を食べた。うん、美味しい。これは買って帰ろう。

                                                                                                                              

                                               

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船着き場に戻るとジャンボタクシーの藤本さんが出迎えてくれていた。せっかくだから萩城址や町並みを見てから旅館に荷物を取りに行きましょう、菊屋さんに電話して、季節限定なのですが、特別にお庭を見せてもらえるようにし手配しておきました、という。ありがたい。城址に行くと、何匹ものカメが甲羅干しをしていた。

                                                                                                                        

菊屋さんは通りに面している。右に曲がろうとすると、「こっちです」と言って左に行く。お庭だけ見せてもらうのかな、と、ついていくと明治の元勲たちの記念物を回っていく。
                                               

開いている門の前に来た。藤本さんが先導する。「ここは?」「高杉晋作の銅像があります」「高杉晋作の銅像なんてどうでもいいんだけどなぁ」なんて悪口をいうと、次の瞬間段差に躓いて転んだ。前のめりになったので、カメラは守り切れなかった。カメラは音たてて地面に落ちた。今のカメラはショックに強くなっているとはいえ、大丈夫か、膝の打ち身よりそっちが心配。で、すぐシャッターを切った。今回のお伴はEOS5D MarkⅡ、ポシェットにコンデジもある。EOSが駄目でもなんとかなる、と思ったが、EOSは大丈夫のようだ。ほっとする。銅像の高杉晋作に「悪口いったら転んじゃったよ、もう悪口は言わないよ。でもハンサムじゃないよなぁ」とやはり悪口を言っている。

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「ねぇ、お庭はまだ?私、お庭だけ見るんだと思ってた」というと、「それはすみません。では菊屋さんに行きましょう」と言って、右に回った。一回りしてきたことになる。チケットを買うと、案内がつく。以前入館したことはある。座敷から庭を眺めながら、ここが季節限定の庭なのかと訝っていると、係りが来て、鍵を開けて奥の庭に案内してくれた。珍しく芝生が植えられた庭である。

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荷物を受け取り、萩を後に長門に向った。長門市はみんな初めて。30分ほどで三隅に着いた。温泉場なんだけど、良い意味で田舎っぽい。

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小高い丘の上にある香月泰男美術館の建物が不似合いだ。自宅を美術館にしているから木造だと聞いていたんだが、この美術館は‘93年建設となっているからこっちに移ったのかも。香月泰男美術館は前々からぜひ訪ねてみたいと思っていた美術館のひとつだったが、展示もたのしいといえばたのしいが、わざわざ寄るほどものじゃない。ちょっと当てが外れた。
私は、香月のシベリア・シリーズを東京で2回、横浜で2回見て以来のファンである。あのキャプションは立花隆が書いたものだそうだが、絵と相まって胸に残った。香月の若い時の作品も、シベリアシリーズ以外の作品も見てはいるが、私にはシベリアシリーズが強烈な印象を残している。

                                              

香月泰男美術館の係りに聞くと、「シベリア・シリーズは全部山口美術館が所蔵していますから、山口県立美術館で見られると思います」という。美術館の2階は展望室になっていて、町の様子が見渡せる。ただし壁にはホロンバイル、ガダルカナル、インパール、サンフランシスコと言った地名が書かれている。もちろん私にはわかるが、10歳ぐらい下のおばさんたちは「わからない」と答えた。「や~だね」と言って説明した。

香月泰男美術館:http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/~kazukiyasuo/                                              

                                              

香月泰男美術館で、金子みすず記念館などを含む4館の共通券を買った。
仙崎の金子みすず記念館に向かう。車の中で盛んに私がみすずの詩をそらんじていると
「よく覚えていらっしゃいますね、みすず、お好きなんですか?」とkさん。「いえいえ、テレビのCMで毎日聞かされますから覚えちゃったんですよ」「私はテレビをみないので」「あはは、私はテレビを見るほうなので」と漫才をしている。
みすず記念館に寄りたいと言ったのは、仲間の一人である。ちょうど少し前にテレビでみすずが26歳で自殺するまでの短い人生がドラマ化されていた。一応見ておいてとは連絡しておいた。

                                              

車が止まった。あわてて共通券を取り出し、車を降りる。「ここは無料です」と運転手さん。ドアを開け中に入ると、薄暗い、がらんとした空間。電気をつけてくれた。壁面いっぱいにみすずの詩が書いてある。大漁の詩だ。テープが回って朗読が流れるしかけになっている。無人なので,あけておくとネコが入るから閉めてあるのだそう。

                                              

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記念館に着いた。「金子書店の方からお入りください」と言われて、書店のレジで共通券に判を押してもらった。書店はみすずの生家が経営していたもの。2階にはみすずの部屋も公開されている、が、靴を脱ぐのがいやなので中には入らない。庭を回って本館に入った。結構、入館者はある。テレビの影響なんだろう、一部屋は撮影の時の写真が飾られているよう、というのはちゃんと見なかった。記念館を出ると、目の前の郵便局の傍らの壁にみすずの姿と詩がモザイク画に仕立てられていた。みすずさん、町おこしに一役買っているのですね。

金子みすず記念館:http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/

                                               

仙崎で昼食。ウニどんぶりを注文した。道路サイドにやたらとウニどんぶりの旗がはためいていたからだ。ウニは小粒だが、甘みがあって美味しかった。関東の人間には醤油の甘いのがちょっと。

                                               

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車は橋を渡って、青海島に入った。「少し歩きますがとても景色のいいところがあります」と藤本さん。歩くという言葉に反応して「どのくらい歩くの?」と聞くと「20分程度」だという。駐車場の管理人らしき男性がのべつまくなしおしゃべりしている。傍らに大きなネコが首に募金箱をつけ寝そべっている。ネコのためにカンンパしてもいいと思ったが、その男性がやたらとおしゃべりするので、やめて歩き始めた。平地を少し歩くと入り江の浜に出た。海水浴場のようだ。右手に階段が続いている。お勧めの美観スポットは階段を上っていくようだ。上りにたじろいだ。ここで待っている、と駄々をこねたが、みなに悪いので、意を決して上り始める。上り口に杖が何本もおかれている。その1本を借りた。右手に杖、左手は手すりにつかまりながら、のそのそと上っていく。藤本さんが付き合ってくれる。
                                               

