Cogito

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2009-01-30 22:40:18

2009-01-30 22:40:18 | インポート

ばかばかしいから、現政府のことは取り上げないようにしているんだが、おかしかったので。今日のニュースに昨日、民主党の鳩山幹事長が「定額給付金は悪質な選挙買収」と言ったと自民・公明両党が懲罰動議をだしたとあった。                                              

あはは、何血迷ってるの。給付金を言い出したときから国民は選挙目当ての買収だと思っていたよ。餌をばら撒きゃ、尾っぽを振ると思ったら大間違いだ。国民を愚弄しているよ。もっともそのばら撒くお金は国民が納めた税金なんだよ。あんたたちの金じゃ~ない。政府首脳はそこんところわきまえていないみたいだ。

                                          

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今日は眼科

2009-01-30 16:33:26 | 日記・エッセイ・コラム

以前知人がこんな話をしていた。友人と手紙のやり取りをしていたのだが、その友人は文学などに造詣があって、手紙にも興味深いことがたくさん書いてあってたのしかった。それが年を重ねているうちに、自分の現状しか書いてこなくなった、それもどこがわるいとかそんなことばかりで、手紙をもらうのもうれしくないし、したがって返事を書く気が失せた、と。                                         

そうなんだよね、年をとると行動範囲も狭くなるし、毎日は単調になる、人との接触も少なくなる、自分を見つめることはいいんだけど、内なる自分ではなく、自分の健康状態だけに目が行ってしまいがちになるんだね、むしろ手紙を書いて、外に目を向けるような話題に持っていったら、と話し合ったことがあった。

それを思い出して私のブログ、ここのところ、骨折だ、眼科だ、と身体的なことばかり、と思わず苦笑してしまった。

                                          そう、今日は眼科へ行った。雨の中を、だ。1月1日から眼圧を下げる目薬を中止している。30日、1ケ月経ったので、結果はどうなのか、判断を仰ぎに行ったのである。10時ジャストに申し込みをした。おそらく1時間は待つだろうからと、先日の続き「フランス史」を読み始めた。ナポレオン3世、オスマンのパリ大改造を読んでいるから、この辺りまではかなり知っている。イギリスとの比較、ドイツとの比較。市民の成熟度ではイギリスのほうが勝っていたようだ。しかし意外と自分が生きている現代は抜けている。ましてフランスのこととなると。知っている政治家たちの名前も見える。だからなおおもしろかった。興味があったのは「五月革命」のことだった。もう少し詳しく知りたいな。

                                          やっと呼ばれた。1時間15分、おかげで後半を読み終えることが出来た。

眼圧は上がっていない。だから当分、眼圧を下げる目薬は使わずに、このまま様子をみる、ということだ。3月にまた視野の検査を予約してきた。

                                          

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通院終わり

2009-01-28 22:28:45 | 日記・エッセイ・コラム

骨折から4ケ月余、今日が最後の診察だった。Papasanは用事があるので、私を送るとそのまま引きかえして行った。受付をし、二階へ上がっていくと、ちらほらとマスクをかけた人の姿が目に入った。お~そうそう、とポシェットからマスクを取り出してかけた。ポシェットにいつもマスクは入っている。スタッフはマスクをかけているが、外科だからか、患者さんはあまりかけていない。

                                          いつものようにレントゲンをとり、待つこと約1時間、その間、「フランス史」のフランス革命から読んでいた。この部分は実におもしろかった。特に今の日本の現状を照らし合わせると、革命が起こっても不思議ではない状況にはある。でも現在の日本では革命は起こらないだろう。フランス革命もそうであったかもしれないが、要因があっても必ずしも革命は起こらない。いろんな要因が重なって、いろんな階層の気運も重なって、短期間でそれが相乗効果をあげて、革命は起こっているようだ。

                                          やっと番になった。診察室に入ると先生も看護婦さんもマスク姿。

「今日はひとり?ご主人は?」と先生。

「忙しいんですって」と私。

レントゲン写真を見ると、折れたところはまだ白く光っている。

「あれ、まだ白い線ですね」

「骨はちゃんとついているよ。もう大丈夫だよ」

「でも、まだちゃんと歩けないんですよ。どうしたら歩けるようになりますか。自分の足で歩いていると言うより、頭を使って、意識しながら歩いている状態です」

「ちょっと歩いてみて」

「こういう平らなところはいんですが・・」と歩いて見せた。こういうところで短い距離はなんといもないのだ。

「段差はつらいだろうけど、もう大丈夫だから自信をもって、どんどん歩くことですよ」

                                          「ところで先生、どれでもいいんですが、レントゲン写真、1枚、記念にいただけませんか。」

「コピーならあげられるけど、これはあげられないんだよ。」

「そうですか。それなら結構です。足の骨の名前、みんな覚えましたから、ビューワにかけてみたかったんですよ」

「いきなり英語でキューニーフォームと言われたときはびっくりしたよ」

ほほう、先生、患者は大勢いるし、そんなに何度も来ているわけでもないのに、些細なことを覚えているんだ。患者にとっては親しみがわくわけだ。

「では今日で終わりにしましょう」

「ありがとうございました」と礼を言うと

「ころばないようにね」と先生。こういう一言は患者の胸にはひびくなぁ。

「はい、気をつけます」

                                          思い起こせば、この先生に直接処置してもらったのは骨折したその日、ギブスをはめてもらっただけ。ギブスをはずすのも先生の手は煩わせなかった。後は毎回、レントゲンを見ながら、説明してくれただけだった。でも、先生にはいい印象を抱いた。きっと先生の人柄のせいだろう。患者にとって腕のいい医者は一番だろうと思うが、やはり心配りは大事だ。どんなに優秀な医者でも、態度が悪かったら、私は行かない。

