壁に小さなクモを発見。ルーペを持ってのぞいている。
「お茶がはいったよ~」と夫が声をかけても「ちょっと待って~」となかなか動かない。
そういう態度を夫は「虫愛ずる姫君」と言ってからかう。「もう姫君じゃないよ、虫愛ずるばぁさんだよ」
「虫愛ずる姫君」、ご存知「堤中納言物語」の中にあるお話である。中学だか高校だか忘れたが、教科書に載っていたこの古典をやって以来、私のあだ名は虫愛ずる姫君。実際には、虫を愛ずるではないが、虫を怖がらない。男の子たちが意地悪をして、筆箱にゲジゲジを入れても平気。普通の女の子だったら、キャーキャー騒ぐところ、すまして取り出して、つくづくと眺める。そんなことからついたあだ名である。
自然の豊かなところに育ったから、生き物は好きである。振返って私の人生で犬やネコがいなかったのは、戦中戦後の一時期だけである。戦時中、飼った犬は前のおじさんに取り上げられてしまった。たぶん、殺されてしまったのだろう。そんな何にもない時代だったから、身の回りにある自然はあそび友達だった。だから生態は自分の目で見ているからよく知っている。
野生生物で好きなのは野鳥である。ほんと、ちょっと目をむければ、身近で観察できる。これはいまでも変わらず好きでる。だから本も野鳥の録音もいっぱい持っている。日本にいる鳥はほとんど見てまわった。当然、鳥についてはかなり詳しい。写真を始めたのも、野鳥を撮りたかったこともある。先ず買ったのが400mm望遠と2倍のコンバーターだった。もちろん三脚もである。しかし野鳥の写真は難しい。
でも虫類にはあまり興味がなかった。知っていることは知っている。それが最近になってクモに興味を持ち始めた。以前から、夏の夜に出てくるアシダカグモはお気に入りだったし、風呂場の隅には小さなクモが網をかけていたが、決して殺したりすることはなかった。とはいえ、あまりクモをしげしげと見ることもなかった。興味と言うのは、ひょんなことから始まるものだ。知識としては「博物誌」を読んだとき、初めはクモの話ばかりだった。だから網を張るクモや、それ以上のクモたちが網を張らないことも知っていた。ただ種類や生態を知ろうとは思わなかった。
一年に数回は玄関の網を払う。そのとき、網にベージュ色の塊がついているのは気がついていた。クモが獲物をぐるぐる巻きにしたものだろうと思って、それは掃除機で吸い込んでいた。ところがある日、「もしかして?」と疑問がわいた。そこで専門家にクモの名前と「あのベージュの塊は獲物の成れの果てか、それとも卵のうか」と聞いてみた。果たしてそれは卵のうだと分かった。クモの名前はオオヒメグモ、日本中、どこにでもいる小さなクモだった。
専門家によると、日本には1000種余りがいるそうだ。これから1000種のクモとお近づきになるのはとても無理な話だが、すぐ傍にいるクモさんぐらい知り合いになってみたいものだと思った。そこでクモのフィールド図鑑を買った。幸い、今はネットでクモの写真をかなり引っ張り出すことが出来る。
図鑑を眺めていると、クモによって網のはり方がちがう。網をはらない徘徊性のクモも多い。
まず、風呂場のすみにいるオオヒメグモから眺めてみた。ところがここで支障が出てきた。それは老眼である。なんせクモは小さい。ルーペを使っているのだが、網は高いところや、暗いところにあるので、よく見えないのだ。しかたがなく判別のために100mmマクロを使って写真を撮ることにしたのだが、暗いところなのでフラッシュをたく。クモの影がバックに写ってしまう。う~ん。とにあれ小さいというのが、一番の難点である。また幼生と成クモとでは模様も違うみたいだ。同じ種類でもオスメスで違ったり、これまたややこしい。
家の中を歩いているクモは網をはるものやら、はらないものやら、それすら定かではない。野鳥は長年の積み重ねで、瞬間に判断できるのだが、クモはなじみがない。だから特徴が呑み込めていない。じっと見てもどこで判断すればいいのか、分からない。
オオヒメグモは不規則な網をかける。オオヒメグモの網の下は蚊や小さな虫たちの死骸でいっぱいである。それだけ虫を取ってくれたことになる。殺虫剤よりずっと効果的である。巣には卵のうがいくつもぶら下がっている。親グモは卵が孵化するまでじっと見守っているのだ。孵化には15日ぐらいかかる。温度や湿度によって孵化の時間は変わる。
こんなことから、今では少しはクモさんとも知り合いが出来た。少しずつ紹介していこう。