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Img_1824 見島が見える

ここは観光名所らしく、観光客がひきもきらない。確かこのあたりの海岸は国定公園だったはず。やっとのぼりが終わると、今度は下り。下りの方が滑りそうで怖い。やっと仲間たちと合流。下を見ると、奇岩が立ち並び、波が白く砕けてとても美しい。上から見てこれだけきれいなら、船で下から見るべきだった、失敗!失敗!萩の遊覧船をやめて、こっちを選ぶべきだった、と後悔しまくっている。下り始めると団体さんがやってきた。

ふ~は~言いながら上ってくる高齢の女性に、私は下るだけだからと杖を貸した。あ~、疲れた。これで2年分歩いた。

                                                                                                                        

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さて萩焼のもう一つの里、今夜泊る大谷山荘の前を通り越して、深川窯を訪ねた。小さな谷あいに4軒の窯元が集まっている。この里の雰囲気は心やさしい。

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坂倉新兵衛窯。階段を上ると、右手に登り窯、まずはお窯を拝見し、それからギャラリーに。三重の方で個展を開いているとかで、作品も少ないということだった。でも素敵な茶碗が並んでいた。豆茶をだしてくださった。お茶碗は赤い地に細い白い線が、まるでダリアの花のように描かれていた。細いので描いたのかと思ったら象嵌だそうだ。

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友人への土産に温かみのある、びわ色の湯のみを買った。

                                              

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田原陶兵衛窯は入ってくるとき表札を見た。橋を渡ってすぐだ。歩いて行こう。川沿いの道を川を覗き込みながら下る。水は澄んでいて小さな魚がたくさんいる。何だろう、ハヤかな。
                                                                                                                        

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ギャラリーの後ろを下りると登り窯があった。焚口は950℃位で火を止めて次の部屋にほだぎをくべるのだと説明を受けた。ここにも素敵な作品が並んでいる。みんなで友人のお土産に中鉢をかった。

                                               

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ホテルに行く前にもうひとつ大寧寺に連れて行ってくれた。大きなお寺である。どこからともなく金木犀の香りが漂ってくる。いい香り。我が家のはまだだろう。このお寺は大内氏の最後の舞台となった寺だそうだ。運転手さんは、人望のあった大内氏を滅ぼしたのは、毛利の策略だと説明してくれたが、歴史は見方でそれぞれ違ってくる。帰宅してから大内氏と当時の時代背景を調べた。自決した大内氏最後の主も問題はあったようだ。

                                                                                                                        

大谷山荘に着いた。ここは湯本温泉にある。チェックインのため、私が署名する。それを見てフロントが、「遠いところをようこそ。お部屋のランクを上げておきました」と言った。「それはありがとう」すると「料理長よりお知らせがございます。今日は新鮮なアマダイが入荷しておりますが、おつくりなどいかがでしょうか」「あ~ら、それはいいわね。じゃ~、2皿いただくわ」と注文した。

ロビーでは生外郎とお抹茶のサービスがあった。それを頂いて部屋に向かう。4階だ。仲居さんが案内してくれたが、一人だったら迷子になりそう。食堂や大浴場、天体観測を予約してあるので、天文台への行き方などちゃんと教えてもらった。部屋には荷物がもう届いていた。確かに部屋は広いし、ベランダ代わりの部屋は全面ガラス、ガラスの向こうはちゃんとした庭だ。掘りごたつのように足が伸ばせ、大きなテーブルでお茶が頂ける。なるほどね、これなら椅子はいらない。庭の向こうは深山だ。地所がいっぱいあるからこういう余裕をもった作りができるんだね、と感心している。ここなら部屋から星がみえそうだ。

                                                                                                                        

そうだ、段ボールを買ってきて、陶器類は送ってしまおう。確か2階に売店があると言っていた。そこで、一人で出かけた。きょろきょろしながら、ともかく2階に下り、売店で段ボールをもらった。お土産を物色し、見当をつけてレベーターを探して歩き始めた。見つからない。突き当たりは階段だ。仕方がないので、売店に戻って、お姉さんに「迷子になりました」と言うと「お部屋は何番ですか」と聞かれた。部屋番ねぇ、確認していない。しばし考えた。だれかが470と言っていたような気がした。「4階の、470です」するとお姉さんが売店の、さっきとは反対側だが、すぐ近くのエレベーターに連れて行って、「下りたら右にお曲がりください」と言った。エレベーターを降り、右に曲がり、うんうん、覚えがある、さらに右に曲がり、どうやら470の前にたどりついた。もっとも470が私の部屋だという確証はない。「外国で部屋間違えたら射殺されちゃうよ」なんて言いながら、470のノブを回した。鍵はかかっていなかったが、中は開けっぱなしでだれもいなかった。隣の469をそっとまわした。スリッパがある。たぶんここだ。ふすまを開けると、やはりここだった。

夕食は6時半。最近は椅子が多くなってありがた。昨日も畳の上に椅子がしつらえてあった。一番奥に座る。と、「お料理の写真撮ってください」と言われた。「いいですよ」とポシェットを探すがコンデジが入っていない。「カメラ、部屋に忘れてきた」と言うと、とってくるという。「お庭に面したテーブルの上に置いてあるはず」
お酒は甘口の地酒と、飲みなれているからと獺祭を頼んだ。お酒を飲むのは二人しかいないから、席はいつも隣。昨日も私が選んだはずなのに、何を選んだか覚えていない。歩いたのかよほどこたえたみたいだ。
お料理はどれもとても美味しかった。アマダイのお造りもふぐのお造りも美味しかった。フグもアマダイも時期が早いかなと期待薄だったけど、間に合ったようだ。みんなが満足してくれてよかった、よかった。

