Cogito

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

動物たち

2012-09-15 23:08:22 | 動物記

Img_1650

                                                                                                                              

                                                                                                                                 

Img_1655

                                                                                                                                    

子ネコたちの成長はめざましい。水曜日、ガーナが木に高く上っておりれなくてないていたのが、それを伝わって屋根に上れるようになった。ベリーズも屋根に上り、一人でおりて来ている。

好奇心いっぱい。しかも行動力は抜群。なにごとも力いっぱい、手抜きがない。鈴の音も高く、家中、庭中、走り回っている。鈴の音がしないときは食べているか、寝ているか。遊び相手がいることも幸いしている。これだけの運動量をこなせるということは健康でもあるからだろう。子ネコたちはコリコリで育てようと思っていたのだが、大猫たちが缶詰を食べているので、とうとう缶詰食になってしまった。ガーナの方は少しはコリコリを食べるがベリーズは食べない。そのかわり、毎晩、ヨーグルトをお相伴している。早く母親から離されてしまったせいか、おっぱいが恋しいらしく、いまだに、座布団の長めの毛をしゃぶっている。ベリーズの方が乳製品は好きだ。

子ネコたちの行動を見ながら、人間の子が忘れてしまっていることを可哀そうに思う。

                                                                                                                               

毎回、ご出勤をしている教室の子どもたちが、それなりに独創的な遊び用具を作ってきてくれる。子どもにとっても子ネコたちにとっても幸せなことだ。少し前になるが、その子どもたちが、「ガーナ、本物のネコみたい」と言ったそうだ。本物のネコ、おそらく大人のネコみたい、と言いたかったのだろうが、その表現が可愛かったので、すっかり「本物のネコ」という言葉が定着してしまった。二匹とも、ずんずん「本物のネコ」に近付いていく。

ネコの薬の裏面を見ると、人間とネコとの成長の対照表が載っている。3ケ月は人間の5歳、となっているが、5歳よりは運動能力は優れている。知恵は人間にはかなわないだろうが、身近に幼児がいないから比べようがない。

ガーナ  1350g

ベリーズ 1050g

                                                                                                                               

                                                                                                                               

涼風が立ち始めて、めんどりたちが卵を産み始めた。もう産まないと思っていたオバサンまで、毎日ではないが産み始めた。テレビの横で産むのはシンコにドスとオバサン。場所争いで、いつも誰かの卵がおとされ、割れている。

                                                      

かぽは羽毛が冬毛に移行するのだろう、生え換わり始めている。頭の部分に段差ができ、まるで帽子をかぶったよう。あんまりいかさない。それでも首のま割りにぼさぼさ付いていた羽が抜けて、少しはみられるようになった。シジュウカラが子どもを連れてきている。見とれていたら、カポに「ここにいます」とデモンストレーションされてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菩提樹

2012-09-11 13:50:19 | アート・文化

菩提樹と言えば、お釈迦さまがこの木の下で悟りを開いたいう菩提樹(bo tree)とヨーロッパの菩提樹を思い出すが、今回はヨーロッパの菩提樹、リンデンバウム(lindenbaum)だ。

                                                                                                                           

1週間ぐらい前になるだろうか、日曜版の「be」で、シューベルトの「菩提樹」を取り上げていた。私たちの世代は学校で教わったせいもあり、親しんできた歌だ。特に近藤朔風の訳で親しんで来た。新聞によると、現在、日本の歌手でも、ドイツ語で歌い、朔風の訳詩で歌う歌手はほとんどいない、ということだ。言われてみれば、F・ディスカウが歌った「冬の旅」のCDは持っているが、菩提樹だけでも、日本語で歌ったCDは持っていない。

                                               

菩提樹はミュラーが書いた「冬の旅」の1篇である。傷心の若者のさすらい、「冬の旅」の詩にシューベルトが美しい曲をつけている。ミュラーは当時は人気のあった詩人であったが、今はシューベルトの歌曲「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘}に残っているくらいだそうだ。

                                              

ウィーンとバーデンの間ぐらいにあるメートリンクからバスで地底湖に向かう途中、道沿いの看板に菩提樹の楽譜が書かれたレストランの前を通ったことがある。あとになってそこがシューベルトがよく曲想をねるために通っていた店だと知った。

                                              

菩提樹は死の木でもあるのだそうだ。ruhe、憩いとか安らぎと言った意味だが、この詩のruheは安らぎ=死を意味しているのだ、と。なるほど。

                                              

朔風はこのruheを幸と訳しているそうだ。

来よ いとし友、ここに幸あり・・・

えっ、「来よ、いとし友」なんて言葉あったっけかな?