                                          昨日、診療所のW先生にお目にかかった。真鶴の高齢者を見捨てるわけにはいかないから、診療所をその拠点にしたいのだと、熱っぽく語ってくれた。その熱意は町民としてはありがたいし、大いに買おう。私は病気をあまりしないので、これからは年だからするだろうが、病院情報は詳しくはない。

                                          会計のMちゃんにお礼の挨拶をすると、「送迎バスが出ているから利用しては」と言われた。「うん、知っているけど、まだちょっと一人で帰る自信がないんだ。先生は歩けとおっしゃったけどね」と笑いながら応えた。

                                          病院の入り口から右正面、トイレの近くにマスク販売のスタンドがあった。1ケ100円。患者のみならず、面会の方もマスクをかけてくれるようにと張り紙がしてあった。入って行くときは気がつかなかった。余計なお節介だけど、もうすこし目立たせてもいいんじゃないかな。マスクをかけるのは、自己防衛でもあるし、もし風邪をひいていたら他人に感染させないためもあるし、お互いのためだから。迎えが来るまで、フランス革命以後の続きを読んでいた。読み終わらぬうちに迎えに来てくれた。近く眼科へ行くからその時残っているところは読み上げよう、と本はしまった。

                                          湯河原で食事をして町民センターへ行った。帰りは歩いて帰るから迎えはいいよと断って。今日は用事があるんだ。

2階まで階段を歩いて上った。でも降りるのはエレベーターを使い、地下まで降りた。その方が平らだから。ゆっくりゆっくり、久しぶりに道沿いのお宅の庭木を眺めながら、町民センターから家まで300m余りあるのかな。ただ上り坂なので、休み休み帰ってきた。家の近くにくると、ジョウビタキの♂が先導してくれた。初めて一人で歩いた疲れもあって、コタツに入り転寝してしまった。

                                          夕食には、お祝いだと一杯飲んだ。一の蔵の笙鼓。美味しかった。

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クモ日記0901

2009-01-24 11:30:27 | クモ日記

Jo2 ジョロウグモのオバサンは大丈夫かな、気になってのぞきに行った。いつものところにいる。元気そう。でも触ってみた。すばやく移動する。先日より元気なくらいだ。よかったね。でも餌はあるのかなぁ。明日から寒くなるそうだけど。                                                                                     

Jo1 家の中につれてくるのは簡単だが、寿命だから自然のままにしておこう。お天気がいいから、光をうけてきれいだよ。

                                                                                                                          

Chad1_2 ジョロウグモの網の下に洗濯機がある。その上でチャドが日向ぼっこ。そこで一枚。

         

Chad2    

                                                                               

                                                                                                                                                                              

1月25日(日)

気温は低いが外の日差しは暖かく、おだやか。ジョロウグモのオバサンが昨日と代わらず元気。虫を探すと、植木鉢の下に大きなムカデがいた。でも目ざとく見つけたシロが食べてしまった。シロは私が虫を探すと自分のために探してくれていると思っている。

                                          1月30日 雨

出かけるとき、シイタケの原木の上の方に、網を張っているクモを見つけた。あんなところに、ジョロウグモがいる!濡れた落ち葉を踏みしめながら、網の近くに寄った。大きな赤いお尻のジョロウグモだ。だらんとした様子なので、死んでいるのかと枝を折って、触ってみた。逃げる。お~、生きていたんだ。軒にいるジョロウグモは雨も風も防げるが、ここは、大きな木の下とはいえ雨もかかるだろう。えらいもんだ。また様子を見に来るからね、晴れたら写真を撮るからね、頑張れよ!                                                                                             

                                                                                                   

1月31日 雨

1 2夜、台所の天井から下りて来たクモ。

体長5mm。

                                                 

43たぶん、オオヒメグモの♂。

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ガザ緊急支援

2009-01-22 21:29:12 | 日記・エッセイ・コラム

パレスチナ子どもキャンペーンからガザ緊急支援の呼びかけと署名が届いた。12月、1月は支援依頼が多いので手元不如意だが、何とかしなければなるまい。定額給付金が出たら、返還して政府に勝手に使われてもシャクだから、パレスチナと大阪のおおぞらに送ろうと思っているが、そんなものあてには出来ないから、なんとかやりくりしよう。かえすがえすもイスラエルのやり方に怒りは覚えているが、遠くの日本にいてはこの程度しか出来ない。だからせめて。

                                          パレスチナとの係わり合いはかなりになる。それだけ問題が解決していないと言うことだ。一時明かりが見えた時もあったが、残念ながら和平はなかなか来ない。状況はむしろ悪くなっている。軍事行動はイスラエル国内の選挙のためというバカげた理由もある。パレスチナの人々はひたすら極限に生きている。                                 

                                          広川隆一さんの「パレスチナ」を読んで、彼の写真を借りて町民センターはじめ、小田原や箱根でも写真展を行った。子どもキャンペーンに写真を提供している写真家、古居みずえさんはそのころからの知り合い。彼女はパレスチナ問題を町民センターで講演してくれたことがある。彼女の著書「インチファーダの女たち」も持っている。

チェルノブイリの原発事故で被曝したベラルーシの子どもたちを預かる前に、パレスチナの難民キャンプで暮らす子どもたちを預かりたいと思った。しかし当時のパレスチナは国として認められていなかったので、子どもたちが出国するために必要なパスポートの取得もビザの発行も取れない状況だった。いまだって、ガザはまるでゲットーだ。

                                           パレスチナ子どもキャンペーン:

http://ccp-ngo.jp/

                                           

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