「農から見た日本」 山下惣一著 清流出版
山下さんは私と一歳違いだ。だからバックにある社会情勢はよくわかる。
消費者運動をしてきたので、戦後の農業政策を私もかなり知っているし、山下さんの農政批判もうなずける。ただ一言言いたいのは、山下さんの努力は知ってるけど、消費者からみれば、そういう農政を支持し助長させてきたのは、農民の力が大きかったということだ。踏みつけられながらも、そういう農政をしようとする政権を支えてきたのはどういうことなんだい、と。
しかし語り口が軽妙なので、実はほんとに厳しいことなのだが、すらすらと笑いながら読んでしまえるのは怖いところだ。
私は以前から、人間は食べなければ生きていけないのだから、農業をダメにするわけにはいかない。採算が合わなくても農業は残すべきだと思っている。それは未来に生きる日本人のためにも。
山下さんは20代で開墾してみかんを育て、50代で国策で切り払ったそうだ。人生を切り払ったようだったという。そうだろう。みかんを日本人が食べなくなったのは、家族の団欒がなくなったからだと山下さんは分析する。これにはうなってしまった。
日本の農業がダメになっても、国民が飢えてもかまわない。とはいえ自分は農業はやめない。ただ家族の食い扶持だけを生産するからいいのだ、と、山下さんは言う。逆説的だが、そうだよなぁ、そういいたくもなるだろうよ。
普通の消費者にとって生産者は遠い存在だ。最近スーパーなどで「私たちが生産しています」なんて書いた紙がぶら下がっている商品を見ることはある。でも生産者は消費者にとってまだまだ近い存在ではない。
どんなにワリが合わなくても自国の農業はつぶしてはいけないんだよ。国民の認識がそこにたどり着かなくては、農業を残すことはできない。要するに戦後のような食物不足、飢えをいつかは体験しなければならなくなるということだ。
山下さんは提案する。これからの日本の農業のあり方は「地産地消」だと。地域が地域農業を支えるのだと。うん、うん、私たちもやっているよ。生産者とじかに結びついている運動を。
文中にネグロスのことが書いてあった。山下さんは世界のいろんなところの農業視察をしている。その中で一番ショックを受けたのがこのネグロスだった。「21世紀の闇だ」と彼は言う。ネグロスはサトウキビの島。地主は島の外にいて、砂糖が暴落すれば砂糖の生産をやめ、海老養殖に切り替える。労働者は土地を持っていない。その都度飢えに苦しむことになる。土地なし住民が自作できる土地を買える手助けになるように、NGOを通して私たちも、バナナの購入をしていた。ネグロスのマスコバド糖は今も使っている。反政府ゲリラがいるといって、関係ない農民が政府軍に殺されていた。そこで当時のコラソン・アキノ大統領に私自身が手紙を送ったこともある。解放運動はまだまだ続いていて政府の解放証明書も発行されているようだが、29歳の農民の青年が私兵に銃殺されたそうだ。
もちろん電気も台所もない。同じく電気もないカンボジアでは自作農が多い。二つを比べたら、電気のないことなど屁でもない、と山下さんはいう。
山下さんの言いたいことをまとめると、
①特定の地域で農業生産が増大しても、世界の飢餓の解消にはならない。農産物の貿易は余っている国から不足している国にへではなく、安い国から高く売れる国にしか動かない。
②國際競争に勝って生き残れる農業など世界中に存在しない。
③したがって、先進国では、自国の農業を守るという国民合意がない限り、農業は守れない。
日本の食物自給率は下がる一方。穀物自給率も下がる一方。先進国では最低だ。
もう一度国民みんなで考えよう。このままでいいいのか。これで安心なのか。
山下さんは私と一歳違いだ。だからバックにある社会情勢はよくわかる。
消費者運動をしてきたので、戦後の農業政策を私もかなり知っているし、山下さんの農政批判もうなずける。ただ一言言いたいのは、山下さんの努力は知ってるけど、消費者からみれば、そういう農政を支持し助長させてきたのは、農民の力が大きかったということだ。踏みつけられながらも、そういう農政をしようとする政権を支えてきたのはどういうことなんだい、と。
しかし語り口が軽妙なので、実はほんとに厳しいことなのだが、すらすらと笑いながら読んでしまえるのは怖いところだ。
私は以前から、人間は食べなければ生きていけないのだから、農業をダメにするわけにはいかない。採算が合わなくても農業は残すべきだと思っている。それは未来に生きる日本人のためにも。
山下さんは20代で開墾してみかんを育て、50代で国策で切り払ったそうだ。人生を切り払ったようだったという。そうだろう。みかんを日本人が食べなくなったのは、家族の団欒がなくなったからだと山下さんは分析する。これにはうなってしまった。
日本の農業がダメになっても、国民が飢えてもかまわない。とはいえ自分は農業はやめない。ただ家族の食い扶持だけを生産するからいいのだ、と、山下さんは言う。逆説的だが、そうだよなぁ、そういいたくもなるだろうよ。
普通の消費者にとって生産者は遠い存在だ。最近スーパーなどで「私たちが生産しています」なんて書いた紙がぶら下がっている商品を見ることはある。でも生産者は消費者にとってまだまだ近い存在ではない。
どんなにワリが合わなくても自国の農業はつぶしてはいけないんだよ。国民の認識がそこにたどり着かなくては、農業を残すことはできない。要するに戦後のような食物不足、飢えをいつかは体験しなければならなくなるということだ。
山下さんは提案する。これからの日本の農業のあり方は「地産地消」だと。地域が地域農業を支えるのだと。うん、うん、私たちもやっているよ。生産者とじかに結びついている運動を。
文中にネグロスのことが書いてあった。山下さんは世界のいろんなところの農業視察をしている。その中で一番ショックを受けたのがこのネグロスだった。「21世紀の闇だ」と彼は言う。ネグロスはサトウキビの島。地主は島の外にいて、砂糖が暴落すれば砂糖の生産をやめ、海老養殖に切り替える。労働者は土地を持っていない。その都度飢えに苦しむことになる。土地なし住民が自作できる土地を買える手助けになるように、NGOを通して私たちも、バナナの購入をしていた。ネグロスのマスコバド糖は今も使っている。反政府ゲリラがいるといって、関係ない農民が政府軍に殺されていた。そこで当時のコラソン・アキノ大統領に私自身が手紙を送ったこともある。解放運動はまだまだ続いていて政府の解放証明書も発行されているようだが、29歳の農民の青年が私兵に銃殺されたそうだ。
もちろん電気も台所もない。同じく電気もないカンボジアでは自作農が多い。二つを比べたら、電気のないことなど屁でもない、と山下さんはいう。
山下さんの言いたいことをまとめると、
①特定の地域で農業生産が増大しても、世界の飢餓の解消にはならない。農産物の貿易は余っている国から不足している国にへではなく、安い国から高く売れる国にしか動かない。
②國際競争に勝って生き残れる農業など世界中に存在しない。
③したがって、先進国では、自国の農業を守るという国民合意がない限り、農業は守れない。
日本の食物自給率は下がる一方。穀物自給率も下がる一方。先進国では最低だ。
もう一度国民みんなで考えよう。このままでいいいのか。これで安心なのか。