「お茶がはいったよ~」と夫が声をかけても「ちょっと待って~」となかなか動かない。
そういう態度を夫は「虫愛ずる姫君」と言ってからかう。「もう姫君じゃないよ、虫愛ずるばぁさんだよ」
「虫愛ずる姫君」、ご存知「堤中納言物語」の中にあるお話である。中学だか高校だか忘れたが、教科書に載っていたこの古典をやって以来、私のあだ名は虫愛ずる姫君。実際には、虫を愛ずるではないが、虫を怖がらない。男の子たちが意地悪をして、筆箱にゲジゲジを入れても平気。普通の女の子だったら、キャーキャー騒ぐところ、すまして取り出して、つくづくと眺める。そんなことからついたあだ名である。
自然の豊かなところに育ったから、生き物は好きである。振返って私の人生で犬やネコがいなかったのは、戦中戦後の一時期だけである。戦時中、飼った犬は前のおじさんに取り上げられてしまった。たぶん、殺されてしまったのだろう。そんな何にもない時代だったから、身の回りにある自然はあそび友達だった。だから生態は自分の目で見ているからよく知っている。
野生生物で好きなのは野鳥である。ほんと、ちょっと目をむければ、身近で観察できる。これはいまでも変わらず好きでる。だから本も野鳥の録音もいっぱい持っている。日本にいる鳥はほとんど見てまわった。当然、鳥についてはかなり詳しい。写真を始めたのも、野鳥を撮りたかったこともある。先ず買ったのが400mm望遠と2倍のコンバーターだった。もちろん三脚もである。しかし野鳥の写真は難しい。
でも虫類にはあまり興味がなかった。知っていることは知っている。それが最近になってクモに興味を持ち始めた。以前から、夏の夜に出てくるアシダカグモはお気に入りだったし、風呂場の隅には小さなクモが網をかけていたが、決して殺したりすることはなかった。とはいえ、あまりクモをしげしげと見ることもなかった。興味と言うのは、ひょんなことから始まるものだ。知識としては「博物誌」を読んだとき、初めはクモの話ばかりだった。だから網を張るクモや、それ以上のクモたちが網を張らないことも知っていた。ただ種類や生態を知ろうとは思わなかった。
一年に数回は玄関の網を払う。そのとき、網にベージュ色の塊がついているのは気がついていた。クモが獲物をぐるぐる巻きにしたものだろうと思って、それは掃除機で吸い込んでいた。ところがある日、「もしかして?」と疑問がわいた。そこで専門家にクモの名前と「あのベージュの塊は獲物の成れの果てか、それとも卵のうか」と聞いてみた。果たしてそれは卵のうだと分かった。クモの名前はオオヒメグモ、日本中、どこにでもいる小さなクモだった。
専門家によると、日本には1000種余りがいるそうだ。これから1000種のクモとお近づきになるのはとても無理な話だが、すぐ傍にいるクモさんぐらい知り合いになってみたいものだと思った。そこでクモのフィールド図鑑を買った。幸い、今はネットでクモの写真をかなり引っ張り出すことが出来る。
図鑑を眺めていると、クモによって網のはり方がちがう。網をはらない徘徊性のクモも多い。
まず、風呂場のすみにいるオオヒメグモから眺めてみた。ところがここで支障が出てきた。それは老眼である。なんせクモは小さい。ルーペを使っているのだが、網は高いところや、暗いところにあるので、よく見えないのだ。しかたがなく判別のために100mmマクロを使って写真を撮ることにしたのだが、暗いところなのでフラッシュをたく。クモの影がバックに写ってしまう。う~ん。とにあれ小さいというのが、一番の難点である。また幼生と成クモとでは模様も違うみたいだ。同じ種類でもオスメスで違ったり、これまたややこしい。
家の中を歩いているクモは網をはるものやら、はらないものやら、それすら定かではない。野鳥は長年の積み重ねで、瞬間に判断できるのだが、クモはなじみがない。だから特徴が呑み込めていない。じっと見てもどこで判断すればいいのか、分からない。
オオヒメグモは不規則な網をかける。オオヒメグモの網の下は蚊や小さな虫たちの死骸でいっぱいである。それだけ虫を取ってくれたことになる。殺虫剤よりずっと効果的である。巣には卵のうがいくつもぶら下がっている。親グモは卵が孵化するまでじっと見守っているのだ。孵化には15日ぐらいかかる。温度や湿度によって孵化の時間は変わる。
こんなことから、今では少しはクモさんとも知り合いが出来た。少しずつ紹介していこう。