8時半に天体観測の予約が入れてある。天体望遠鏡で月や星をみたことがあるかと、聞くと、みんな経験がないという。で、天体観測を予約した。月齢は満月に近い。満月よりやや欠けている方がクレーターがはっきり見えるのだが。
10分前に、待合室についた。案内されて、天体観測ドームに入る。担当のオジサンが入ってきて、「月を見ましょう」と望遠鏡を合わせてくれた。各自が覗き込む。月面にちょっとガスがかかっている。もう満月のように平面に近い。でもチコーが明るく輝いている。コペルニクスも明るい。「昼間はあんなに晴れていたのに」
                                              

中天にひとつ星が見える。「あれな~に?」「ヴェガ」とオジサン。「ヴェガって、七夕のおり姫のことですよ。ということは天の川がこう流れていて、真中に白鳥座があって、向こう側にアルタイル、牽牛があるんですよ」
もたもたしているうちに20分は過ぎ、次の人たちがやってきた。ドームの外に双眼鏡がおいてあった。「月は双眼鏡で十分ですからのぞいてごらんなさい」と言って月を見るとさっきよりガスがある。「あらまぁ、晴れていれば満月で明るいけど、それでも秋の星座を教えてあげられたんだけど。いつも酔っぱらって寝ちゃうから、夜空なんて見る機会がなかったけど、またのチャンスを期待しましょう。家にも天体望遠鏡もあるんだけど、レンズがまともかなぁ。小学生の時から星、見ていますからね、まだ何とか覚えていますよ」ほんと、どこかで星空を見る機会があるといい。

ロビーでライブをやっていた。飲み物が頼めるようだ。ジンフィズを頼んだ。ちょっとドライすぎて口に合わなかった。スクリュードライバーは今の時期生はないし、何が無難かな。

大谷山荘:http://www.otanisanso.co.jp/

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萩・長門をたずねて1

2012-10-06 17:19:55 | 窯元をたずねて

9月26日
5時には起きだしてしまった。半袖でジャンパーを羽織ればいいと思っていたのだが、肌寒い。長袖を出して、さらにベストを着、ご丁寧に長いズボン下まではいた。これじゃ~、完全な冬支度だ。もっとも新幹線の車内は風が当たるから、このくらいでもいいか。恒例のやきものを訪ねる旅。今回は萩焼を訪ねて萩、長門をめぐる。総勢7人。
                                               

萩焼というと萩だけと思いがちだが、長門の深川にも同じ歴史をもつ萩焼の里はある。「一楽、二萩、三唐津」と茶人たちに愛されてきた。

P1020093

萩の土は瀬戸内側に近いところでとれる大道土、これに萩から海上およそ40kmにある見島でとれる鉄分を含んだ見島土を混ぜる。釉薬をかけ登り窯で焼く。ただし何日もかけて焼くのではなく、1日かそこらの焼成、だから言ってみれば生焼け状態、それが萩独特の柔らかさを出している。萩の「七化け」という言葉がある。使っているうちに色合いや光沢が変化していくさまが楽しめるからである。

                                                

小田原からひかり、名古屋でのぞみに乗り換える。乗換まで時間を利用してお弁当を選んでいる。名古屋コーチンの弁当とお茶を買った。11時半ごろお弁当を開いた。一口食べる。炊き込みご飯の味は美味しい。けど・・弁当だから冷えても美味しいように濃く味付けされていることは百も承知だが、濃い味付けに慣れていないので、さすがにのどが渇いた。お茶をがぶがぶ飲んだ。でもまだのどが渇く。ちょうど電光掲示板で車内販売のアイスクリームの宣伝をしていた。そこへ売り子さんがやってきた。「あの電光掲示板のアイスある?」「あります」「じゃ~、それ頂戴」と買った。アイスなんて日頃食べることは皆無なのだが。こちこちなので、手で温めながら、溶ける間、表示をじっくり眺めている。内容は悪くない。こそげるようにして舐めるので、のどの渇きをいやすには足りない。思い切って大きな塊を口に放り込んだ。とたん、虫歯にしみて痛い!参ったな。

                                               

12時37分、新山口の改札口に藤本運転手さんが、ステッカーを持って待っていてくれた。お世話になります。よろしく!3日間、同じく藤本さんの担当。みな、萩は何度も訪れているけど、窯元巡りは初めてなので、三輪清雅堂さんに案内をお願いしてある旨を伝える。

                                              

今日の宿、萩一輪に前もって荷物だけ預かってくださいと頼んでおいた。みながトイレを借りている間に、海に面したロビーから夕日が見えるのを確認して、外に出ると、道路の向こう側に豆子郎の販売店があるのに気がついた。あとで買ってみよう。

さっそく三輪清雅堂へ向かった。お城の近くを通って、寺町を通って、あれ、と思う内に三輪さんのお店の前に着いた。こんなに近いんだ、というのが初印象。この来るまでに近かったという思い込みが後でとんでもないしっぺ返しとなって返ってくることになるのだが。三輪さんが出迎えてくれた。三輪さんは思ったより若かった。ジャンボタクシーは今日はここまで。

                                              

三輪さんに案内をお願いしたのは、萩観光協会の「萩ぶらり」に紹介されていたのを見つけたからだ。結論から言えば、三輪さんに案内をお願いしたのは正解だった。三輪さんの説明もよかったし、朝鮮半島から唐津、萩、美濃と地層がつながっているのだと地質の説明までしてもらった。私たちだけだったら、この3軒の窯元は行かれなかったろう。

                                               

P1020094 莫山の字かな

タクシーと三輪さんの車に分乗して、先ず案内されたのが波多野指月窯。静かな屋敷街にある。通りに面した飾棚には、備前や信楽を思わせるような大きな壺、火色の大鉢、茶碗、そして花を生けた花瓶が飾ってあった。

P1020090

ガラス戸を開けると、そこはギャラリー。作品が並んでいた。作品を眺めていると、三輪さんが連絡してくれていたのだろう、陶芸家の波多野善蔵さんが出て見えた。応接室に招かれ、夏ミカンの砂糖菓子とお薄をいただいた。波多野さんは、お顔も話し方もとても優しい。壁に一見、東山魁夷のような雰囲気の絵がかかっている。視線に気がついて波多野さんが説明してくれた。この作者は、東山魁夷の友人で、絵具も同じものを使っている。絵は萩の○○(忘れた)を描いたものだそう。夜のしじまの中に明かりを灯した館が池の水面に映っている情景を金泥で描いている。
いろいろ伺った。大道土と見島土を主原料に、小畑土やみたけ土は強度を高めるために使うのだそうだ。ぐい呑みを2個買った。陳列してある店内を撮るのはさすがに遠慮した。