そこで声に出して歌ってみた。歌詞はちゃんと覚えていて、メロディーと一緒にすらすらと口をついて出てくる。件の箇所に差し掛かった。「こよ~いとしと~も」あはは、子どもの頃と言え、またやっていたんだ。音一つ一つにつけられた言葉は間違っていない。しかし、呼びかけではなかった。思わず笑ってしまった。「こよいとしとも」、どう解釈していたんだろうね。文語だから詩の内容なんて分からずに歌っていたんだ。それでいままで気付かずにきたというのだ。朔風さん、ごめん。

                                               

菩提樹も、野ばらなどといっしょにドイツ語で暗記したことはある。そう、これも子どもの頃だ。ドイツ語にふってあるカタカナで覚えたものだ。だから発音も、詩の内容もわからない。ただ口先でうたっているだけ。長じて言葉が分かるようになって覚えたものは、意味も分かっている。子どもの頃、学校の唱歌として出てきたものは、ある意味では気の毒だ。もう一度読み直して覚えなおさないと悪い。

                                                                                                                               

                                          菩提樹

    泉に添いて 茂る菩提樹
  したいゆきては うまし夢見つ
  幹には彫(え)りぬ ゆかし言葉
  うれし悲しに 訪(と)いしその蔭
           訪いしその蔭

   今日も過(よぎ)りぬ 暗き小夜中(さよなか)
  真闇(まやみ)に立ちて まなこ閉ずれば
  枝はそよぎて 語るごとし
  「来よいとし友 ここに幸あり
            ここに幸あり」

    面(おも)をかすめて 吹く風寒く
  笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
  はるか離(さか)りて たたずまえば
  なおもきこゆる 「ここに幸あり
            ここに幸あり」

                                                

                                                

   Der Lindenbaum

    Am Brunnen vor dem Tore
    da steht ein Lindenbaum;
    ich traumt' in seinem Schatten
    so manchen sussen Traum.

   
    Ich schnitt in seine Rinde
    so manches liebe Wort;
    es zog in Freud' und Leide
    zu ihm mich immer fort.

   
    Ich musst' auch heute wandern
    vorbei in tiefer Nacht,
    da hab' ich noch im Dunkel
    die Augen zugemacht.

   
    Und seine Zweige rauschten,
    als riefen sie mir zu:
    komm her zu mir, Geselle,
    hier find'st du deine Ruh' !

   
    Die kalten Winde bliesen
    mir grad' in's Angesicht,
    der Hut flog mir vom Kopfe,
    ich wendete mich nicht.

   
    Nun bin ich manche Stunde
    entfernt von jenem Ort,
    und immer hor' ich's rauschen:
    du fandest Ruhe dort !

  

                                                                                                                                                             .

   

                                               

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間国宝美術館

2012-09-09 09:02:46 | アート・文化

陶芸仲間が、三輪壽雪さんのお茶碗でお抹茶が頂ける、と教えてくれた。壽雪さんはあちこちで見ているが、竹橋の近代美術館の工芸館での荒川豊三、三輪休雪・壽雪展は圧巻だった。荒川豊三さんの志野、休雪、壽雪さんの萩、萩の方が温かみがあると感じた。おそらく土と釉の違いだろう。

月末に萩に行く。問い合わせると、萩美術館も山口美術館も、所蔵品に萩焼の名品はあるのだが、ちょうど旅行中に萩焼の展示はない。そこで、人間国宝美術館にある萩焼を、触れられる、という言葉にもひかれて、見に行ったのである。

                                                

受付でチケットを買いながら、横に並んでいる茶碗をじろじろ眺めていた。萩はない。「壽雪さんの茶碗でお抹茶が頂けると教えてもらったから来たんだけど・・」というと、「9月で入れ替えました」という。「あ~ら、残念、触りたかったのに」

