葉書用紙にばらをプリントしている。用紙はいつもたくさんストックしてあるのだが、たくさんプリントしたので足りなくなってしまった。それを買いに出かけた。ついでに、泉地区にあるおそばやさんに行った。何でもPapasanが散歩をしていて見つけたかやぶきのお蕎麦やさんというので。
千歳川をわたって、お寺の隣にそのかやぶきのお蕎麦屋さんはあった。お寺もかやぶきなので、かやぶきの建物が3軒並んでいるように見える。「茶処 ひがし」と看板が出ていた。なかなか趣のあるお蕎麦屋さんだ。中に入ると大きく組まれた梁、その黒光りする梁が 見事だった。思わず「いいですねぇ」と声を上げた。お蕎麦屋さんはこの地の人だが、開業して12年だという。
私は更科をPapasanは田舎を頼んだ。ちょっと寒かったけど、あんみつも頼んだ。今度誰か連れてこよう。
私も熱海っ子だが、同じ熱海と言えども、泉地区とはあまり縁がない。泉と言って思い出すのは、合併騒動のことである。
泉地区は行政区としては熱海市に入る。この千歳川が神奈川県と静岡県の県境である。千歳川をはさんで、すぐ向こうは湯河原町である。行政区の熱海には山を越えて行かなければならない。だから昔は泉地区の人たちは生活圏として湯河原住民のように暮らしていた。子ども達も学校も湯河原の学校に通わせていたのである。
若い頃、選挙の手伝いをしたが、泉地区に遊説の入るのには、一旦県境を越えて湯河原町に入り、橋を渡って、泉に入らなければならなかった。そういう経験からも泉は湯河原に入るべきだと思っていた。うちの父母たちは泉は湯河原に入るべきだと主張していた。いまは知らないが、泉地区の地主はほとんど湯河原の人の所有であった。泉にあるお寺の檀家も湯河原の人が多かった。
泉が湯河原との合併を求め、熱海と湯河原と問題となり、それが二つの県の問題となり、さらに国を巻き込むような騒動に発展したのは、国が推し進めた昭和の大合併に端を発し、それが尾を引いて騒動になってしまったのである。当時の泉には五軒町と言う花街があった。当然、静岡県は観光地熱海から上がる税金は捨てがたいものだった。
熱海側も泉の住民に美味しい餌を掲げていた。泉の住民も反対賛成に分かれ、気まずい状態になった。結局国の裁定は住民投票にかけて決めるというものだった。そして住民投票の結果、熱海市に残ったのだった。この住民投票の裏もよく聞いて知っている。とはいえ、住民投票の結果がそう出たのである。そうなると神奈川県と湯河原町は肩代わりしていた泉の行政待遇を拒否した。泉の子ども達を受け入れていた湯河原の学校も泉の子ども達の受け入れを拒否した。急遽、熱海市は泉に学校を作ったり、支所をつくったりしなければならなくなった。子ども達にとっては、いままで仲良く勉強し遊んでいた友達同士が離されてしまったのである。
しかし美味しい餌はどれだけ実現したのだろうか。