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波多野指月窯:
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=700004

萩焼の歴史はここに
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E7%84%BC

(開けるのが面倒な人のために簡単に説明しておくと、「やきもの戦争」と言われた慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)で朝鮮半島から多くの陶工を各藩が連れ帰って、窯を築かせた。毛利藩も例外ではなく、朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟を連れ帰った。関ヶ原の戦いで西軍についた毛利藩は、領地を3分の1に減らされる。そこで広島から萩に移る。李兄弟も萩に移り、窯を築いたのが始まりとされている)

                                               

Img_1683

続いて晴雲山岡田窯に行った。

Img_1690

先ずは裏手にある登り窯を見た。三輪さんの説明だと、現役で働いている登り窯では、一番古いものだという。窯焚きが終わったばかりらしく、そばに寄ると、熱気が伝わってくる。萩の登り窯はだいたい20時間ぐらいの焼成、だから生焼け状態なので独特の柔らかさが出るのだそうだ。

                                                                                                                        

Img_1686

外には、水簸した粘土が水切りのために並べられていた。水分が残っているせいか、黄土色が濃かった。見島土の含有量が多いのかも。そっと触れてみるとまだ柔らかすぎた。

                                               

P1020152 私のご飯茶わんに ほたる

店内に入ると、先ず目が行ったのは大きな壺。白い地に褐色や炭の雲のようなデザインがムードを出している。このムード、何かを感じる。と、三輪さんが「シルクロードを表現されています」と説明してくれた。何か感じたのはシルクロードの褐色の大地と大地に影を落とす雲だったのか、と思った。心惹かれたが、もうこういう大物は飾りようがない。菊池ビエンナーレ展で大賞を受賞されたとかで、そのポスターが飾ってあった。「菊池ビエンナーレって?」「智美術館です」と三輪さん。「あ~虎の門のね、二度行ったことがある。一度は楽さんの作品展、2度目は真鶴の陶芸家の・・・あら、名前が出てこない、岩に住んでいる方なんだけど・・」
「そんな方、真鶴にいらっしゃるのですか?」「えぇ、小松石を陶器にしたり、大きな精緻な花を作ったりしていますよ」
岡田裕さんも出て見えた。ここでもお抹茶を頂いた。お茶碗は手の中にすっぽり包まれて誠に持心地がいい。

papasanのために大きめの湯のみをコーヒー用に買った。自分用に火色の地に白い点、通称蛍の茶碗を買った。うふ、奥さんに美味しい地酒の銘柄を伺った。晩酌のために。

                                               

Img_1681

登り窯の中で、釉薬をかけられた陶器は、還元や酸化の炎に焼かれる。それによってさまざまな表情の萩焼が生まれる。もちろんプロはそのあたりは熟知して、効果をねらうわけだが、なるほど、萩は奥深い。と萩に対する認識を新たにした。窯変と呼ばれる赤は、焚口の次の部屋でないと出ないのだそうだ。
                                                 

岡田窯:
http://www.hagi.machi-navi.jp/html/hagiyaki_43.html

                                              

Img_1694_2

天寵窯を訪ねた。すぐギャラリーに入ったが、その斬新さに目を奪われた。普通、茶器は轆轤をひいて作品を作る。天寵窯の兼子昌尚さんは、三輪さんの言葉を借りるなら、「萩の作陶の歴史始まって以来初めて、粘土の塊を刳りぬいて作品を作り上げている」のだそうだ。フォルムの斬新さも目を引いたが、釉薬の白にも心奪われた。当然ながら値段は高い。ほしいのはまやまだが、カードが効かない。で、明日もある、とぐっとこらえた。またの出会いはあるだろう。兼子昌尚さんの作品をメトロポリタン美術館が買い上げたそうだ。あ~わかるな。

天寵窯 :
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=700069
http://www.gallery-kurimoto.co.jp/kaneta_masanao.htm

                                                        

P1020102

三輪清雅堂に戻った。座敷に通され、素敵なティカップに入れられた紅茶をいただいた。お薄ばかりいただいていたので、紅茶は美味しかったし、ほっとした。三輪さんが本阿弥光悦の話をしてくれた。そして三輪さんが所蔵する5点の光悦の茶碗を見せ、触らせてくれた。本阿弥光悦は学校では習ったが、それほど造詣があるわけではない。京都の楽家の「お茶わんや」ののれんが光悦の書であることぐらいしか知らない。三輪さんは光悦の研究家である。案内を頼んだとき、それを知ってつけ刃的に光悦のことは調べてはきたが。

Img_1707 光悦の茶碗

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P1020097 

Img_1701

P1020101

三輪清雅堂:
http://hagi-miwa.com/

本阿弥光悦:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%98%BF%E5%BC%A5%E5%85%89%E6%82%A6

                                               

参考:

国宝に指定されている茶碗は8個。うち、国産は2個。
1.【国宝】志野茶碗 銘 卯花墻(三井文庫)桃山時代
http://www.mitsui-museum.jp/collection/collection.html

2.【国宝】楽焼白片身替茶碗 本阿弥光悦作 銘 不二山(サンリツ服部美術館)桃山時代
http://www.sunritz-hattori-museum.or.jp/masterpieces/index.html

3.【国宝】曜変天目茶碗(静嘉堂文庫美術館)南宋時代
http://www.seikado.or.jp/040201.html

4.【国宝】曜変天目茶碗(龍光院)南宋時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%85%89%E9%99%A2_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8C%97%E5%8C%BA)

5.【国宝】曜変天目茶碗(藤田美術館)南宋時代 
http://www.city.okayama.jp/museum/fujita/yohen-tenmoku.html

6.【国宝】玳玻天目茶碗(承天閣美術館)南宋時代
http://www.shokoku-ji.jp/j_nyukan.html
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=71152