4階は橋本雅邦の虎の屏風が展示されていた。モニターで、この作品の解説が流れていたが、それは見ずに直接作品を眺めた。もちろん、雅邦は知っている。絵の虎はさすがに重量感も存在感もあるが、目が何とも優しかった。

段差を気にしながら、手すりにつかまり3階に降りた。入り口わきの小部屋の展示物が替わっている。速水御舟の「炎舞」があった。「えっ、なんでこれがここにあるの?確か山種の物の筈?借りたのかしら?」よく見ると複製だった。「だろうね~」

                                                  

展示室に入って、「あら~、展示が様変わりしている!」と声をあげた。小さな美術館は、おなじみのものがどこにあるか覚えているから楽しんだが・・、こうがらりと展示が替わると、違和感がある。おそらく収蔵品がたくさんあるから、こういう展示ができるんだろうが。

                                                

展示棚の後ろの壁に、かなり大きな絵が並んでかかっている。それぞれの絵もいいし、陶磁器もいいのだが、こういう、せせっこましい飾り方をされると、絵もよさも、陶磁器のよさもお互いに消しあって、双方の魅力が半減されてしまっている。もったいないかぎり。学芸員のセンスなんだろうか?                          もうひとつ気になったのはライト。プロが選んでいるのだろうが、ライトの色が気にかかった。濁手の白が、伊万里の白のように青みがかって見えるのだ。濁手とは米のとぎ汁の色、温かみのある乳白色が特徴の筈。

                                                                                                                           

聞かなかったがキャッチとして、美術品の値段あてが組まれていたみたいだ。有名作家の作品の横には、これがいくらか?と貼ってある。別に値段で美術品を見ないから関心を持たなかったが、俗っぽい企画。なるほど、その俗っぽさが今回の展示に表れているのかも。

                                                                                                                           

値段あてっこの中に、荒川豊三と三輪壽雪の抹茶茶碗も並んでいた。豊三はちょっとピンクがかったいかにも豊三らしい志野、壽雪はあの三輪白の、八分立ての生クリームのような萩。でも並んでいる二つは豊三作品の方が柔らかで温かみがある。

三輪さんのなんてとても買えないけど、この柔らかな白のかかった、日常茶碗、新進作家のでいいから、あったら買ってこよう、なんて言っている。手頃な値段で買えればの話。

                                                

お抹茶をいただくのに、私は勅使河原宏さんの茶碗を選んだ。宏さんはお花の勅使河原蒼風さんの長男で、マルチな芸術活動家だ。酒田の土門拳記念館も彼が設計した、と訪ねたとき聞いた。茶碗は持った感じはいいが、しかし、なにかいまいちだった。お薄も美味しくなかった。名品に直にふれてお茶が頂けるのが楽しみなんだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月

2012-09-01 17:15:57 | インポート

早いなぁ、もう9月だ。

今日は通り雨も降り、涼しい。頭はまだまだ残暑のきびしさを覚えているので、夏を忘れかねている。脳は意外と馬鹿だから、脳の判断に任せておくと風邪をひきかねない、と言いながら、下にランニングを着た。来週の半ばごろからまた残暑がぶり返すらしいが、こういうのは身にこたえる。

そうでなくてもさすがに夏バテだ。午前中はマメに働いているが、午後は何をする気にもなれず、うつらうつらしている。

9月の声を聞いたからではないが、虫の声が大きくなってきた。アオマツムシ、コオロギ・・

                                                                                                                           

一応、4週間目の子ネコの体重測定を記録を兼ねて書いておこう。

29日 ガーナ  1100g

    ベリーズ  850g   

30日 予防注射に連れて行った。検便の結果、鉤虫は駆除されていた。ベリーズに目薬をもらった。

2

ガーナの冒険 木登り

Img_1629

ベリーズ 表情が大人びてきた。目薬の効果か。目がきれいになった。

                                                 

                                                 

昨夜、防災真鶴で津波注意報がアナウンスされた。聞き取れないので、なんのことか最初は分からなかったが、どうやらフィリピンのどこかで、M7.2の地震があり、その影響で津波警報が太平洋諸国に発令されたらしい。フィリピンと言っても、島はたくさんあるからどこら辺なのだろう。英語版を見ると位置が分かった。大災害にならないといいが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする