3週間経ったガーナ。870g。
ベリーズ 670g
アレッポで銃撃された山本美香さん。まだまだこれからの有能な女性を亡くして誠に残念。紛争地帯の街中の様子はどこもよく似ている。
アレッポのスークで、文字盤がアラビア数字の時計を買った。人々は忙しそうに働いていたし、買い物客の笑顔もあった。民主化という大義のために、国内は憎しみと悲しみに満ちている。人々に笑顔が戻る日はいつだろうか。美香さんの最後の写真という親子の写真になぐさめられる思い。
餃子をつくった。材料はいつもと変わらない。皮も肉屋さんの皮である。ところが包みにくい。以前も包みにくいことがあった。この皮はもち粉が入っているものだが、米粉の量が多くなったのかもしれない。食してみるともちもち感がある。米粉の味だな、と思ったが、厭ではない。そこで肉屋さんを通してメーカーに、米粉の分量が増えても美味しいからいいが、包みにくいので、どうしたかいいのか、扱い方を聞いてくれと頼んだ。肉屋さんからの返事は、分量を間違えた、というものだった。
小麦粉の値段が上がっていることだし、米粉の分量は増えてもいいのだが、包みにくいのは困る、まして私の餃子はタヌキのお腹のように具をいっぱい入れる、しかも一回に60個つくる。包みにくいと時間もロスだし、いらいらする。ぶつぶつ言いながらも、具を少なくして、どうやら包み終えた。
さて、いつものように焼いた。皮が透き通って、ぺらぺらしている。食べた感じはぱりぱりしたライスペーパーみたいだ。具だけ食べると、いつもの味。やはり皮のせいだ。困ったな、どうしよう。餃子の皮を作らなくなって久しい。やってできないことはないが、もういやだ。
自分の朝食だから、なんとか作っているが、パンをこねるのだって、力がいる。器械に頼る部分を多くして、と工程を考えているくらいだから、力仕事はいやだ。
だんだんおなじみのものがなくなる。豆腐は鎌倉小町を買っていたのだが、倒産していまはない。伊東の豆腐屋さんは、息子が跡を継がないので廃業してしまった。木綿豆腐なら自分でも作れるが絹ごしは自信がない。
同様、身近なものがなくなった例。スペシャリティの抹茶のケーキに使っていたのが、清水のぬれ甘納豆。清水も閉店してしてしまった。手頃な値段で自家生産していたから買っていたのだが、市販のはおいそれと信用するわけではないから、素性がわかるまで時間がかかる。花園のぬれ甘納豆も頭にはあるが、ケーキの中に入れてしまうのはちょっともったいない。値段も高いしね、清水の倍はする。
濡れ甘納豆は涼しくなったら、時間はかかるが、自分でつくってもいいが、少しばっかつくるのもなぁと思案している。