7.【国宝】油滴天目茶碗(大阪市立東洋陶磁美術館)南宋時代
http://www.emuseum.jp/detail/100022?d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E6%B2%B9%E6%BB%B4%E5%A4%A9%E7%9B%AE&class&title&c_e&region&era&cptype&owner&pos=1&num=1&mode=simple&century

8.【国宝】井戸茶碗 銘 喜左衛門(孤篷庵)李朝時代
http://homepage3.nifty.com/yakimono_gallery/2007_koten/ohido_kizaemon.htm

                                              

光悦の「不二山」は諏訪湖のサンリツ服部美術館が所蔵している。萩に行く前に見たいと思って、美術館に問い合わせると「不二山」の展示は、私たちが出発する前日からの展示なので、帰ってから行くことにした。

三輪さんの光悦研究によると、三輪さんが所蔵している光悦の茶碗も「不二山」も萩で焼かれたものではないかという。多くの文献、歴史的背景、そして三輪さんが所蔵している5碗の光悦作の茶碗との類似性、方向性をあげて、証拠づけている。歴史のミステリーだねぇ、と野次馬は喜んでいる。
                                                 

Img_1711 三輪清雅堂んの前の寺院の木

5時半、夕食を6時半にお願いしてあるから、その前までには帰らないと旅館に悪いから、と外に出る。車で送ってるくれるというのを、近いからぶらぶら歩いて帰ります、と断って歩き始めた。日暮れていく町並みは風情がある。シャッターを切りながら歩いているうちはよかったが、だんだん腰が痛くなってきた。それからが長かった。宿に着いたのが6時過ぎていた、30分以上歩いたことになる。目の前の豆子郎は6時閉店、もう間に合わない。明日にしよう。

                                                   

フロントが食事の時間を7時にしてくれた。部屋は4人用と3人用の2部屋。私は初めに入った4人部屋からもう動かない。汗をかいたので、着替えて、顔を洗った。あ~疲れた。1年分歩いた。

                                                  

疲れた上に、ちょっとばかりだがお酒を呑んだので、いい気分になって、お料理をこと細かく覚えていない。写真も撮らなかったようだ。もっとも撮っているうちにいつも酔っぱらってしまい、最後まで撮ることはなかなか。特注したから、ふぐのたたきだけは覚えている。さっとあぶって、引いてあるのだそうだ。初めて食べたが美味しかった。その頃になってようやく夕日百選の夕日の宿に来て夕日を見なかったことに気がついた。夕日は歩いているうちに沈んでしまったのかもしれない。あ~あ。

萩一輪:http://www.hagi-ichirin.co.jp/

                                               

お風呂に入り、早々に寝てしまった。おかげで4時ごろ目が覚めた。他の人たちも目を覚ましたので、障子を開け、外を見る。建物で遮られてはいるが一角に星が見える。Wのカシオペアだ。覚えやすい形だからとみんなに教えている。

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倉敷・備前

2011-11-01 23:03:11 | 窯元をたずねて

10月25日(火)

Img_0788 メタセコイア                                                                           

天気予報では晴れ時々曇りだったが、倉敷は曇りだった。歩き回るにはこの程度がいいかもしれない。アイビースクエアで、お昼に予約しておいた天領祭寿司を頂いて、早目にチェックインさせてもらい、カメラだけもって、フロントで船乗り場を教わって外に出る。アイビースクエアの門を抜けて、川沿いまでの小路をきょろきょろしながら歩く。大きなメタセコイアの木が目につく。
                                                                                                                                                         

今回も陶芸仲間8人の旅。一人はイレギュラーとして加わった連れ合い。

Img_0692

                                                                                                                                                      

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先ずは船に乗る。仲間内では若い人を会計にしたので、郵便局でチケットを買ってきてもらう。船は5人定員。たまたま2人連れがいたので、ちょうど二艘に分散して乗る。川面から見上げる美観地区の建物は絵になる。緑もまだ残っている。萩も咲いている。光があったら、川面に写る景色はもっときれいだろう。それでもパシパシ、シャッターを切っている。今回のお供はデジカメ EOS5D MarkⅡ、レンズは28~105mm。それでも1.5kgはある。悩んだ末、望遠はおいてきた。EOS5Dは、まだ慣れていないので、出来上がりもいまいち気に入らないが、それでもフィルムを持たないだけラクと言える。

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船を下りて、大原美術館に入る。大原美術館には3回は来ているので、作品の記憶はしっかりとあるが、部屋の記憶は薄れている。エル グレコの「受胎告知」がここにあるのは知っている。この美術館へこの絵が来たエピソードも知っている。エル グレコは日本には西洋美術館と大原美術館の2枚しかない、ということも覚えている。
グレコ独特の赤とブルーは好きなのだが、プラド美術館やトレドでグレコ三昧したし、トレドの修道院のマリアの絵を模写したこともある、だから、記憶の中のグレコの赤とブルーはもう少し輝きがあったように思う。照明のせいなのかもしれない。

                                                                                                                                                       

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本館の西洋美術を見て、分館の日本人の洋画を見て、工芸館に入った。濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチを見て、この人たちと美術館の関わりはもちろん知っている、棟方志功の部屋まで来た。階段の上がり降りが何度もあるので、さすがにくたびれて腰が痛い。他の人たちに先に出てもらい、私は椅子に腰掛けて、連れ合いの来るのを待っている。ところが一向に来ない。辛かったが、腰を上げ、入り口まで引き返して探したが見当たらない。さらに外に出てベンチでしばらく待ったが姿は見えない。携帯を持ってこなかったというから連絡がとれない。寒くなった。ホテルは分かっているし、部屋番は覚えているだろうから、と、橘香堂へ行き、お土産の「むらすずめ」「栗饅頭」などを到着日を指定して送る。戻って、大原美術館の隣の蔦の絡まった喫茶「エル グレコ」に寄り、お茶を飲んで一休み。

Img_0690
                                                                                                                                                      

川端を歩いていると仲間たちと合流した。児島虎次郎記念館に寄った。大原孫三郎氏の援助でフランスに留学し、絵画を学ぶ傍ら、大原美術館の絵の蒐集に力を注いだ人物である。フランスへ渡る前の絵は日本人らしい情感を漂わせている。留学中の絵も生き生きとしているが、帰国してからの絵は、表現方法を模索していたのだろう、大きな絵が多く展示されているが、背景がうるさく、主題がかすれている。若くして亡くなってしまったから、大成できなくて残念だったろう。隣のオリエント館を見てホテルに戻る。

Img_0688

                                                                                                                                                         

ホテルに戻ると連れ合いは先に帰っていた。気持ちが悪くなったので、途中から抜けてきたのだという。単独行をとることは一向に構わないが、その旨を伝えて行け、待つのは嫌いだ、と怒っている。

                                                                                                                                                         

寒い。倉敷はこの秋一番の冷えこみだという。8時から町並みをライトアップすると聞いてはいたが、寒い中を出るのはいやだ。一杯飲んで寝てしまおう。

                                                                                                                                                          

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それでも、Ipadに今日写した写真を取り込んで、眺めている。やはりいまいち。このカメラで納得できる写真が撮れるようになるには当分かかりそうだ。それともこれがデジカメの限界なのかな?

                                                                                                                                                            

夕食は7時。私ともう一人が洋食、あとは和食のミニ会席。私はグラスワインの赤。
「パンとライスとどちらになさいますか?」「お米、なに?」「銘柄でございますか?」「そう、土地のお米かどうかってこと」「備州米でございますが」「あ~、それ。味見したいからライス。少しでいいわよ」この備州米は可もなく不可もなく、と言ったところ。

                                                                                                                                                         

夕食後、地下にあるバーへ行ってジンフィズを飲んだ。さほど早い出ではなかったが、4時には目が覚めてしまったので、もう一度寝ることはせず、そのまま起きてしまったので、疲れもあって、眠くなった。

                                                                                                                                                            

◇10月26日(水)

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カーテンを引くと朝日が射しこんできた。いい天気だ。寒そうなので、ブレスサーモの下着を着た。着替えとして厚い綿シャツを用意してきたが、日中歩くには暑いだろうと、昨日と同じ薄地の綿シャツにする。今回の私の荷物は、友人が作ってくれたパッチワークのバッグにカシミアの軽いセーターをクッション代わりに敷き、まわりにプチタオルをいれ、そこにカメラ一台、それだけ。それ以外にはいろいろなものが詰まったウェストポーチがある。デジカメは軽くはないが、ウェストポーチも1.5kgはある。脂肪に加えてそんなものをいつも腰につけているから腰痛になるんだ、とまわりから冷やかされている。Ipadは二人分の下着一式の上に乗せ、これは連れ合いが持つ。二人とも荷物は少ない。

                                                        

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7時、朝食。8時、チェックアウト。ホテルの前で記念撮影、といっても撮るのは私。だからいつも私だけは入ることはない。みなさんの荷物はキャスターつきのスーツケース。ガラガラと音を立てて、駅まで歩く。駅まで15分程度と聞いていたが、光があるので、メタセコイアや日向ぼっこする猫を撮ったり、川面に写る町並み写したりして、遅れて一人で歩いていく。昨日、大原美術館の蔦の絡んだ入り口を撮ったら、中途半端に人物が写ってしまっていたので、もう一度撮りたいと思っていたのだ。ところが、イメージしてそこへ行くと、なんと門が閉まっていて、昨日の風情はなかった。やれやれ。

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美観地区の入り口を抜けるとあとは駅までまっすぐな道。のそのそしたつもりでも、8時半には駅に着いてしまった。もう少し写真を撮っていてもよかったかな。
                                                        

9時の相生行きに乗るためにホームに下りる。線路になにやら立て札がある。読むと、パーク&ライドのお知らせ。パーキングは3日間は無料だとある。3日間は東京・横浜まで用事をしてきても間に合う時間のようだ。ほほう、倉敷はエコシティを目指しているんですね。駅周辺に土地があったのだろうが、ごりっぱ。20年ぐらい前になるかな、ドイツのフライブルクで初めてパーク&ライド方式を知ったのだった。美星町に行ったのはいつだったかな。あのときも倉敷を訪れたはず。その時は気がつかなかった、電車で来たにもかかわらず。そういえば倉敷市の観光課にパンフをお願いしたとき、人数分のパンフが入った封筒の裏面に広告が入っていた。広告主が封筒を寄贈するシステムになっている、が、広告の内容は市は責任を持たない旨の説明が入っていた。倉敷市はいろいろ試みているようだ。

因みに倉敷市の財政力指数を調べてみた。0.92(2009年)岡山県ではトップだ。

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岡山で播州赤穂線に乗り換え。ホームの反対側に赤穂行きの電車は待っていた。ボックス型の車内はきれいですわり心地もいい。「昔はローカル線っていえば、古い車両が回ってきたいたものだけど、今はローカル線の方が車両はいいかも」実際、たまにしか乗らないが、東海道線は通勤のためか、対面式で、ボックスは少ない。明るい日差しの中を電車は進む。知らない土地に来ると窓から外を眺めるのが常。刈り残されている稲が日を浴びてまぶしい。こちらに来てセイダカアワダチソウが目についた。一時、小田原周辺の空地や川原に繁茂しているのが目に付いたが、いつしか自然淘汰されたのだろうか、それほどの勢いは見られなくなった。だから黄色に輝く群生は目を引いた。大きな川を渡った。澄んだ水が川底まで見せていた。吉井川かな。
                                                                                                                                                      

連れ合いが咳き込んでいる。「飴、買ってくればよかったのに」と言うと、目の前に飴の袋だけがぶらさがり「どうぞ」という声が聞こえた。立ち上がってみると、土地の人らしい女性が前を向いたまま右手だけ挙げて、袋を差し出していた。「ありがとうございます。いただきます」と連れ合いはもらってなめている。

                                                       

駅名を読みながら「ここは備前長船。聞いたことない?刀剣で有名なところ。刀剣には興味がないからパスしたけど、佐野美術館にも備前長船兼光があったよ」「ここは香登と書いて「かがと」と読むんだよ。おしゃれな名前だね」相変わらずのガイドぶり。伊部(いんべ)に着いた。飴の女性も伊部で降りた。

                                                       

Img_0819 岡山県備前陶芸美術館

「途中下車ですから切符を渡さないでくださ~い。切符、なくなさないでくださいね~」と叫んでいる。小田原、倉敷往復で買ったので、途中下車なのだ。往復だと10日間有効。
改札で途中下車の印を押すのかと思ったら、そのままだった。駅のロッカーに荷物をいれ、先ずは右手にある岡山県備前陶芸美術館へ。

http://www.touyuukai.jp/bijyutu.html

                                                        

ここでちょっと備前焼の紹介を、いやその前に、基本的な焼き物の紹介をしておこう。焼き物には石ものと呼ばれている磁器と土ものと呼ばれている陶器がある。石ものとは磁器、石(陶石)を粉にして成形し高温で焼いたもの、叩くとピンと言う音がする。有田焼・伊万里焼や九谷焼きなどなどが有名。陶器は粘土を使っている。粘土の種類も土地によっていろいろ。同じ土地でも含有物によって違ってくる。磁器より低い温度で焼くので、温かみがある。備前、信楽、唐津、萩などなど有名な産地は多々ある。
                                                       

窯も種類があるのだが、それは割愛して、窯の中に酸素を十分入れ焼くのを酸化焼成といい、窯の中の酸素を少なくして焼き上げるのを還元焼成という。成形し自然乾燥させ、釉薬をかけずにじ

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窯元をたずねて -北九州ー

2010-11-26 15:12:08 | 窯元をたずねて

1日目   11月9日(火)                                              

Momiji2           

時間を気にしているので、結局は浅い眠りのもまま時間を迎え、3時には起きた。とはいえ眠くはない。前もって旅の支度はしてあるので、着替えをしてパソコンを開けたりして、時間の来るのを待っている。
4時半家を出る。寒さを気にしていたのだが、今朝は寒くない。外はまだ暗く、星影もない。送られて駅に向かう車、きっと仲間の車だろう。荷物はバッグひとつ。いつものカメラバッグは持たずに大き目のバッグに、レンズつきの一眼レフ一と換えのロングレンズを入れたが、ロングをつかうことはなかった。カメラはもうひとついつもポシェットに入っているコンパクトデジカメ。国内旅行なら、必要なものは買えるから余計なものは持たない。でもめずらしく着替えを一組と幅広のショールを用意した。

                                              

今回の総員は7人。全員揃った。始発4:44に乗る。心配は横浜での乗り換え、羽田直行は乗り換え時間が4分しかない。足に自信のない私には特に心配だった。6人はスイカを持っているが、1人は乗車券を買わなければならない。横浜駅の先の方は京急に接続する通路があると教えらていたのでついていく。ほんと乗換えはすぐだったし、早朝のことでもあり、空いていたのも幸いした。乗換えで乗車券を買っても、4分があまるほどだった。これに乗れれば、羽田での時間は1時間ある。

                                             

と、1人が航空券を出して、往きの航空券はあるが帰りのがないと言う。探してみたが、ない。どうも別々に仕分けしてお金といっしょにおいてきてしまったらしい。帰ろうか、なんていい出す。なんとかなるよ、お金はみんなから少しずつ借りればいいよ、とはげます。搭乗のとき、案内係に帰りの航空券を忘れてしまった旨伝えると、「大丈夫です。身分証明書になるものがあれば」と。「身分証明書になるもの持ってる?」「保健証がある」「なら大丈夫だ」ひとまず安心。暗い顔をしていた彼女の顔も明るくなる。離陸。真鶴半島が見える。富士山も見える。

Mtfuji 機内から冨士山                                               

                                                

福岡の空は曇っている。福岡空港に着くと、予約しておいた西日本自動車の運転手さんが出迎えてくれていた。ジャンボタクシーだ。空は天気予報通り曇り。運転手さんが絶えまなく説明してくれる。                                  

                                                 

まずは上野焼(あがのやき)の里をたずねる。
途中飯塚市を走っているとき、左に見える三角の山を指して、あれがボタ山だと教えてくれた。予めボタ山を見せてくれと頼んでおいたのだ。木々に覆われたボタ山は、まさに低いけど山で、土門拳や本橋成一の筑豊のイメージとは全然違う。ふ~ン、あれがボタ山ねぇ。それでもふるさとを離れていた人たちにはボタ山を見ると、懐かしく、故郷に帰った気になるそうだ。

                                              

福智町という名前がみえてきた。福智町は2006年赤池町 金田町 方城町の三町が合併して出来た町だ。町名は近くの福智山に由来するとか、この町は、かつてそれぞれ財政破綻した3町が合併して出来た町だ。福智町のHPで大変だった財政再建の経過を読ませてもらった。。

上野焼は、小堀遠州の七窯にも入っている、いわゆる「きれいさび」。

                                              

◇上野焼:上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器。江戸前期に高名な茶人でもあった大名、細川忠興が小倉藩主となった際、朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)を招いて、豊前国上野に登り窯を築かせたのが始まり。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられるほど、茶人に好まれた。明治期には衰退の様相を見せたが、明治35年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。

上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。また使用する釉薬も非常に種類が多く、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴で、絵付けはまず用いていない。

上野焼については福智町のHP↓にもその説明があるからそちらもどうぞ。
http://www.town.fukuchi.lg.jp/shiru/aganoyaki_1.html

 
                                              

Display                       

道の両側に窯元の名前が見える。まず訪ねた陶芸館は休み。1軒目は留守。2軒目も留守。3軒目、人の姿はないが明かりがついている。運転手さんが様子を見に行く。開いているらしい。横を見ると八幡窯の看板。階段をあがり左手にあるショーケースに飾られてある作品に、おもわず「素敵!」と叫んだ。中に入ると並べられた作品はどれもいい。要するに現代感覚で、私の嗜好にあっている。上野焼は買って帰るつもりで来たが、伝統的なものも見本としてほしい。そこでご主人に尋ねてみた。詳しく説明してくれた。いつのころからか、上野焼というと青い釉薬を連想させるようになってしまったが、歴史的に見ても上野焼全体が青い釉薬を使っていたわけではないらしい。なら、気に入ったものを買っていこう。いろんな手法の皿を買った。同じ釉薬でも土によって発色が違う。ましてや酸化と還元では同じ釉薬でもまったく違う。うふ、これこそ銘々皿だ。そう辰砂を酸化で焼いた皿も買った。均窯と同じ効果なんだ。もう年だから、飾ったりするものはいらない。楽しんで使えるものだけでいい。

                                              

Agano1 Agaano22

Seiji2                                                          ここの主人は日展の会友とかで、意欲的な作品が並んでいた。日展には大作を出展するがそういう大作はなかなか売れないので、倉庫にごろごろしていると言っていた。絵だって、200号とか大作を出すから、大変みたいだ、なんて話が盛り上がる。壁に仲間たちとの作品共同展のポスターが貼ってあった。「この中に萩の作者が4人いますが、わかりますか?」どれも現代感覚の作品ばかり、目を凝らしても萩とはわからない。「わからないでしょう?これは・・の息子」と萩のみならず、唐津も有田も、次々に知っている親の名前が飛び出す。おもしろい。                                

Yuteki Sinnsha Katanuki                                                            

「茶道具は高すぎる」という。「ほんとうですね。抹茶茶碗が5万円以下で、審美眼を楽しませてくれるものがあれば、うれしいですよ」「5万でも高いと私は思っています」「ええっ~、それはなおのと。1万円ぐらいで買えれば、お茶をやっていなくても、気楽にお茶が楽しめますよ。お願い、作って!」

                                              

陶器は使う前に、米のとぎ汁に一晩漬けて、乾燥させてから使うと、変色も少ないと教えてくれた。たぶん米のとぎ汁が糊の代わりで、土の空間を埋めるからだろう。
八幡窯:http://www.aganoyaki.com/

                                              

Garden                       

次いで窯元の名前は忘れたが、お庭がとても素敵なお宅。仲間が買ったので、ここは私はパス。

                                                                                                                           

                                 

Onihagi 

                                                                                                                     

その次は城之窯、ここのお庭もよかった。たたきと座敷に品物が並んでいた。鬼萩に似た茶碗を手に取り「鬼萩みたいですね」というと、「よくご存知ですね。私は萩が好きなので」「釉薬は?」「藁灰です」Papasanの分とふたつ鬼萩の湯飲みを買った。
城之窯:http://www.earthland.jp/agano/kama/jyono.htm

                                              

福智町役場の前を通った。今度来たときは訪問させてもらおう。福智町を後にして、小石原ヘ向かった。はるかかなたのあの山の向こうが小石原。山を上る小石原に着いた。寒い。

                                                        

◇小石原焼:小石原焼:小石原焼(こいしわらやき)は福岡県東峰村で焼かれる陶器。1682に黒田藩主が伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まり。筑豊で最初の焼ものの産地となる。刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な紋様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。後にその技法は大分県日田市の小鹿田焼に伝わっており、小鹿田焼とは姉妹関係にある。日本の陶芸界に大きく影響を与えたバーナード・リーチによって、「用の美の極致である」と大きく称賛された。小石原には窯元が56軒ある。

                                              

Koisiwara                                                         

急に雨が降り始めた。まずは小石原焼窯元 熊谷善光による。包み紙には小石原村皿山と印刷してあるが、ここも平成17年に小石原村と宝珠山村が合併して、東峰村になっている。窯元の主人は若い。デザインも斬新。ここで急須と茶碗のセットを買った。お茶を出してくれた。お茶の温かさがご馳走だった。買い物を済ませて外に出るころは雨は上がっていた。若いご主人が外に出て見送ってくれた。
熊谷善光窯:http://www1.vill.toho.fukuoka.jp/info/prev.asp?fol_id=4063

                                              

もう一軒訪ねた。ご主人が私たちのためにわざわざストーブに火をつけてくれた。こんな時期だからか、辺りには客の姿はなかった。

                                              

Onnta Onta2                                                         

小鹿田焼の里に向かう。小鹿田焼は小石原の流れを汲むものだが、現在の行政区は大分県日田市。夏ごろだったが、日田市の観光課に資料をお願いしたところ、担当の女性が親切な手紙まで添えて、資料を送ってくれた。行って来たら、お礼状を出そうと、お名前は取っておいたのだが、どこかにまぎれさせてしまった。しかたがないので、日田市に電話して感謝の意を伝えておいた。

Kansou

                                              

Tobikanna 飛びカンナ               

                                              

小鹿田焼は10軒の窯元を守っているので技法が保存されていると言われている。テレビでもよく紹介されている里だ。テレビの効果か、ここには観光客がバスでやってきていた。山間の里なので、上から覗きながら降りていく。ここは飛びカンナや刷毛目の技法が有名。テレビでもおなじみの水車が土をつく音が響く。青空の下ではないが、紅葉をのこした山もきれいだ。飛びカンナ、刷毛目の皿を買った。飛びカンナのやっているところを見たいと思っていたのだが、どこも工房は見せてはもらえなかった。1軒だけ、鉢に刷毛で白化粧しているのを遠くから見た。一番下の窯元で飛びカンナや刷毛目などの作品を見本をかねて買った。刷毛目のつけ方もそこで教わった。

Hakeme 刷毛目

Onta3 Suisha Kobukuro

                                                      

◇鹿田焼は、江戸時代中期の1705年(宝永2年)若しくは、1737年(元文2年)に、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、福岡県の小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。元は、享和年間に小石原焼の分流の窯として開かれていたものであるという[1]。このため、小鹿田焼の技法には小石原焼と共通するものがある。

李朝系登り窯で、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴とする。また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられる。陶土を搗くための臼は「唐臼(からうす)」と呼ばれるもので、ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いている。その音は「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている。

民芸運動を提唱した柳宗悦が1931年(昭和6年)にこの地を訪れ、「日田の皿山」と題して評価する内容の一文を発表したこと、さらに、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも陶芸研究のため、1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)に滞在して作陶を行ったことにより、小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになった。

小鹿田焼:http://www.hitakusu.com/jibasan/ontayaki.htm
 
 
                                              Mameta&

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